第2話

 その夜、久々に同僚からSNSでメッセージが入った。

 内容は「元気?」から始まり、嫌いな先輩のこと、けんかしている彼氏のことについて書かれていた。

 相変わらずだなと思っていると、最後の一文に、高坂さんが心配していたよと一言あった。



 高坂さんは会社の上司にあたる。

 私が好きだった人、そして失恋した人。



 私より八つ年上で、だけど無邪気な少年の瞳を持っている人だ。

 いつも気遣ってくれて、私はいつも甘えていた。奥さんがいることを知ってはいたが、否応なく、惹かれた。

 私は性格上、あまり人を好きにならない。だから自分を止めることなど出来なかった。

 久しぶりに人を好きになり、相手のことなんておかまいなしで、気持ちだけが先へ行って。




 それから、失恋したのだ。




 休職した原因の一つだと、一応は認識している。

 一変に色んなことがふりかかったのだと私は思っている。


 私は縁側に出て、夜空を見上げてみた。

 都会の空とは違い、いつか落ちてくるんじゃないかと思ってしまうほど、まばゆい光が一面に瞬いていた。







 しばらく雨の日が続いていた。

 今日は結構な大降りで、祖母と二人、何をするでもなく過ごしていた。


 庭の花たちに水を与える必要はなく、なんとなく縁側で雨に打たれている花たちを見ていた。

 葉から葉へ落ちる雫をみていると、みんなでバケツリレーをしているように見える。



「ここの生活は慣れた?」



 居間で、テレビを見ていた祖母が私に声をかけた。



「うん」


「そう」



 祖母は、祖父に先立たれてから、一人でこの家に住んでいる。

 私が幼い時に亡くなったため、私は祖父の顔がわからない。


 祖母は南国特有の浅黒い肌をしていた。花柄の、少し派手なブラウスと布の動きやすいズボンを好んで着る。

 祖母は太陽の匂いのする人だと、私は昔から思っている。



「……ねえ、おばあ。私ってどんな子に見える? 会社の人に言われる私と、学生時代の友人に言われる私では、イメージが違うみたいだから」


「昔と今が違うってことよねぇ」


「うん」



 祖母が私の話を聞きたそうにしていたので、私はそれについて話してみた。


 学生時代、私はかなりの行動派で、自分が決めたことは突き通さないと納得できなかったので、すぐに怒るし気が短かった。

 キツイ女だとみんなは笑って言った。それから、意志の強さは並々ならぬものがあったと言う。


 一方、現在会社を中心に過ごしていた私は、愛想のいい、気の優しい人だと思われ、キツイ女なんて言われたことがなかった。

 ただ、私は優柔不断になり、自分の意志が分からなくなってしまっているように感じるのだ。



 私は疑問に思っている。

 今の私になって良かったのかと。




「そうねぇ。若いときはたくさん悩むもんよねぇ。今のあなたは、昔、あなたがなりたいと願った姿なのかもしれないわねぇ。あなたは手に入れた。それはすごいことよ、努力をちゃんとしたから。でも、自然が一番よねぇ」



 雨は、私の思考を中断させる。

 昔からそうだ。ただ祖母の言葉が流れてくる。



「世の中に飲み込まれそうになる。世の中は広いからねぇ。でも大丈夫。あなたが自然にしていれば。大丈夫さぁ……」



 祖母はいつの間にか、私の隣に座って、そっと手を握ってくれた。

 しわくちゃの骨ばった手。温かい手。

 辺りは雨の音だけに支配されていて、しばらく二人で佇んでいた。







 雨が上がった次の日、学校が休みだと言っていた太助がやってきた。

 今日はどうやら秘密の場所へ連れて行ってくれるらしい。

 私はデニムのパンツを穿き、上着を羽織って、動きやすい格好で外へ出た。


 今日はいい天気だ。やさしく風が吹いていた。

 太助は久々の快晴にはしゃぎ、早く早くと私を急かした。

 そこへは歩いて行けるらしかった。太助は海と反対の方向に、つまり山側へと足を向けた。


 まず、山の入り口に着くと、猟をする人や、山菜なんかを取りに行く人しか使わないような獣道の方へ、彼は進んでいった。

 土は、ここを使用する人間が踏みしめ続けていたことがわかるように、固まっていて、自然の道が出来上がっていたが、周りを覆う、木々や雑草がすごかった。

 都会ではけして見ることが出来ないくらい、頑丈で丈夫な葉が生い茂っていて、もちろん色んな虫も飛んでいた。


 時折、刺されたんじゃないかと思う感触があったりする。

 しかし、雨の後だからといって、じめじめしている訳じゃない。昔から感じているこの島の不思議だ。


 先頭に立って歩いている太助は、そんな山の自然をものともせず、頭上を覆っている、歩くのに邪魔な木の枝や、下から生えている雑草を、手にしている木の枝でなぎ払っていた。


 子供は元気だ。体をいっぱいに使って歩いている。その姿はとてもエネルギッシュだ。

 私は会社と家との往復で、普段歩く事が少なかったため、この道は結構堪える。

 前にいる太助はずんずん山道を歩いてゆく。

 自分の行きたい場所へ向かって、ただひたすら向かっていく。


 私は小さな太助になかなか追いつく事ができず、どんどん離されていった。

 頑張ってついて行こうとしているのだが、息が上がって、もう苦しかった。

 木々に覆われた山道、日中なのに光は半分程度しかない。

 聞えてくるのは自分の弾む息と、遠くから聞える鳥の鳴き声だけだった。


 私はそれに気がつくと、とたんに背筋からぞわぞわっとした感覚に支配された。

 それはひやっとした冷たい感覚。



「太助!」



 私は幼い背中へ向かって叫んでいた。

 いてもたってもいられなかった。

 太助はびっくりした顔でこちらを振り向いていた。

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