01 邪神退治24時(3)

 一分もしないうちにゆっくりとまぶたが開き、ほうっと呼気が漏れる。少女が回復したのだ。

 目覚めまでの時間は心の傷の深さに比例する。

(よかった、軽微だ)

 そばに立っている愛作を見て少女が体をこわばらせる。正気度は回復させたが、記憶を消したのとは違う。攫われた恐怖を思い出すような、暗がりの出会いに警戒を示しても当然だろう。

 自らをライトで照らして、落ち着いてというジェスチャーの後、手を差し出すと、少女は手と愛作の顔を交互に見て、おそるおそる握り返した。

「えっと、ず言うと、俺は君を攫ったやつらじゃない。『君を家に帰す』任務を受けてきた愛作っていう者だ」

 と、言って笑顔を見せる。

 少女は愛作にゆっくりと引き起こしてもらうと、一度ブルっと震えた。こわごわと制服に乱れがないかチェックする間、愛作はそれを手伝うようにマグライトで照らしてあげた。

 少女は若干緊張した目で、

「てけりり?」と、問いかけてきた。変わった第一声である。

「聞こえた?」と、返す愛作もまた変わっている。

 少女が小刻みにうなずく。きっと、左腕が額に触れている間の〝声〟が聞こえたのだろう。耳慣れない擬音だから頭に残るのも無理はない。

「俺の相棒の挨拶だよ」

 と、少女には意味不明な回答をする。案の定、少し警戒心が高まったのが、彼女の表情から見てとれた。

 こういった救出任務において、助けようとした相手が突然パニックに陥り絶叫する、また手当たり次第に攻撃してくるトラブルは起こりうるものだが、少女はぎこちないながらも、愛作を信じるという選択をしてくれたようだ。

 愛作は自身を悪い人相じゃないと思っているが、こんな場面で初対面になった男に警戒心を抱くなというのは無理がある。多少ぎこちないのは仕方ない。

 勇気を出してできる限り冷静でいてくれる少女を「いい子だな」と、思った。

 『てけりりヒーリング』。左腕の振動による心身の回復を愛作はそう命名しているが、少女の様子を見る限り、功を奏したようだ。

「正気度は戻ってるから安心していいよ。さあ、脱出開始だ」

 正気度、のところで少女は怪訝けげんな表情を浮かべたが、足元の結束バンドの残骸を見て、もう一度ブルっと震えて手首をさすった。

「……ありがとう、ですよね」

 少女は顔を少し下に向けて言った。

 きょとんとした愛作に、今度はしっかりと彼の目を見て少女は、

「助けに来てくれてありがとうございました」

 と、一礼した。

 愛作は過去の事例ケースをできる限り思い返したが、こうも正面からストレートに感謝された覚えがなかった。


 胸にポッとあたたかいものがともる感覚。

「気がつく直前かな。てけりり? って音がした時にそれが、私に語り掛けてきたような気がするんです。『愛作は少し陰キャだけど、決して君を傷つけない良いやつだから』って──あ、私失礼なことを。ごめんなさいっ」

 と、少女は再び頭を下げた。

(い、陰キャ。相棒さぁ、お前の俺評価はそうかよ。……否定できないがな)

 苦笑いした愛作の右手が左腕をペシッと叩いた。ぷるると表皮が小さく波打つ。


「私、曽似屋碧そにやみどりといいます」


 ソニヤミドリ。愛作の中で正しい漢字変換はできなかった。今は呼び方がわかればそれでいい。所詮彼女とはこの任務が終わるまでの関係である。

「ミドリさん、今からここを脱出するけど、その途中でどんなグロメンが出てきても直視しないように。今後魚料理とかジンギスカンが食べられなくなるのは嫌でしょ?」

 碧は愛作の言葉の意味を全部は理解できなくとも、飲み込むことにしたらしく頷いた。

 警察の方ですか、と問われて否定しようとしたとき、ぶるるっと左腕が警告した。

 その時だ。

 オフィスの照明が点灯し、会議室のドアが勢いよく開けられた。

 照明が逆光となって、暗い会議室側からその姿の詳細は確認できなかったが、こうも忍ばずに入ってくる者は敵に決まっている。

 ようやく監視カメラの異常に気づいたビルの警備セキュリティか、それとも──。

 素早い身のこなしでオフィスへの道を塞いだのは警備服を着た三人組。

邪神奉仕種族以外カタギには手荒なまねしたくないなあ」

 こんな言い方をしたものの、自分を反社会勢力だと思ったことはない。反邪神勢力である。

 とは言え、今ここで不法侵入者として捕まるわけにはいかない。

「ミドリさん、危ないから下がっててね」

 碧はさっと会議室の奥に下がった。アームレストチェアに手をかけて引き寄せている。警備員が近づいたらぶつける気でいるらしい。

(案外気丈な子なんだな)

 空気を切る音とともに振り下ろされた警棒を体をさばいてやり過ごす。

「警告とかないわけ?」

 警棒は薄い闇の中で青白くまたたく。

電撃警棒スタンバトンですかっ」

 答えはなく、同僚たちも同じ得物で突きと横薙よこなぎで愛作を襲う。

 警備業法で認めている警備員装備の範疇はんちゅうを超えている。

 三人の警備員は見事な連係で縦横前後に電撃警棒をひらめかす。

 オールドカンフー映画の主人公なら、予知しているような所作でかわし続けるだろうが、そんな芸当ができるのは愛作の知る限り、この任務を依頼した『組織』のエンマスカラドという男だけだ。

 最初はなんとか躱していた愛作だが、警備員たちの遠慮なしの打突ラッシュは彼を会議室の奥へ後退させていった。

 その視界に碧がちらちらと入るようになった。このままだと巻き添えにしてしまう。

 警備員が容赦なく振り回す電撃警棒が彼女に当たったら一大事コトだ。愛作は警備員たちの残虐な攻撃が自分に集中するようにえて隙を見せた。


「よっしゃ来い。邪神の触手に比べりゃ全然マシだよ!」

 碧を背後にかばって、愛作は己の左半身を攻撃にさらし、腰を落として踏ん張る。チャンスとばかりに警備員たちの強打が容赦なく叩きこまれる。

 命中

 命中っ

 命中うっ

 三回バチバチッという音がして、愛作の膝から力が抜けて半身が崩れた。

 碧が息をのむ。アームレストチェアをつかんでいた両手がギュッと握られる。自己防衛本能と警備員たちに対する怒りが碧の中で化学反応を起こし、思わぬ力を呼びさました。

 碧が警備員に向かって放り投げた椅子はうずくまる愛作の頭上を飛ぶはずだった。

 が、不幸にも「お前らの攻撃は効いてない!」と、叫びながら素早く立ち上がる愛作の背中に見事、

 命中ゥゥゥゥー

「ぐえっ、ダイスの出目が悪かったのか?」

 意味不明なことをぶつぶつと言いながら、警備員たちの方にうつぶせに倒れる愛作。

 この展開に、その場の誰もが二秒ほど固まる。

 最も早く物語を再開させたのは愛作であった。

 右手で椅子が直撃した背中をおさえながら、今度は背後をちらちらと確認して立ち上がる。

「ご、ごめんなさいっ」

 碧にとって今夜三度目の一礼。この少女も危険な状況にいながら、タフメンタルを発揮している。

「邪神界隈かいわいではよくあること。ハハ」

 振り向かずに背中にまわした右手を振る。

「で、あんたらさあ、電撃警棒はやりすぎなんじゃないの?」

 その声の向きは警備員たちに変わっている。


 カラン、カラン、カラン


 愛作の左腕から電撃警棒がこぼれ落ちる。

 警備員たちは自分の得物が見事に敵のに命中したことで勝利を確信したのだが、電撃を流した左腕が粘ついたトリモチのように警棒に絡みついて奪い取られたことは想定外だった。


 ぶるるる


 左腕も目に見える形で震えた。怒りの表現なのだろうか。

 愛作は目深に制帽をかぶった警備員に共通する、ある特徴に気づいた。

 愛作の左手の人差し指、中指、薬指がはじかれたゴムひものように伸びて、三メートル先の彼らの制帽をはじき飛ばす。

 次の瞬間に指は元に戻っている。

 あらわになった警備員たちの頭部は無毛に近く、まわしい模様のタトゥーに覆われている。そして、異様に眼窩がんかの奥に引っ込んだ小さな両眼には残虐な光が宿っている。口元からは小さな牙がちらりと覗く。これまで幾度となく遭遇してきた経験からわかるが、理性は人間の半分くらいしかない邪神奉仕種族。

「やっぱりチョーさんだったか。人間だったらここまでで許してあげるところだけど、邪神奉仕種族ヤカラはこの程度でおしまいにするわけにはいかない」

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