硝子の椅子

ろくろわ

割れそうなガラスの上

 1


 秋沼あきぬま部長の葬儀はしめやかに営われた。参列した人の様子から秋沼部長の人望が垣間見え、部長に対して抱いていた感情が俺だけのものでは無い事が分かった。死を冒涜するつもりは毛頭無いが、全く仕事でなければ来たくなど無かったものだ。

 ため息をつき、斎場を後にした俺の背中に聞き馴染みのある声が追いかけてきた。


吉野よしの君。もう帰るのかね」

「あっ長田おさだ課長。はい。このまま駅に向かう予定です」

「そうかい。では私も一緒にいいかな」


 長田課長は俺の隣に並ぶと駅へと向かった。特に何かある訳でもなく、自然と秋沼部長の人柄の話題になっていた。

 秋沼部長を一言で言い表すのなら『ハラスメント』である。パワハラ、モラハラetc.この世のハラスメントは彼のために有るのではと思う程だった。だからだろうか。部長の葬儀は何処か白けており、嫌悪感を抱いていたのが俺だけでない事が分かった。きっとこういった話を良く聞いていたのだろう。長田課長は肯定こそしなかったものの俺の話を静かに聞いていた。


 結局、駅に着くまで俺は部長の話をし、長田課長はそれを黙って聞いていた。そんな長田課長が口を開いたのは別れる間際だった。


「そう言えば吉野君。最近、経理保管室に入ったかな?」


 脈絡の無い唐突な話に少し驚いたものの、俺は長田課長からの仕事の一つに収支を確認する必要があった為入ったと答えた。長田課長は一言「だからか」とだけ呟いた。

 俺はその言葉が気になり、長田課長に尋ねたが「吉野君は気にしなくて良いよ」との返事で別れた。


 2


 俺は帰りの電車の中、長田課長の言葉を考えていた。あれはどういう意味だったのだろうか?それに他にも気になる事があった。秋沼部長は社用車の故障で崖から落ちた事故死だった。そしてその事故に遭う前日、俺が営業で社用車を使おうとした時、長田課長は何故か社用車の使用を認めず電車で取引先に向かうように指示をした。更にその社用車を秋沼部長がよく使う社用車と入れ替え、鍵も入れ替えて置くようにとも指示をされた。理由は部長の社用車のガソリンを入れるからと話していたのだが。

 兎に角だ。社用車の使用を禁じ、その社用車を部長の車と入れ替えておき、それが事故を起こす。こんな偶然があるのだろうか?

 一度出た疑惑はそう簡単には消えなかった。俺は明日直接長田課長に尋ねる事にした。


 3


 昼休み、経理保管室で長田課長とアポイントをとった俺は昨日の疑惑を投げ掛けた。

 長田課長はポカンとした表情をしていたものの、直ぐに笑いだした。


「吉野君。それは反対だよ」

「反対?」

「そう。あれはね、秋沼部長が吉野君に仕掛けていたんだよ」

「どういう事ですか?」


 驚く俺に、長田課長はUSBを差し出した。


「最近、会社の収支が合わない事があって調べていたんだ。そしたら部長の不正が見つかってね。そんな時、部長に聞かれたんだ。『吉野君が経理保管室に来た事は無いか』とね」

「それって」

「あぁ。部長は吉野君が何か調べていると思ったんだろうな。その後、部長が社用車に何かしているのを見かけたんだ。元々整備工の技術職だった部長だ。何かあると思って吉野君には社用車を使わないように言ったんだが、まさかブレーキが効かないように細工しているとは思わなかった」

「でもそれなら、自分ぶちょうがよく使う駐車場に停めてあったからと言って自分が細工した車に乗りますかね?」

「吉野君も知っているだろう?あの部長はそんなに細かい所は見ない。まぁ軽自動車が軽トラックになっていたら流石に気が付くだろうが、ナンバーが違う程度、確認しないよ」


 長田課長の言葉に確かにと思った。部長なら自分の指定場所に車が停まっていたらそのまま使うだろう。


「そういう事だよ吉野君。ではそろそろ私はこの調査資料を出してくるから。まぁ今となっては死人に口無しだけどね。吉野君、君は気にしなくて良いよ」


 長田課長はヒラヒラと手を振り部屋を後にした。


 4

 後日、長田課長の告発通り経費の横領が見つかり、秋沼部長の痕跡が幾つか見つかった。既に秋沼部長は死んでおり、当初事故死とされていたのも不正がバレた事による自死とされ、これ以上の調査はされず、まさに死人に口無しとなった。


 だが、果たしてそうだろうか。


 俺は長田課長が言ってたこのの言葉が気になっていた。これは無実の罪を被る時に使う言葉だ。

 車のナンバーすら確認しないぶちょうが帳簿をいじれるのだろうか。それに事故を起こした社用車がブレーキの不具合だなんて誰も知らない事だ。もし仮に部長が事故で死ななかったら、きっと車を調べブレーキの不具合が見つかっていただろう。その時、一番怪しいのは事故直前に車の位置を不自然に動かした俺だ。あと長田課長も整備工の技術職だったし、何より数字にも強い人だ。

 そう考えると、急に自分の足元が薄いガラスで出来ているような危ういものだと気が付いた。


 俺は後味のにが無糖珈琲ブラックコーヒーを一口飲むと転職サイトを眺めた。



 了

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