01 邪神退治24時(5)

 くら微笑ほほえみ、声優のように滑舌よく通る声。

 震えがはしる。左腕の振動ではない。愛作の体が震えている。

 突如押し寄せた過去が愛作の体から体温を奪っていく。

「もっと近くに来いよ。暗くてよく顔が見えない。近くで見ても暗い顔だってのはわかってる。遠慮しないで来い」

 醜悪で狂暴な邪神奉仕種族や深夜の怪現象に物怖ものおじしない愛作が、モニターの中の青年だけに見せる表情は紛れもない恐怖である。

 人は自分が未熟で無力だった頃を知る者を無意識に忌避きひする。ましてや自分の人生すべてを変えてしまうような目に遭わせた相手ならなおさらであろう。

 愛作にとっては、モニターの中の青年がそれだった。

「酔っぱらっているのか? 足がふらついているぞ。ああ、その顔、その顔。劣等感と諦めが絶妙にブレンドされている。お前はやはり最高だ」

 長年の友人を歓迎するような喜びの声音と、その言葉の内容のギャップ。

 わけのわからない碧はモニターの青年と愛作を交互に見ているしかない。

「どこかで生きているとは思っていた。だがまさか最近売り出し中のハンター様がお前だったと知った時の──なんというのかな、笑いと憐憫れんびん綯交ないまぜになった感情をどう説明したらいいか。いまだにできそうにない」

 愛作は大型モニターの前に立った。オンライン経由であるが、モニターの青年と愛作を隔てるものはない。

 青年は癖なのか好みなのか斜め45度の体勢で胸から上が映っている。

 緩やかなウェーブパーマのかかったダークブラウンのマッシュヘア。カラーコンタクトをしているのであろうグレイの瞳。鼻筋はやや不自然なくらい綺麗きれい稜線りょうせんを描き、どのパーティに出ても女性が放っておかない存在感がモニター越しでも感じられる。

 仕立てのいい一目でオーダーメイドとわかる明るいグレイのスーツを隙なく着こなしている。胸ポケットから少しだけ覗く青いチーフも嫌味にならないアクセントにおさまっていて、誰もが青年を生まれながらの上流と見なすことだろう。

 乾いた唇を舌で湿した愛作は、ゆっくりと視線を上げる。

「生きてたさ。生き地獄を経験した後に、どうなるものかと思った。もうゆっくりと干からびて死んでいくのだと思ってたが、俺に生き地獄をもう一度経験させようとするおっちゃんがいたんでね。こうして、こうして、今ようやく……」

 碧は愛作のことを何も知らないが、モニターの青年と彼の間に壮絶な過去があったことは肌で感じ取れた。

 そして、恐怖のせいかかすれていた彼の声が少しずつ、恐怖を乗り越えて熱さを増していってることも。

「ようやく会えたな。魔術師クレイ、いや、呉井榊くれいさかき。俺の家族を、俺の左腕を奪ったお前にようやく会えたっ!」

 愛作の感情が暴走するのに合わせて左腕が独立した生き物かのように激しく脈打つ。

 碧の目にもわかるほどに。それは今の愛作の怒りがそうさせているのだとも。

 モニターの青年、クレイは愛作の怒りを受けとめず流した。二人の感情はすれ違っている。

 そして、耐え切れないとばかりに笑い出す。

「ああ、失礼したな。故郷のしきたりを裏切った半端者の一家がいたのを思い出してしまってね。あの一家、名字はなんて…忘れたな。でもこれは覚えているぞ。支配者の私たちの哀れみにすがってしか生きられない、劣等の運命を受け入れることで存在を許されているみじめな家族であったことをな」

 愛作の左腕が、


 テケリリ!


 と、発してモニターを殴りつけようとしたが、

「そして、あの日運命から逃げ出した自分を偽り続けているのだろう? 低級な邪神奉仕種族を倒して幾人かの人間を救うことで、『あの日の出来事』から目を背けているんじゃないか」

 の言葉がそれをぎりぎりのところで止めさせた。

 腕は、液晶画面の数センチ手前でパンチのモーションを残したまま、ぷるぷると震えている。この震えは左腕とのコミュニケーションのそれではなく、愛作の怒りと、それを抑えざるを得ない葛藤によるものだ。

 モニターを壊しても何の意味もないぞとばかりに悠然と続くクレイの話は、愛作にとって完全に否定しきれないことだった。その証拠に彼の心の奥底に押し込めていた絶望が急速に膨れあがり始めている。

 愛作は震える左腕をゆっくりと下ろす。大きなため息をついて、

「オンライン越しじゃなくていつかリアルに殴ってやるぜ」

 と、感情を殺した声音で促す。

「そのためには私に会いに来なくてはいけない。モニターに八つ当たりしてないで私の居場所をなんとか探り出してみせろよ」

 クレイは、止めるものと思っていたさ、との自分の読みが的中したことを満足げな微笑みであらわす。愛作の左腕がどんなに人知を超えた力を持っていようが、彼の心の中にくすぶり続ける過去を清算するための情報を得るにはこのオンライン越しの会話は千載一遇の機会のはずである。

 愛作の求める清算、それは自分クレイを殺すこと。

 強大な邪神をも召喚できる魔術師を駆け出しの邪神ハンター風情が倒すことなど笑い話にもならないが、愛作の表情は真剣だ。それを見て、クレイの口角こうかく嗜虐しぎゃく的にり上がる。

 と同じようにこの若造が自分に膝を屈するぶざまな姿が見たくなった。

「思い出すね。お互いが生まれ育ったあの『海辺の町』で私とお前は身分を越えた友人だったではないか」

 昔日を懐かしむかのように、目線を上げたクレイは、「そう思うだろう?」と、補足する。同時に唇をゆがめて、否定を認めさせない傲岸さを露わにした。

(邪教に攫われた生贄ミドリを奪還しに来ただけってのに、とんでもない事態になったぜ。まさか、邪神に仕える大物魔術師クレイ、いや呉井榊が直々にお出ましになるってことは、邪神どもにとって俺は無視していい存在じゃなくなったってことね。うん、メジャーになったじゃん俺。いや、それはどうでもいい。お前にこの左腕をぶちかますために今日まで正気をすり減らして生きてきたんだ。あの『海辺の町』で大切なもの全てを奪われたあの日からな!)


 愛作の意識の中で人生のチャプターが瞬時に戻っていく。

 『海辺の町』で運命を受け入れていた昔日に。

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