02 海辺の町(4)

 それから二年が過ぎた。

 放課後の教室で帰り支度をしている愛作に、『支配層』の子どもたちが声をかける。

「ちょっと頼まれてくれ」

 最近増えてきた言葉。『海辺の町』の外へ買い出しに行けという頼まれごと命令

 だんだん異形化が進む『支配層』は町を離れなくなる。よそでは彼らは目立つがゆえに。

 買い出しの内容は、ゲームソフトの時もあれば、流行はやりのファッションアイテムだったり、期間限定のスイーツ、並ばないと買えないホビー商品と幅広い注文が寄せられる。

 『海辺の町』で買えないものは、純血の人間が買いに行く。これが奉仕の第一歩。

 おそらく愛作の父も学生時代にはこれをやらされたはずである。歴史は繰り返す。

 代金立て替えや踏み倒しがないだけマシだろうか。『支配層』の家は皆裕福である。

「愛作ぅ、あたしもかわいい水着が欲しいから買ってきてよ」

 目が異様に突き出た女子生徒が一万円札をひらひらさせる。

 愛作は相手を不快にさせないよう、わざとらしく束感のあるミディアムヘアの頭をかきつつ、

「それはずいから勘弁してよ」

 と、拒否した。女子生徒も冗談だったらしく、同じ『支配層』の血をひく同級生とギャハハと笑いあう。

(お前に似合うかわいい水着なんか世界中探したってあるわけないだろ)

 顔に偽りの笑みを貼り付けたまま心の中で毒づく。

 そういえば葉月の誕生日も近い。一緒に町の外へ出て何か買ってあげようと思った。

 家に戻るのは面倒だったので白シャツに黒ズボンの夏の制服のまま向かうことにした。ピンクのトップスにデニムのハーフパンツ姿の葉月は大好きな兄との買い物がうれしいのか足取りが軽い。

 同級生に頼まれたスカしたスマホケースと、葉月が「これかわいい」と選んだバックリボンのついたつば広の帽子を買った帰り道。

 幹線道路から一歩奥まった人通りのない道でトラブルが起きた。

 下を見て歩く習性がついている愛作が、町の外でも同じようにした結果、土地の若者にぶつかってしまったのだ。スマホ歩きしている者がよく起こすトラブルである。

 愛作より二、三歳年上の少年は、

「痛えっ、おいガキ。わざとぶつかってきたろう」

 と、愛作と葉月の前に立ちふさがる。つるんでいた同世代の少年二人が背後を塞ぐ。

「ごめんなさいっ。わざとじゃありません。ごめんなさい」

 愛作は相手の少年に二度頭を下げた。葉月もいる。なんとか許してもらうしかない。

 ニキビ面の少年の顔には、

「おい、頭突きくれといてただで済むと思ってんのぉ?」

 と、いじめ加害者特有のくらい攻撃性が張り付いていた。

「見ねえ顔だな。お前どこちゅう?」

 背後から愛作の顔を覗き込んだボーダーシャツにワイドカーゴパンツの少年が尋ねる。

 その体軀たいくは愛作より二十キロ以上重いだろう。ぼってりとした唇の周りを短いヒゲが囲んでおり、他人に威圧感を与えることに慣れているようである。

 愛作にはとても答えづらい質問をされ、無言の時間が過ぎた。

「前方不注意に、次はシカトかよ。これは重罪よなあ」

 背後から頭をはたかれた。とっさに振り返ると目を細めてニタニタ笑う鼻ピアスの少年が片方の眉を上げて、

「あん、なんなん。その反抗的な態度って」

 と、あおってくる。

 三人ともただ謝って放してくれる相手ではないと確信した。因縁つけられる弱者を探していたら恰好かっこうの獲物がかかったと彼ら三人は喜んでいる。


「うーん、幼女誘拐の罪も追加で」

 ニキビ面がウヒャウヒャ笑う。

「だからどこ中だよ、てめえ」

 ボーダーシャツが早くも短気を炸裂さくれつさせて愛作の耳を引っ張る。

「痛っ」

 とっさに耳をおさえた愛作の手から紙袋が落ちた。葉月の帽子が入った紙袋。

「やめて。あやまったでしょ」

 葉月がボーダーシャツを突き飛ばそうと試みるが、びくともしない。

「幼女が抵抗してきたぜ。お仕置きにこうだぞ」

 ニキビ面が細い足で紙袋をグリグリと踏みつける。

 葉月の両目に涙が盛り上がる。

 愛作の中で白く熱い怒りがこみ上げ、ニキビ面の腹にタックルを決める。

 きれいに入ってニキビ面があおむけに倒された。

 踏みつけられた紙袋を拾おうとした愛作に、ボーダーシャツが蹴りを入れた。


「お、このスマホケースいけてるじゃん。お前のようなクソガキにはもったいないシロモノなんで没収しまーす」

 鼻ピアスがプラスチックの包装をひらひら振って自分のダメージデニムのポケットに突っ込む。

「どうしてひどいことするの、やめてよ。やめてよ」

 葉月はボーダーシャツに向かっていくが、リーチの長い相手に頭を押さえつけられて近づくこともできない。

「妹に触るな!」

 紙袋を抱えて立ち上がった愛作のその首に、背後からニキビ面の細い右腕がマフラーのようにからみついて締め上げる。喉を潰されそうな痛み、気管と頸動脈けいどうみゃくの圧迫により、呼吸ができず、血が巡らない。愛作の体が絞首刑から逃れようとあがくほどに、ニキビ面の右前腕は少しずつ食い込んでくる。

「よくもやってくれたのぉ。センパイに逆らうクソガキは処刑。漏らして死ねや」

 一方的な暴力に興奮したニキビ面の汗の臭いが愛作にも届いた。

 愛作は朦朧もうろうとなりながらも右手でニキビ面の右上腕を引きはがそうと試みるが、すでに完璧に巻きついたそれをほどく隙間は見つけられなかった。左手は、葉月の帽子が入った袋をつかんだままだった。死んでもこれを手放す気はない。両手で抗えばもう少し活路は見いだせるかもしれないが、こいつらは再び葉月の帽子を面白がって踏みにじるだろう。

 そんな光景をこれ以上、妹に見せたくはなかった。自分が虐げられるのは我慢できるが、葉月が悲しむことは兄として許せない。

「お、お、チョークに入ってるぞ。小僧の顔真っ赤。やるなー、ケンちゃん。路上の伝説かよ」

 愛作の決意をよそに、鼻ピアスは面白そうに愛作の顔を覗き込む。

「誰か助けてください。お兄ちゃんが死んじゃう!」

 葉月が大声を出した。通行人がいなくても、近所の家が警察に通報してくれるかもしれない。ニキビ面のケンちゃんもそれを察したか、

「ダイキ、そのガキうるせーから口塞げ」

 と、鼻ピアスのダイキに顎をしゃくった。

「はいはい、よっと。ガキ、おれらがロリ好きじゃないことに感謝しろよ。お、でもこのガキよう、将来楽しみな原石って感じだぜ」

 気持ちの悪い笑みを浮かべて近づくダイキを見上げ、怯える葉月の視線が動いた。ダイキの背後に。

「ん、なんかいそくせえな。うわぁっ」

 ダイキが振り返る前にその後ろ襟にかけられた手が一気に彼をそのまま後ろに引き倒した。

「イダダッ」

 アスファルトに思い切り転がった勢いで首と肩を痛打し、ダイキは路上でのたうつ。

 ボーダーシャツに押さえつけられた際に乱れた葉月の柔らかい髪に今度は、分厚い掌が乗せられた。それは見た目と違った繊細な動きでよしよしとでた。

「なんだ、おっさん。ぶっ殺されてえのか」

 おっさんと呼ばれたボサボサ頭の男は葉月の頭から手をどけると、無精髭が生えた顎を搔きながら、眼前の暴力に対して嫌悪を示すように下唇をひん曲げたふてぶてしい表情で、ボーダーシャツの威嚇を正面から受け止める。

 その視線は飄々としていながら鋭く三人組を見据えて動かない。

「あれ、磯くせえか? 海沿い生まれの海沿い育ちなもんでよ」

 と言うや自身のブラウンのツナギの襟元を広げて鼻を近づけた。

「へっ、フローラルな柔軟剤の香りしかしねえや。アラフォーなりに気を遣ってんだよ」

 と、白い歯を見せた。一歩も引く気がないらしい。

「ノブくん、頼むわ。県大会3位、期待してるぜ」

 ケンちゃんの嗜虐しぎゃく的な笑顔にボーダーシャツのノブくんは「よしゃ」と答えておっさんにすり足で懐に入り込む。柔道だ。

 アスファルトの上に投げが決まれば、受け身を知らない者は負傷確実である。

 ノブくんがあっさりとおっさんの襟と袖をつかみ、大外刈りを仕掛けたが、おっさんは腰をしっかりと沈めて重心を低くすることで防いだ。

 それならば崩すまでと、ノブくんは慣れた動きでおっさんの足の間に自分の足を差し込んで小内刈りを仕掛ける。コンビネーションは練習の賜物たまものか。

 おっさんは、仕掛けられた自分の足の力を抜いて技を失敗させると同時に、袖をつかまれてない方の腕をしならせ、ノブくんの顎をパンとはたいた。

 ガクン、とノブくんは垂直に崩れ落ちた。

「ノ、ノブくん!?」

 目をひんいたケンちゃんが次の瞬間悲鳴をあげた。葉月が背後から思い切りケンちゃんの股間を蹴り上げたのだから、悲鳴は当然だ。

 腕が緩んだ隙を逃さず、愛作は頭を一度前に振って思い切り後頭部をケンちゃんのニキビ面に叩き込む。

 兄妹きょうだい愛コンビネーションに、ケンちゃんは泣き声をあげてうずくまった。

 その顔にところどころ血がこびりついているのは、ニキビが潰れたせいだろう。

 愛作は片膝をつくと、両の瞳から涙を流す葉月の柔らかい髪の毛に手を当て、くしゃっとした。

「葉月、ケガはない?」

「大丈夫っ」

「ごめんな、俺の不注意で怖い思いさせちゃって」

 お互いの無事を確認する兄妹にパチパチと拍手が送られた。

「最後の連係は見事だったぜ」

 見上げた二人を、のほほんとした笑顔が覗き込んでいる。

 それが『おっちゃん』との初めての出会いだった。

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