02 海辺の町(2)
『海辺の町』は漁業で栄えており、また、若者が東京や大阪といった大都市に出ていくことがほとんどないため、過疎化や高齢化という他の地方の市町村が抱える深刻な課題とは縁がない珍しい土地である。
今朝もまた、暗いうちから漁に出ていた船が
運転席で愛作の父がハンドルを握り、助手席には帽子を目深にかぶった異相の男が日替わり交替で座る。
助手席の男──愛作の父よりひとまわりは若い──が
愛作の母は、他の女性とともに漁から戻った男衆の朝食を提供するために船着き場に面した建物で忙しく手足を動かしている。
その日、愛作はいつもよりかなり早く目が覚めてしまい、働きに出る両親について港まで来ていた。
母と一緒に働いている女性の半数以上は普通のひとである。『支配層』に属する異相の女たちはあまり手足を動かさずに、同じく異相の漁師らと雑談するか、母たちに指示を出しているだけだ。
この後は、漁師が食い散らかした朝食を片付けて、一度それぞれの自宅に戻り、再び缶詰工場に出勤するか、言いつけられた雑用をこなすことになる。
それが『海辺の町』の日常。
閉鎖された町ではこの光景が変わることはない。
小学生の自分は母が作ってくれる朝食を食べて、葉月と一緒に小学校に通う。
五年生の愛作と一年生の葉月。手をつないで登校するのが常だったが、同級生に、
「妹べったりの愛作ちゃんだ」
と、
葉月が利発そうな顔を少し曇らせるのが内心つらかった。
この町で唯一の小学校兼中学校は男女比が七対三と偏っており、葉月の学年は特にそれが顕著だった。
だから一緒に遊ぶ女友達が病気で休んだり、用事があると言って遊ぶのを断られると、
「お兄ちゃん、あそぼ」
と、言ってくる。家の中でおままごとに付き合わされたり、外でボール遊びに興じたりすることはあったが、決して海や砂浜では遊ばなかった。
『海辺の町』で育ち、漁業関連で生活している家の子でありながら、愛作は海が苦手だった。
暗色の海は深く、砂浜のあるあたりはさほどでもないが、波が寄せて引く力が強いため、少しでも気を抜いたら一気に沖合まで
それに、足の届かない冷たい深みに何かが潜んでいるのではという根拠のない恐怖がついてまわった。息継ぎの必要ないその何かはいつも水底を回遊していて、無防備な海への参入者を面白半分に引きずり込む妄想が頭から離れないのだ。
こんなことを言ったら友達に馬鹿にされ、仲間はずれにされるかもしれない。
しかし、友達はそれなりにいて、同級生や少し年長の男子たちのグループに入って遊んでいた。
海遊びは何かと理由をつけて辞退していたが、少し山の方に入った川で泳いだりするのは抵抗がなかった。他にも大人たちも知らないであろう獣道を
『海辺の町』では『支配層』と使われる層がはっきりと存在していたが、子どもの世界ではその境界線が曖昧で、トラブルはほとんどなかった。
親が『支配層』の子どももいるが、大人の世界の序列が持ち込まれることはなかった。利用する、利用されるという関係が子ども同士では生じにくいからだろう。
不思議と陰湿ないじめもなかった……はずだ。
『支配層』の子どもたちが大人になった時に今の比較的平和な関係を維持してくれるかはわからない。
ただ、将来のそれに備えて、
愛作はそういう友達を見て少し嫌悪を感じたが、自分も次第にそちらへ寄っていることは否定できなかった。
中学一年生の時、大きな変化が生じた。
『支配層』の子どもたちは率先して水辺で遊ぶことを主張しだした。海でなければと愛作も抵抗なくついていく。
浮き輪やゴムボートで川の流れに任せたまま揺られたり、高い場所にある岩場から深みへ飛び込み、根性を披露する遊びは愛作も好きだった。
潜りっこしようぜ、と言ったのは誰だったか。皆、できるだけ息を
頭の上の
自分より先に一人がギブアップしていた。残りの三人はまだ
「長いな……」
愛作が浮かんでからすでに二分は経過している。
「足がつったんじゃないよね」
もし、そうだとしたら大変だ。
しかし、もう一人が川の流れの急なところを指さして、
「あの深いところにいる……」
と、言った。声音にかすかな
愛作がそっちに目をやると、彼らの
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