第21話 親しき? 中の共同作業

 その日から、美玲とリュストレーの共同作業は進んだ。

 共同作業という言葉に、妙に引っかかる美玲の感想は別としても、彼が猛然と小説を書き出したのは三日前。

 以来寝る時と食べる時のほかは、ほとんどこの部屋で、彼の質問に答え、文章を推敲し、一緒になって作業をした。

 今までどちらかというと、停滞気味だった二人だったが、物語創作という身近な目標ができたことで、なぜだか意欲が出てきたのだ。

 リュストレーの昼夜逆転生活も、以前ほどでなくなり、ぎりぎり宵っ張りと言えるほどにはなり、日付が変わる頃には眠り、午前中には起き出すようになってきている。

 しかも、長年の罪悪感からくるこだわりを自分なりに、変革しようと努力して、普通の食事を摂るようにもなった。そのおかげで、目立っていた浮き出た鎖骨や肋骨も少しずつ埋まってきている。げっそりけた頬も、鋭いと思われる程度にまでなった。もともと筋肉質な体格だったのだろう。

 これで筋トレでも初めてくれたら、すぐに元の美丈夫に戻れるのではないかとさえ思う。

 なによりあんなに、暗く引きこもっていたリュストレーが、美玲の生活スタイルに合わせようと、努力してくれていることが素直に嬉しい。

 彼女はずっと、家族や同僚、上司、利用者の顔色を伺い、気を使う生活をしてきたのだから。


「ミレの衣服や靴の様子から察してはいたが、ニホンの科学や文明はかなり高度なものなのだな。そなたがよく言うスマホという板の仕組みは、理解不能だが素晴らしい!」

「確かにそうですが、ほとんどの人は仕組みも知らないで、スマホやPCを使っています。食う、楽しむ、学ぶ、働く、そして休む。生活の基本は昔も今も変わってないです」

「ふむ。すると感情が理性を超えても不思議じゃないな。ヒロインのミレは婚約者の悪役令嬢が本当は優しい娘だと、王子に告げて身を引こうとする」

「まぁ、元の世界では普通の女の子ですもんね。王宮の生活は無理ですから」

「しかし、王子が真実の愛を告げて、二人は結ばれる」

「あ、そこは、さらっと流しましょう。間違っても、初夜のあれこれは無しで!」

 美玲は力説した。自分をモデルにしたヒロインに、あれやこれやされるのは非常に気恥ずかしい。

「そ、そうだな。それから結末だが、次元の狭間が開いてミレは元の世界に帰るのだが、私はここを修正して、二人は末長く一緒に暮らすとしたい」

「え?」

 美玲は真剣な様子のリュストレーの瞳を受け止めかねて、つい目を逸らしてしまった。

「最初の筋書きと違うのでは?」

「ああ、でも、きっとその方が、読者が受け止めやすいと思うのだ」

「割と俗っぽい事考えるんですね。意外〜」

 真剣な話にならないように、冗談めかして美玲は曖昧な笑顔を作った。

「そもそも物語を書いて、人に見せるという行為が俗なのだ。それに俗とは悪いことではなかろう。人は高尚なかすみを食って生きているわけではないからな」

「先日までずっと霞を食ってたような人が、ずいぶん人間らしくなりましたね!」

「私をもっと好きになったか? ミレ」

 長い腕が伸びて肩を抱く。この手が振り解けないことを、もう何度も美玲は経験積みだ。仕方なく、痩せた大きな猫の好きなようにさせてやる。そうすると彼はますます前向きになるのだ。


 確かに可愛くないことはない。

 いずれ飽きられてしまうにしても。


「えっと、とりあえず仕事を進めましょうか!」

 リュストレーに肩を抱かれたま、資料の山に手を伸ばした。

 ──そして七日の後。


「できた!」

 すっかりぼろぼろになった原稿用紙の束をかき集め、リュストレーは美玲に手渡す。

「ミレ! 君のおかげで、私の人生初の小説ができた!」

「よかったです。お役に立てて何よりです」

 床に散らばった、丸めた紙屑や、資料本などを拾い集めながら美玲は返事をする。

「じゃあ、このお部屋、ちょっと掃除をしますから、軽く何か召し上がってきてください」

「掃除なんてどうでもいい。食事なら、ミレも一緒に行こう。今なら晩餐だろう。食堂に行こう」

「あら?」

 美玲は意外そうにリュストレーを見つめた。

「食堂で、一緒に?」

 この屋敷の広い食堂は、利用されなくなってから久しいとトーメは嘆いていたのだ。

「そうだ。美玲はトーメに知らせてきてくれ。わたしはもう一度、原稿を読み返してからいくから」

「……わかりました」

 最近のリュストレーは以前ほど人の姿を毛嫌いしなくなったので、使用人たちも普通に仕事をこなしている。話すのはセバスティンとトーメだけだが。

 そのリュストレーが夕ご飯を食堂で取ろうというのだ。


「本当でございますか! ミレ様!」

 美玲から伝言を聞いたトーメは、泣かんばかりに喜んだ。

「あのお方が食堂に降りて来られるなんて、何年ぶりでございましょう! 急いで料理人に伝えてこなくては!」

 そしてしばらくして、食堂に降りてきたリュストレーを、トーメとセバスティンが最深礼で迎える。

「主人様、晩餐の用意ができております」

「ご苦労」

「あれ?」

 美玲は目を見張った。

 いつもの薄汚れたガウンではなく、白いシャツの上に、簡単な黒い上着を羽織っている。決して華美ではないが、仕立てがいいために彼の姿を一層引き立てていた。

「そんな服も持っていたんですね。素敵!」

 美玲は見惚れてしまわぬように、必死で自制しながら誉めた。その気持ちは本心だ。

「でも、長く袖を通さなかったから、痩せて少し大きいな」

「よくお似合いです」

「そうか、よかった。さぁミレ」

 リュストレーが腕を差し出す。

「なんですか?」

「知らないのか? こうするのが礼儀なのだ」


 あなたに礼儀を教えられる日が来るとは思いませんでした。


 という言葉は飲み込み、美玲はその腕を取った。日本でも男性にこんなことされたことがない。そもそもフォーマルな場にいたことがないのだ。

 二人で大きな扉をくぐる。

 古い食堂はさほど豪華でも広くもないが、重厚な作りで、どこもかしこも磨き上げられている。

 その中央の大テーブルの上座と下座に、二人は座った。

 美玲は普段は自分の部屋か、リュストレーの仕事場で食事をしているので、この食堂で食べるのは初めてである。

「遠いな」

 大テーブルの向こうからリュストレーが不満を漏らした。

「仕方ないでしょう」

「セバスティン。今後もっと小ぶりなテーブルを用意するように」

「かしこまりました」

 運ばれてきた料理は、焼きたてのパンに、濃いスープ、細く彩りよく切った野菜の束に肉を巻いて焼いたものである。

「美味しそう……リュストレー様、食べられるものを言ってください。私がお取りします」

「では、美玲が食べるのと同じものを少し」

 二人は黙って食事を取る。二人はすでに沈黙の時間を共有できるようになっている。黙っていても、気まずいこともない。しかし、話を向けたのはリュストレーだった。

「ミレ、わたしはもっと食べるべきだと思うか?」

「えっ!? あ、はい思いますが、今まで極限まで食事の量を控えていたのに、急に多量に摂取すると胃が受け付けませんよ。ゆっくりやりましょう」

「そうか。ミレは思慮深いな。私は少しでも自分を浄化したくて、以前のような食事に変えたのだ」

「もう十分だと思います。でもこれからはタンパク質……つまり肉や卵を毎回の食事に取り入れましょう。満遍なく栄養を摂らないと、病気になりやすく怪我をしても治りにくくなります」

「わたしが病気になっても、怪我をしても困る者はいない」

 その言葉を聞いて、トーメやセバスティンが悲しそうな顔をするのに美玲は気がついた。貴族にとって召使は、人の数に入らないのかも知れなかった。

「私は悲しみます。そしてこの場にいる皆さんも」

「ミレが悲しんでくれるなら、私は満足だ」

「いやいや、そうじゃなくって! 私や皆さんが悲しまないように、丈夫になってくださいよ。バランスの取れた食事、太陽の元での適度な運動、良好な人間関係、これが人間を強くします。いざという時、大事な人を守れるように」

 自分には、どれも欠けているくせに、美玲は大いばりで正論を述べた。

「いざという時、大事な人……守る」

「リュストレー様だってまだお若いじゃないですか。この先何があるかわからないです。生きていくにはとにかく健康ですから」

「……」

 リュストレーは美玲の顔を見つめたまま、黙り込んでいる。話題を変えようと美玲は機転をきかせた。

「それで、あのっ……完成した原稿はどうするんですか?」

「ああ、あれは、明日にでも王宮の出版部にいる知合いに届ける。まずはその道の職業人プロに出来栄えを評価してもらいたい。結果、出版できずとも仕方がないとは思っている」

「え〜、せっかく書いたのに」

 結構張り切って、日本の文化や歴史、自分の職業観や人生観、ひいては物語の構成にまで口出ししてきたのに、なんだかもったいないと美玲は思った。

「プロの評価も大事だけど、出版した後の読者の評価も大事ですよ。リュストレー様、もっと自信を持ちましょうよ」

「自信……か。持てたらいいな」

 リュストレーはそう言って、ミレイが運んできてくれた、肉を口にした。

 その歯は真珠のように美しかった。


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