【論考:文学】現代人が、哲学全集や古典を読む意義──あなたは古典を読んでいない時点で思想の自由は制限されています。

──『冥土に金は持って行けない。

   冥土からも金は持って行けない。

   しかしながら、金のある家庭、金のない家庭を選ぶことはできない。

   そこで勝負は決まっている。

   勝ち負けではなく、生きるか死ぬか。』──

☆☆☆


 2024年4月23日(火)。21時24分。


 ポケモンカードの話しかしないかもしれません。


 まさかのレトロなポケモンカードを高額買取を標榜しているお店に出会いまして。はい。ポケモンカードの評価額とか資産額とかどうでもよくて。はい。どれだけ現金化できたかそれだけだと思っている井上和音さんです。


 こんにちは。井上和音です。


 冒頭言は今、適当に思い付きました。だいたいが、「いいフレーズを思い付いたぞ!」となって、スマホかなんかにメモをしてそれを書くのですが。今回は今、冒頭言を思い付きました。


 冒頭言を見れば分かると思いますが、もう頭の中が金金金と大変なことになっています。「こんなブログはいいから、早く、レトロなポケモンカードを発掘してスリーブに入れて整理するんだ! こんなチャンス二度とないんだ! 発表日が昨日だったから、もうすぐにでも買取は終わるかもしれないんだ。明日は休みで朝一で持って行きなさい。それで貴方の今後の運命は変わるでしょう。金銭面的には」みたいな感じで。もう頭の中が「金金金時間時間時間」となっています。「教育教育教育教育死刑死刑死刑死刑」みたいになっていますが、もうそんな感じ。


 お金って不思議なもので、使うのは簡単なのですが、貰うのはとても難しい性質を持っています。頭の悪い発言をしているかのように思われますが、事実でしょう。金の為なら談合なんて当たり前ってのが世の中みたいなものでしょう。


 そうじゃないんだ。


 チャンスがある時にちゃんと動ける脳みそを持っていますかと、これは神さまからのテストだと思う。朝起きれる? ちゃんと行く? 行くだけで下手したら20万円くらいの大金が入ってくる分岐点に立っています。お金の大事さ分かってる? 貯蓄500万いけるよ。そのままNISAに行きなさい。それが貴方の生きる道。


 所得税はちゃんと払いますし、確定申告もちゃんとしますよ。アルバイトの身分なので副業レベルの収入が入ってきても問題はありません。


 早く明日になってお金がどれくらいになるか、勝負の時がやって来ました。ポケカ投資! ではなくて、小さな頃からなぜかポケモンカードは綺麗だなあと思っていて。アルバムに入れて防護して保存していました。だから満額で買ってくださいお願いします明日の査定さん!


 労働がきついって感じたことありますか。私は毎秒感じています。今日はきつすぎるのと、頭の中にずっとポケモンカードのことばかり考えていたので、午後辺りから労働が労働になっていませんでした。「手が動かないのん!」という感じで、「……ソ」って感じで固まっていました。


 セパゾン錠を飲んで副交感神経を刺激し過ぎたか。眼球が斜めを向いて身体が固まるんよな。あの現象何なのでしょうか。私はストレスに非常に弱いのでしょうか。


 変わらない日常を淡々と生きるのは簡単ですが、時に神さまは変わらない日常を一変させる試練をお送りになるときがあります。今がそれなのですが、試練というかチャンス。もう二度とないチャンス。これが終われば私はKindleを読みながらゴールデンウィークを過ごす、普通の障害者に戻ります。


 最近、セールとか言ってヤバいくらいにKindleを買っていて、虚淵玄さんの作品ならば読書においては、もう十二分に揃っています。


 どちらかと言うと、資本論が読みたい。共産党中央委員会が出している資本論は、そりゃあ、共産党員の教科書となる資本論となるわけだから、とても読みやすく、出典なんかもはっきりしている。第三分冊まで持っているのですが、dポイントの抽選の為に5000円分資本論を買いたいですね。お金使いすぎのような気がしますね。明日が終わって次第ですね。漫画ばっかり買っていると、古典が面白いと思う時もあるわけです。興亡の世界史とか、なぜ買ったのか分からない歴史書も多数取り揃えておりますが、歴史書も語学書も飽きたら、今度は哲学書でしょう。井上さんは実は哲学科出身らしいですよ。最初から哲学書を買えばよかったのにと思いますが、哲学書はKindleがないので買えませんでした。哲学書って言っても本物よ。「10分で分かる哲学全集」みたいな本では無くて、キルケゴール全集とかハンナ・アーレントとか、ちゃんとその人が書いた哲学書ですよ。何でキルケゴール全集とかが面白いかと言うと、現代ではタブーと言われていることが平気で書かれているところが面白いのです。例えば、現代で「戦争が起こったら領土が割譲されるのが当たり前よね」と、考えてみれば当たり前のことだって、現代ではタブー視されています。「ウクライナは領土を割譲して戦争を終わらせたらどうですか。お互いに犠牲は止まるのではないのでしょうか」とトランプ大統領みたいなことを日本で口走れば、「はい。お前はロシア寄りの逆張りオタク」と言われて批難の的となるでしょう。


 ところがどっこい。戦争が起こって領土が割譲されるほうが歴史を見ても、戦争をする理由においても当たり前なわけです。そんなことを忘れたり、タブー視して言わないようにして我々現代人や、日本人は生きているわけです。いつの間にやら言論の自由が消えているわけですね。本当に言論の自由を欲するならば、古典や、全集、哲学書を読むことしか、考察において自由を得ることが出来ません。我々は日々、NHKnews7などで偏った──誤解を恐れずに言えば、いつの間にか偏った、それが普通となっていた──主張を繰り返し、聞いていく中で、当たり前と思っていた思考が忘却の彼方に置いていかれたり、「どこか変だなと思う自分が変なのかな」と自分の思考に疑問を持ってしまったりします。そういう時に古典の力を借りましょう。時代が変われば人は自由に、何でも口走っている時代だらけです。脳の仕組みも知らないのにカントは認識論を説いています。これって傲慢じゃないのですかと思いますが、自由に物が書ける時代なので、人々から評価され、今でも盲目的に評価されています。「カントは脳について何か知っているのでしょうか」と哲学科のゼミで発言しても「問いを持つことは結構ですが、まずはカントを読みなさい」で一致します。カントが正しいと盲目的に信じているのですね。


 カント批判ばかりしてはあれなので、フロイトとかにいきますと、フロイトは夢分析で精神疾患を治そうとした変人と言うのが日本の中の大半の人のフロイトのイメージかと思いますが、フロイト全集を読んでみたら納得する部分も往々にしてあります。例えば、「生物は誕生する前は無機物だった。誕生してから地球が生まれてからの、わずか0.0001%ほどを有機体として存在する。その後、死んで無機物へと戻っていく。圧倒的に有機体の時代よりも無機物の時間のほうが長いために、生物ないしは有機体が自殺願望──無機物へと戻りたい──と思う気持ちは自然なことである」(引用ではありません)といったことが書かれていたりして、自殺願望は自然なことであるとフロイトが考えている文章がいくつかあります。それだけで、「死にたいと思う気持ちは普通なのか。思ってもいいのか。言ってもいいのか。自由なのか。ありがとうフロイトさん」といった気持ちになります。古典や歴史書ばかりに気を取られ過ぎて、歴史至上主義とかになるとまた厄介者にはなりますが、バランスよく古典を読むことで、現代人がタブー視する忘れられた思想の自由を取り戻すことが出来るのかなと思いました。

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