炎舞

小泉藍

(一)

(一)

 辞去の礼に手をついて深々と頭を下げ、そして身体を起こす際にまた見やってきた。

 その顔を改めて見つめる。

 武市半平太は美しい男だった。今年で数え三十五になるのに肌は正絹のように白くつややかで、眉は強い線をもって引かれ、黒目がちの目は大きく明るく輝いている。輪郭はしっかりとしているがなめらかでもあり、柔弱でも武骨でもない、端麗で精悍という絶妙な均衡を生んでいる。

 政治に関して語りだすと熱がこもり、身体から白銀の炎が立ち上って見える。そんな風に見るのは自分だけかもしれないが、吸引力は誰もが感じ取るはずだ。そして眩惑され、魅了される。自分のように根深い反発を抱いている者でなければ、容易に取り込まれてしまうだろう。

 だが白銀と言えば聞こえはいいが、実態は、純白のうちに暗黒を溶かし込んだ灰色なのだ。それでもその魔性の銀火に人は引き寄せられる。そして、その哀れな者たちが武市に抱いているのと同じような憧憬を武市もまた抱いているのだろう。この自分に。


 人間の好悪の情とは妙なものだ。

 心から好きで尊敬する感情の中に一抹の翳りがどうしようもなくわだかまって消えてくれないこともあるし、殺しても飽き足りない仇にも多少の情が湧くことはある。現実に対面し、言葉を交わせばなおさらだ。

 気持がゆらぐと、反応して心中に響く言葉がある。この一年あまりそれが習い性になっている。

 南国の夕日に焼かれる庭園を見つめながら、引き結んでいた上下の唇をわずかに離す。この一年以上数え切れぬほど心中で繰り返された言葉を外に出してやる。

「わたしは、けっして、ゆるさない」

 容赦ない暑熱の中初めて音声になったささやかなつぶやきは、焦げ付くような蝉の音に掻き消された。

 文久三(1863年)八月六日。土佐藩参政吉田東洋が高知城下の路上で惨殺されてより一年半弱しか経過していない。その間上方を中心に攘夷と暗殺の嵐が吹き荒れ、政治家たちは恐怖に支配された。横紙破りが横行して国の秩序は突き崩された。

 誰かが食い止めねばならない。

 いや、そう胸を張れるものではないかもしれない。復讐という私怨の情がなければ、自分もここまで執念深くなれたかどうか。

 あんな男に執着されてしまうのは、自分の中にも同じものがあるからか。確かに、あんな男に心惹かれてその死後も復讐に拘泥するならば、否定はできない。

 高知城の応接間で、武市が去った後も居室に戻ろうとはせず、前藩主山内容堂はその座っていた跡を睨みつけていた。その優美でいまだに若々しさを残した面差しは、武市と二歳しか違わないにもかかわらず、あまりにも深い苦渋と怨念、透徹した理知と潔癖、無惨に殺された壮大な夢の残骸のせめぎ合いを表して、底知れぬほどに暗かった。

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