03 おっちゃんと俺(2)

 おっちゃんは、『海辺の町』の中心部から少し離れたところにある、広い敷地を白い壁で囲った屋敷の前でトラックをめた。

「大得意様に真っ先に届け物を渡すのが決まりでな」

 トラックがそのまま通れるほどの大きさの黒い鋼の門。愛作は幾度かくぐったことがあった。

 門の横に打ち付けてある飾り板には、呉井と刻まれている。

 町で権勢を誇る呉井一族の洋館。

 どこからか見ていたのか、門扉が自動で内側に開かれる。

 おっちゃんは丁寧なハンドルさばきで、門から三十メートルほど奥にある屋敷正面玄関までトラックを進めた。屋根付き車寄せの近くに停車すると、愛作と葉月に「そのまま乗ってな」と言って自分は降車する。機敏にトラックの後方に回ると荷台の扉を開け、呉井家に納入する荷物を取り出し始める。

 すると、分厚いかし材の玄関扉が開き、黒いスーツ姿の屈強な体格の人間の男が姿を現した。

「どうもどうも。今日もいい天気…いつもの曇り空ですね」

 おっちゃんが頭を下げて愛想よく挨拶したのを無視した男は、いかつい顎をクイッとしゃくって、玄関の中に荷物を運べと指示する。

「嫌な感じ」

 窓からその光景を見て、愛作は顔をしかめた。

 おっちゃんがいくつかの荷物を玄関口に運びこむ作業を、腕組みしてにらみつけている男の顔に、ちゃっちゃと済ませろやと書いてある。

 愛作は、男が呉井家の運転手兼ボディーガードだと知っていた。自分が呉井家を訪問した時も、あの男は人を人と思わない態度で接してきた。今それを客観的に見たことで不快な気持ちがこみあげてくる。

「あのひとは『支配層』じゃない。ただの人間のくせに、呉井家に雇われてるってだけで偉そうにしやがって」

 と、声に出た。運転席のドアは閉まっているため、それが聞きとがめられることはなかった。

「お兄ちゃん。今の言葉よくないよ。ただの人間のくせにって、わたしたちも人間だよ。おっちゃんが心まで卑屈になるなって言ってたよね」

 葉月の鋭い指摘が胸に刺さった。妹は小学五年生だが大人の言葉を理解する聡明そうめいさを持っている。

 あの男がおっちゃんや自分にとる態度がひどいのは事実だ。しかし、『支配層』じゃないという理由で偉そうにするなと考えるのは、もし男が『支配層』だったらそういう態度をとられても構わないということだ。

(自分で自分を差別の枠組みに入れ込んでるじゃないか)

 葉月が大きな瞳でじっと自分を見つめている。

「葉月の言う通りだ。兄ちゃん、おっちゃんの言葉をわかったようでわかってなかった」

 先ほど、おっちゃんがしたように、葉月の頭にポンと掌を乗せる。

 母譲りの白い小顔に屈託のない笑みを浮かべた葉月に、

(これからは下を見ずに前を見ていくぞ)

 と、誓うようにうなずいた。


「おい、配達屋。僕の父宛に本が届くはずなんだが」

 聞き覚えのある声のした方に愛作は顔を向ける。

 樫材のドアから出てきた少年が、腕組みを解いてかしこまる男を片手で押しやり、車寄せに立つおっちゃんに問いかけていた。

 ダークブラウンの髪を神経質そうにいじるのは彼の癖だ。

 呉井さかき。愛作より三つ年上の呉井家の跡取り。

「こんにちは、榊さん。旦那様宛の本ですか。ありますよ。これです、どう…」

 どうぞ、と言い終わる前に呉井榊は、おっちゃんの差し出したA4サイズの分厚い封筒をひったくる。

 封筒の表と裏を確認すると、おっちゃんには目もくれず、

「よし、傷はついてないな。行っていいぞ」

 と、用済みだから消えろとばかりに手をひらひらとさせた。

「はい、毎度どうも」

 慣れてるのだろう。おっちゃんは不遜ふそんな少年に一礼し、荷台の扉を閉める。

 呉井家の運転手の男の態度に不快感を抱いた愛作だが、呉井榊の同様の非礼さにはさほど感情が波立たなかった。

 呉井家は『海辺の町』の『支配層』でもトップクラス。その家の将来の主人となる呉井榊はそう振る舞って当然というが抜けなかった。

(おっちゃんに言われたからって『支配層』はやっぱり苦手だな……)

 榊は本を片手に愛作の乗る車に近づいてきて視線が合った。愛作の背筋がピンと張る。

「…愛作か。降りてこい。たまにはお茶でも飲んでいけ」

「ん、少年は榊さんと知り合いなんか」

 運転席に戻ってきたおっちゃんがシートベルトを締めながら声をかけてくる。

「知り合い…というか、おっかない先輩だよ」

 榊の言動は、常に上から目線の俺様ではあったものの、彼は『支配層』の中でただ一人、愛作を罵倒したり、パシリに使わない上級生でもあった。何度かこの屋敷に招かれたこともある。

 愛作は緊張しつつも、助手席外側の葉月に先に降車してもらい、後に続く。

「大丈夫か?」

「榊さんは典型的な俺様だけど、外の町のやつらみたいに殴ったりはしないから。おっちゃん、今日はありがとう。また会えるよね?」

「この町には月に何度か来ているからな。会えるだろうさ。おっと、これ忘れるなよ」

 と、おっちゃんは愛作が死守した葉月の帽子と、同級生に頼まれたスマホケースの入った紙袋を手渡した。

も忘れんなよ」

 下に向けた視線をまっすぐ前に上げる仕草をしてからにっこり笑う。

 トラックは呉井の屋敷を去っていった。

「忘れるもんか」

 愛作は小さく呟いた。

 彼の視線は自分より少し背の高い榊が放つ鋭い視線をしっかりと受け止めていた。

 葉月は兄の横でそのさまを見上げて微笑ほほえむ。

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