第16話 カーディ子爵家

 ヘルガートの街の北東にはこの地を治めるカーディ子爵家の屋敷がある。


 カーディ家はベイルの王国の中では比較的新しい子爵家だった。辺境の開発を任せられた一代男爵グスタフ・カーディが魔の森を切り裂いて開拓し、その功が大いに認められて子爵位を叙爵されたのが始まりだ。


 最近では冒険者と商人が流入し、大いに栄えていると評判の子爵家であった。表向きは……。


 現在の当主はミハエル・カーディ。まだ十五歳。父親の病死により、急遽後を継いだ新米領主。


 後ろ盾になるはずの叔父デビッドはカーディ子爵家の財産を狙い暗躍。商人と結託し、ミハエルの持つ利権を少しずつ剥がしていた。


 若く、真っ直ぐなミハエルは老獪なデビッドや商人にとって与しやすい相手だった。





 ミハエルの執務室。領主館も兼ねる子爵家の屋敷には毎日、様々な人が訪れる。


 ヘルガートの街を回す官吏はもちろん、憲兵長や各ギルドの長が時間関係なくやってきては、「予算が足りない」「殺人事件が発生している」「麦が値上がりしている」と厄介事をミハエルの前に並べた。


 本来、このような細かい案件は領主が直接処理するようなものではない。しかし、当主交代のタイミングで優秀な高等官がデビッドから暇を言い渡されており、全てがミハエルにのしかかっていた。


「ミハエル様。冒険者ギルドの支部長が面会を希望してやってまいりました。何やら緊急の要件らしいです」


 執務室にやってきた官吏がミハエルに告げる。


「緊急の……? 通してくれ」


 ミハエルが許可すると、近くで待機していたのだろう。ギルド支部長はすぐに現れた。その額からは脂汗が流れている。


 執務机の前に立つと、一度大きく息を吸い込んでから話し始めた。


「ミハエル様……! 魔の森でゴブリンを中心とした魔物の大量発生が起きています……!!」

「なに……!?」


 まさかの報告に、ミハエルの顔からは血の気が引いた。


「規模は……?」

「ゴブリンどもは地下に巣を広げており、数は不明です。ただ、過去の事例からは五千は下らないかと」

「そんなに……!? 一体何が原因でこのような事態が?」


 ギルド支部長は汗を拭い、ひと呼吸おいてから口を開いた。


「ゴブリンの王。ゴブリンキングが生まれたのではないかと、魔物研究家は話しています」

「ゴブリンキング……」


 ミハエルは眉間に皺を寄せ、険しい顔を作った。


「王が生まれると、その種族はすさまじい速度で繁殖するそうです。そんなことでもない限り、弱い魔物であるゴブリンが一気に数を増やすことはありえない。というのが研究家の意見です」

「ゴブリン達が森から出てくる可能性は?」

「……あります。王の存在は魔物を狂暴化させるそうです。人間への敵意が爆発すると、魔物は津波になって街へと押し掛けます。これは、歴史上なんども確認されていることです……」


 ギルド支部長の無慈悲な宣告。十五歳のミハエルが受け止められるわけもない。


「一体……どうすれば──」

「討伐隊を組織するしかない。もちろん、それを率いるのはミハエルだ」


 突然執務室にあらわれ、強く提案したのはミハエルの叔父、デビッドだった。


「討伐隊……ですか?」

「そうだ。魔物が森を出る前になんとかしないと、街に甚大な被害が出る」

「しかし、子爵家の常備兵は百程度です……」


 ミハエルは「無理だと」デビッドに主張した。


「だから、ミハエルが直接討伐隊を率い、冒険者に参加を打診するのだ。今やヘルガートの街には三千を超える冒険者がいる。子爵自らが討伐隊に参加すると言えば、貴族との繋がりを求める冒険者は必ず動く」


 ミハエルは視線を泳がせ、ギルド長に意見を求めた。


「冒険者達は討伐隊に参加してくれるだろうか?」

「報酬が約束され、ミハエル様が率いるのならば……」


 ギルド支部長もデビッドの案を推す。二人に挟まれ、ミハエルは断ることは出来なかった。覚悟を決めた顔付きになる。


「分かった! ゴブリンキング討伐隊を結成し、私が隊長を務める! 支部長には冒険者への周知をお願いしたい」

「承知致しました。それでは詳細を詰めさせてください」


 ギルド支部長はミハエルと一緒に、報酬や討伐隊の編成について議論を始める。


 デビッドはその様子に満足し、「後はミハエルに任せる」と執務室を出て行った。その口元を歪めて笑いながら……。



#



「おぉ、これはデビッド様。いつもお世話になっております」


 ミハエル・カーディ子爵の叔父、デビッドが訪れた先はアスター教の聖職者派遣所だった。子爵家とアスター教のやり取りはデビッドが間に入っていたので、職員とは顔見知りであった。


 もちろん、デビッドは料金を誤魔化して差額を着服していたのだが……。


「今日は折り入って話しがあってな。司祭はいるか?」

「ええ。おります。少々お待ちください」


 しばらくして、デビッドは派遣所責任者である司祭の部屋に通された。でっぷり太った男が気怠そうに立っていた。


「どうぞお座りください」

「うむ」


 司祭とデビッドはほぼ同時に革張りのソファに腰を下ろす。


「さて、本日はどのような要件でしょうか?」

「魔の森でゴブリンが大発生している件は知っているか?」


 一瞬、司祭の顔が強張る。


「いえ、存じ上げませんでした。そんなことが起きているのですね」

「あぁ。今日、冒険者ギルドの支部長から連絡があった。そして、カーディ子爵が討伐隊を率いることになった。そこで……」


 デビッドは声を潜める。司祭は何事かと身構えた。


「アスター教の司祭、助祭にも討伐隊への参加を依頼することになるだろう。そこで頼みがある。何があっても、ミハエルの怪我を治療しないでほしい」

「……!? なんと……!?」

「ポーションは前線。司祭についてはミハエルの傍に配置する。その陣形の中、強力な魔物がミハエルを襲う。しかし、司祭の治療は間に合わず、ミハエルは……」


 司祭は緊張で息を荒くした。


「私だけでは決められません……」

「であれば、ドラッチオ司教にも話を通してくれ。私が領主になればアスター教への寄付を倍にすると伝えてほしい」

「……か、かしこまりました!」


 司祭は額から汗を流し、やっと返事をした。それを見て、デビッドは満足した様子でソファから立ち上がり、またせわしなく別の場所を目指して歩き始めた。

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