第24話 帰したくない!

「なんであんなこと言ったんです?」

 また雪が降りはじめ、王都まで帰ることができないため、用意された客間にユノが引き上げた後、美玲はリュストレーに尋ねた。

「私、別に、この国のお金要らないです。私の望みはとりあえず……」

「ニホンに帰ること、だろう?」

「そうです。もうお話も書き終わったし、めでたく書籍化もできそうなんですから、そろそろ本腰を入れて、私の帰還方法を探してくれないと!」

「わかっている!」

 リュストレーは珍しく声を上げた。

 立派だけれど、雑多に物が散乱していた彼の執務室は今、割と綺麗に片付けられている。リュストレーの指示を受けながら美玲が、掃除をして整理整頓したのだ。

 家具も増えている。

 今二人が座っているのは、暖炉の前におかれた長椅子だった。

 飲み物はトーメが入れてくれた濃いお茶だ。

「なんで、そんなに不機嫌なんですか?」

「不機嫌にもなる。私はそなたに求婚したのだぞ。帰還方法は探すが、もし戻れなくなったらと思うと」

「それはそうですが、一度来られたんだから、なんとなく大丈夫だと思うんですけど。条件さえ合えば」

 美玲にだって確証があるわけではない。リュストレーの異能の発動は、非常に無作為なのだ。

 日本での生活に未練があるかと言われたら、実はそうでもない。十九年間の人生の中に華やぎはほとんどなかった。

 しかし、無責任にこの世界に来てしまった罪悪感は、どうしても残ってしまう。そもそも貧乏性なのだ。

「ミレ、私はお前の言に従って、生活を変えた。夜は眠るようにしているし、適切な食事も取っている。最近ではあばらも少しは目立たなくなっている。見るか?」

 そういいながらリュストレーは、シャツをまくり上げようとするので、美玲は慌ててその手を押さえる。

「ちょっ! 脱がないでください! でも、生活が整うのはいいことです。昔はきっと健全なお体だったんだから、もっと食べて、鍛えてくださいよ。きっと格好良くなりますよ。元がいいんですから。」

「格好良くなったら、もっと私を見てくれるか?」

「え?」

 リュストレーの骨ばった大きな手が、美玲の肩をがっちりと掴んだ。

「今までの関わりから想像するに、ミレは見た目が良くて、生活力のある男が好きなのだろう?」

「それはまぁ……たいていの日本の女の子がそんな男性が好きだと思う一般論で……」

「だからミレもそうなのだろう? そういう男に私はなる!」

「そんな……どこかの海賊みたいなこと言われても!」

 美玲はもごもごと口籠る。

 本当は彼女にだってわかっている。

 これはリュストレーなりの不器用な愛情表現なのだ。

 プロポーズは少々唐突で面食らってしまったが、彼は王太子で帝王教育は受けているだろうが、逆に言えば、身内以外の身近な人間との豊かな感情のやり取りは、はなはだ経験不足なのである。


 要するに純粋培養の王子様なんだ。


「逃げてばかりいた私では嫌か?」

「前にも言ったけど、それは不可抗力で無理のない話です。あなたに責任は、まぁあまりないでしょう」

「だが、敵に斬られそうになった私が転移したおかげで、重傷を負った将官がいるのだ」

「……え?」

「ユノだ」

「ユノさん!?」

 ユノの頬には大きな切り傷があった。

 出版を司る、文科系の人だという思いがあったので意外だったが、確かに姿勢が良く、軍人らしいきびきびとした動きだった。

 だが、リュストレーのかつての知り合いだというので、そんなことは気に留めなかったのだ。

「彼は戦いの最中、目の前から私が突然消えてしまったことに動揺し、咄嗟に目の前の敵に向き合えなかった。一瞬の遅れでユノは重傷を負った」

「あの頬の傷はそういう訳だったのですか……」

「頬だけではない。服で見えないだけで、体にはもっと大きな傷もある。一年くらいは王宮の病院から出られなかったほどだ」

「でも、それも不可抗力ですよね。リュストレー様のお気持ちはわかりますけど、戦争に出る軍に所属するなら、負傷はもとより死の危険もあったはずですし、リュストレー様を恨んでいる様子もありませんでした。傷も綺麗に縫合されていたし、おそらくこの国で一番の治療を受けられたのでしょう?」

「そうかもしれない。だが、原因が私にあることには変わりがないし、おかげでユノは軍からも引退せざるを得なかった。優秀な将官だったのに」

「ユノさんは軍に戻りたいと思っているのですか?」

「聞いたことはない。ただユノの家はもともと文官で、軍を志したのは彼だけのようだ。私に記述を勧めてくれたのも彼だし」

「なら、気に病むことはないんじゃ。お顔だって、傷はあるけど、綺麗に治っていますし、なんなら日本じゃ、傷跡なんかネタになるくらい、かっこいいですし!


 まぁその……傷跡がある、物語の登場人物って結構多いってことだけど。


「格好いい? ユノは格好いいのか?」

「えっと……」


 あれ?


 気がつくと美玲はリュストレーの腕の中にいた。

 すっかり話に夢中になって気がつかなかったが、大きな長椅子に座って話し込んでいるうちに、二人の距離は少しずつ狭まってきていたのだ。

 リュストレーによって。


「ミレ、帰還方法は探る。でも、私の元から去らないでくれ。帰したくない!」

 何が起きたかとっさには理解できなかった。

 痩せているとはいえ、リュストレーの胸は広く、それなりに力もある。

 インクの染みがうっすら残る長い指が、美玲の顎をとらえた。

「……」

 口づけされていると美玲が理解したのは、まきの燃え崩れる音を聞いた時だった。

 

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