『ちぎられた手紙』

涼宮 和喣

第1話

 小川にかかった橋の上で、一人の女子高生が手紙をちぎり終える。

 春風に舞う紙片は、陽光でまぶしく光り、ゆっくりと小川に落ちていく。

 その様は、葉桜が並ぶ河川敷で、まるで花びらのようだ。

 こんな景色をもう何度も見た気がする一方で、少しも目は逸らせられない。

 不自然にゆっくりと流れる時の中、ベンチに深く腰掛け、最初のひとひらが水面に浮かぶところを見届ける。

「彼女を助けないんですか?」

 誰かがそう語りかけてくる。それで少し考える。

 欄干らんかんにもたれる物憂げな女子高生に、助けは必要だろうか。

 手紙だったものは、例外なく墜落し、水面に沈む。誰かの想い、ないし、誰かへの想いは、望まれない形で完結する。女子高生はそれらを承知しているだろう。

「あの子の意思を尊重したい。諦念ていねんに口出しは無用だと思う」

「いいえ、彼女は、小木おぎ結菜ゆいなさんは、きっと貴方を待っています」

 誰がそんなことを言えるのか。

 声のする方に振り向こうとして初めてカナシバリになっていることに気づく。かと思えば、視線はひとりでに女子高生の暗い表情を捉えようと動く。

 なんてことはない……身体の主導権は相手にあるらしい。

「真相をお教えしましょう」

「心の機微に真相などないよ」

「まあまあ、お聞きになって下さい……小木さんは全てを諦めるために手紙をちぎりました。叶わぬ恋を悟ったからです。宛先人は、誰よりも小木さんの傍にいたのに、別の人と結ばれてしまいました」

 紙片の落ちる速度が一層遅くなる中、小木さんは小さな口を開け、長いため息を吐く。

「そして、その遠因は彼女にあります。だから小木さんは、恋文だった紙片が水面に沈むときを見届けて、宛先人への想いを諦めようとしています。つまり、いまなら間に合うわけです。そして、小木さんのもとに颯爽と現れるべき宛先人こそが貴方です」

「……俄には信じがたい話だな」

大木おおき悠真ゆうまさん。いまの貴方は、なぜここにいるか、いいえ、ご自身の名前さえ、本当のところわからないのではありませんか?」

 少し考えて、その言葉が的を射ていると知る。

 ここにいる理由はさっぱりわからないし、大木悠真という名前も微かに覚えている程度だ。

「あんた、一体何者だ?」

「深層心理、とでも名乗っておきましょう」

 深層心理が口角を上げるのを感じる。そうして初めて、いままで脳内で話し合っていたことに気づく。

「改めて聞きます。大木悠真さんは小木結菜さんを助けないんですか?」

 視界は必死になって小木さんの表情を観る。

 ため息を吐く顔が少しずつ上がり、前髪の隙間から精彩を欠いた瞳が覗く。

 何か力になりたい気持ちが胸底に芽生える。だが、言葉はなにも浮かばない。深層心理から聞いた話だけでは、ちぎった恋文の宛先人にできることはない。

「助けたいが、助からないだろう。いまのままでは、小木結菜さんを助けられるのはあの子自身だけだ。だから、もう少し詳しく話を聞かせてくれないか」

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