03 おっちゃんと俺(1)

 おっちゃんが運転するトラックが幹線道路をはずれ、人家の少ない脇道に入ってから数分もしないうちに、視界が殺風景な荒地で占められるようになっていく。とうの昔に耕す者がいなくなった田畑には雑草が生い茂り、時折見える建築物はどれも傷んだ廃屋ばかり。道路舗装もところどころ剝がれており、その上を通るたびに、座席がゴトゴトと縦に揺れる。

「毎度この悪路は嫌になるぜ。まあ、この先に人が住んでるなんて誰も知らないから、自治体が予算をつけてここを舗装することはないだろうがな」

 ハンドルを握るおっちゃんはアスファルトの陥没部分をできるだけ避けるようハンドルを動かす。

 その隣には愛作あいさく、助手席窓際の席には葉月はづきが座っている。

 おっちゃんは「お前ら『海辺の町』の子だろ。ちょうど行く途中だったから送ってやるぞ」と言い、さらに自分のことを、『おっちゃん』と呼ぶように言った。

「あの……『海辺の町』のことをどうして知っているんですか」

 おずおずと尋ねる愛作に、おっちゃんは、

呉井くれい家から、『海辺の町』に必要な生活物資や機器の類はおっちゃんが運ぶよう依頼を受けたんよ。あの町はだ。住民の何割かはおいそれと町の外に買い出しなんか行けやしない。だから、注文いただいたブツを定期的に届けてるおっちゃんがいるのさ」

 と、返した。

 『海辺の町』は住民でない者の出入りをシャットアウトすることで、町自体の存在、そして住民の忌まわしい血脈が知れ渡ることを防いでいる。しかし、町のインフラ維持や生活必需品、嗜好しこう品などは外部から調達せざるを得ない。そこで町の実力者である呉井家が選定したごく一部の人間に秘密を守ることを条件に、莫大ばくだいな報酬を与えて奉仕させている。

 おっちゃんはその一人ということだ。

「日本にはあちこちに買い物困難地域っていうのがあってな。店が近くにない、高齢化が進んで遠くの町に買い物に行けない、なんて事情を抱えた土地がある。そこにトラック転がして物を売りに行ってる業者がいるんだ。おっちゃんの仕事もそんなもんよ。ただ、相手が、ちいとばかり人外なだけでな」

 後ろの荷台には発電機や、数カ月分のトイレットペーパー、チェーンソー、外国から取り寄せた希少な書籍や骨董品こっとうひんなど様々な品が積んであるそうだ。

 呉井家は『海辺の町』の『支配層』の一角を担う有力な家でありながら、おぞましい魚の血が一滴も入っていないという。人間だという理由で『支配層』にあごでこき使われ、蔑まれる町のおきてから超越した存在であった。

「呉井家は特別だから……」

 愛作のつぶやきをおっちゃんが拾った。

「特別? 人に特別も普通もあるもんか。人は誰でも同じだ」

「おっちゃんだって呉井家が特別だから、町に出入りできるんでしょ」

「そりゃよ、雇い主だから」

「そういう意味じゃないです。これまでも町に入れてたなら、おっちゃんにもこれがあるはずでしょう。呉井家に刻まれたこれが」

 愛作がシャツの左袖を二の腕までまくり上げると、上腕の外側にある蚯蚓みみず腫れがあらわになった。いや、注意深く観察すると、それは遠い異国の象形文字めいた何かであり、意図的に刻まれたものだとわかる。

 愛作は軽く己の下唇をみ、その奇妙な刻印をおっちゃんに見えるように向けた。

 おっちゃんはそれにチラリと目をやり、

「ある。運転中なんで見せられんがな。いいからそれ早くしまいな」

 と、促した。少年の刻印に対するネガティブな気持ちを感じ取ったのだろう。

 袖を伸ばした愛作はフロントガラスから視線を自分の足元に落とす。

「もう町に着くよ。車だと早いね」

 と、葉月は言うのだが、窓外に流れる景色は相変わらず過疎の荒地続きで、前方に海はちらりとも見えない。

 トラックは行き止まりになった道を減速せずに進む。道の果てには灰色の岩壁が立ち塞がっており、ブレーキを踏まないと衝突して大惨事になる。

 しかし、トラックの三人は、フロントガラスいっぱいに広がってくる岩壁におびえることも慌てることもない。おっちゃんは愛作に語り掛ける。

「おっちゃんな、呉井家から、よその仕事の三倍の報酬を払うって言われたんだ。世知辛い世の中さ、そりゃあ二つ返事よ。呉井家が提示した条件は四つ。『海辺の町』の専属で働くこと、業務上知りえた秘密はらさないこと、町の『支配層』に敬意を払うこと、それで最後の四つ目が…」

 その時、トラックの鼻先が岩壁に接触した瞬間、トラックは最初からそこを走っていたかのように、曇天の『海辺の町』の道路を進んでいた。

『海辺の町』に出入りするために必要な魔術刻印を呉井家から刻まれることだったのよ」

 フロントガラスの向こうに曇天と同じ色をした海のうねりが見える。

 道の両側の荒地は消えて、愛作や葉月が通う学校や缶詰工場に切り替わっている。

 先ほどまでの悪路から一転して、きれいに舗装された道路を走るトラックは、ヒョコヒョコと歩く中年女を追い越す。


『海辺の町』。それは結界の中に存在する現代の隠れ里である。

 この町は行政機関に知られることなく、近隣地域の住民との交流もほとんどない。

 年中豊漁の魚介類とその加工品を非合法に流通させることによって、豊かな財政は支えられている。

 憲法は適用されず、『支配層』と自称する邪神奉仕種族により一方的に治められている。人間は出生時に刻まれる魔術刻印により、結界を出入りする資格を得ると同時に『支配層』への服従を強制される。

 それが愛作や葉月が生まれ育った場所である。

 愛作と葉月に絡んできた少年たちが、「見ねえ顔だな。お前どこちゅう?」と聞いてきても答えられるはずがない。少年たちは『海辺の町』の存在を認識しておらず、ましてやそこに異形と人間が通う学校があるなど夢にも思わないだろう。

「おっちゃんは僕らをこの町の同胞だってわかったから助けてくれたんですか」

 愛作の問いに、おっちゃんは前を向いたままで、

「どこの人間だとかを基準にしてお節介なんかやくもんかい。目の前で起きてることを見過ごせなかったってだけだよ」

 と、淡々と答える。

「この町では人間だっていうだけで下に見られる。町の外に出たって僕らはよそ者でしかない。どこに行ったって邪魔者なんだ。好きでここに生まれたわけじゃないのにさ」

 愛作は下を向いて言い放つ。おっちゃんに優しくされたことで普段押し殺している気持ちがほとばしり出てしまった。

 おっちゃんはハンドルから左手を離し、愛作の頭に厚みのあるてのひらをポンと乗せた。

「生まれや立場、ましてや外見で差別はしちゃいけねえよな。お前が『海辺の町』でどういう目に遭ってるかは想像はつくが、だからといってお前もひとを蔑むようなまねはするな。それを理由にして心まで卑屈になるな。そりゃ、現実には上下関係ってのはついてまわる。でもな、いちばん大事なのはお前が差別する側にまわっちゃいけないってことよ。どんなにつらくても、お前は自分の目線をこうぐっと上げてさ」

 愛作の視線がいつもの斜め下からまっすぐ真ん前に向くよう、グイと頭を動かされる。

「この方がずっと先まで見えるからいい。差別に負けない平らな視線を保て」

 と、言ってフフンと笑った。

「平らな視線……」

 力ある『支配層』のやることに口も手も出すな、自分や家族が無事でいるためには理不尽なことにも笑顔でいろ。そのような身の処し方しか知らなかった愛作にとって、おっちゃんの言葉は新鮮だった。

(なるほど。他人を蔑まないで見るということは同時に自分自身を蔑まないってことだよな。このひとの言うことは正しい気がする。すぐにできるかはわからないけれど、平らな視線で見てみようかな。俺を包んでいた卑屈なものから脱け出せるかもしれないな)

 おっちゃんの言葉と掌は愛作の心に小さな火をともした。

 それはその先、何度か吹き消されそうになるが、決して消えることはなかった。

 それは後に幾度も邪神やその奉仕種族と対決するたびに火勢を増していき、邪神ですら手を焼く業火に育っていくのだが、後日の話となる。

「僕、いや俺さ、おっちゃんが言ったことやってみるよ」

「ハハッ。少年がもう少し大きくなると、おっちゃんの言うことを鬱陶うっとうしいと思うようになるかもな。だから今素直なうちに言っておくぞ。自分の譲れないものを守ることは諦めんな。ちいとばかし生きるのがきつくても、それを理由にして全面降伏はすんなよ」

 決心はしたが本当にできるだろうか。この町でその姿勢を貫き続けるのは難しい気がする。

 あの夏に河口で死んだ友達のことが脳裏に浮かび、愛作は小さく体を震わせた。

「なに、いきなり強くなれとは言わないよ。ちょっとずつでいいんだ。今日妹を守ろうとした少年ならやれるさ」

 葉月がそのやりとりを見て、

「わたしもつよくなる」

 と宣言した。

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