第1話 龍緑の覚悟
~族長執務室~
「ひええ・・・」
族長のお供をしてハクトウワシ領から戻った翌日、龍景は族長執務室の壁際で震えていた。
部屋の中には、補佐官たち、相談役の父、先代族長の龍峰様に加えて、雌竜全員が呼ばれていた。
謹慎中の竜湖もいる。
族長が怖い顔をしているのは、もちろん昨日ハクトウワシ族長から聞いた龍平とワシ妻の離婚の件だ。
族長の報告を聞いて父と龍峰様は言葉にできないほど恐ろしい顔をしている。
反対に補佐官たちは青い顔だ。
キレた龍峰様が雷を落として族長と喧嘩にならないかハラハラしているに違いない。
「龍平の件をおまえらは知ってたのか?」
問いただす族長の恐ろしいほどの怒気に雌竜たちは震え上がっている。
「当時、竜音様から龍平をワシと離婚させたとは聞いていたけど、妻が置いていった荷物のことは知らないわ。」
竜湖の返事に竜夢も頷いている。
「はあ!?竜音が離婚させたってどういうことだ?」
「そのままの意味よ。ワシ妻は息子の産卵によって不妊になったのに、龍平もワシ妻も離婚を拒んだから。」
「だからって、なんで無理矢理?」
「当時は先先代族長の時代だったけど、すでに子不足が深刻化していたから。なのに先先代は龍賢より先に他の男に息子が2人できたら困るとか言って何も対策しなかった。だから、女が動くしかないって竜音様たちは言ってたわ。」
「たち?」
「ええ。今はもう死んだ女たち。」
「だからってなんで龍平まで騙すんだ?」
「仕方なかったのよ。あの時代の男たちも子不足については他竜事で、誰も真面目に対策しなかったから。」
「はあ!?一族の子不足は父のせいじゃなかったのか?」
「龍峰の件でもう救いようのない事態になったけど、子不足はその前から深刻だったの。
言ったでしょう? 先先代の時代、後継候補は皆、息子が1人しかいなくて後継が決まらなかったって。そんな状態じゃあ、後継候補以外は子作りに消極的になるわよ。
なのに、龍賢も龍河も妻を代えることを断固拒否で、龍峰は何年もうじうじと悩んでて、龍算たちの父親は妻を代えてもダメで。 他に方法なんてなかったわ。」
「それは龍平を騙す理由にはならないでしょう? ワシの妻もです。無理矢理追い出しておきながら、離婚を望んで出ていったことにするなんて。本来なら、紫竜一族都合の離婚で手切れ金を渡すものなのに。」
父の声は普段よりも低い。 激怒している時の声だ。
「龍平の協力は期待できないからって竜音様は言ってたわ。だけど、力ずくで妻を追い出したりはしていないはずよ。あの熊と同じで自分で夫の巣を出ていったの。」
竜湖はそう言って肩をすくめる。
他の雌竜たちは震え上がって声も出せないほどなのに、やっぱり竜湖は肝が据わっている。
「力ずくも、騙して追い出すのも同じですよ。妻が突然居なくなって龍平は一年近く病んだのですよ!」
「でももう忘れてるわ。それに手切れ金を支払わなくてすんだから龍平は早々にカラス妻と再婚できたのよ。」
「そんなこと龍平は望んでいなかったでしょう!恩着せがましい!」
「龍賢殿に早く2人目ができてたら、竜音様だってこんなことはしなかったですわ。 子不足問題で女たちが焦っていたことを知らなかったとは言わせません。」
竜湖はそう言って父を睨み返している。
「はあ!?子不足問題のためというなら、先先代族長や我ら後継候補に隠す必要はなかったでしょう!」
「子不足問題を何とかしてくれとの我らの訴えを長年放置してきたくせに!
あんたが、後継候補の風上にも置けないってこきおろしてた龍希は、3児の父になった上、他の後継候補3人に再婚を承諾させたわよ!
何もしなかった役立たずが文句だけは立派ですこと。」
父と竜湖は恐ろしい顔で睨みあっている。
「どうやって竜音はワシ妻を騙したんだ?」
黙って2人のやり取りを聞いていた族長が竜湖に尋ねる。
「・・・熊の時と同じと聞いています。龍平はカラスとの再婚を悩んでいるから、それをきっぱり断らせるために実家に戻ってはどうかと。」
「・・・ほかにも騙して離婚させた妻はいるのか?」
「私が聞いているのはワシと熊だけですわ。」
竜湖はそう言って竜夢を見る。
「わ、私もそ、そうです。」
竜夢の顔は真っ青で声は震えている。
「熊が置いていった荷物はどこにいったんだ?」
「龍栄が巣ごと焼きました。戻ってきた熊は弁償を望みませんでしたわ。息子がやったことだからと。」
「あーなるほどな。 なんでその2人だけ標的に?」
「竜音様以外にこんなことができる女はいませんでした。竜音様もさすがに他の女の担当妻までは、ねぇ。」
「ワシ族は竜音に騙されたことをずっと恨んでたぞ。」
「そうですか。でも龍算の妻は差し出してきましたわ。今だってワシからの縁談の申込みはずっとありますわよ。」
「ハクトウワシ族の弱みにつけこんだんだろ?」
「言い方が悪い。やつらは自分達にメリットがあるから縁談を持ちかけてくるのです。こちらから脅して結婚を承諾させた訳じゃありませんわ。」
「まさか、脅して結婚させた妻までいるのか?」
族長は再び恐ろしい顔になった。
「あらまぁ、勘が鋭くなったこと。」
竜湖はそう言って邪悪な笑みを浮かべる。
「誰だ?今もいる妻か?」
族長はそう問うが、この場で分かっていないのは族長だけだ。
龍景はまた呆れてしまった。
「龍緑の妻ですわ。」
「へ?」
竜夢の言葉に龍希は驚いた。
「え?三輪?」
「ええ。龍緑の妻は、竜湖に脅されて結婚させられています。」
「え?いや、あれは妻のお願いだったぞ。」
「違いますよ。竜湖が族長の奥様を脅したのですよ。毒見役のままでは命の保障はないから紫竜に嫁入りさせろと。」
「え?いや、妻はそんなこと一言も・・・」
「いままでに奥様が竜湖の脅しを龍希様に相談したことってありました?」
「・・・」
龍希は無言になる。
「え?じゃあ妻と三輪は嫌だったのか?」
「当然でしょう。というか明らかに族長の奥様に対する嫌がらせですよ。奥様のお気に入りで、唯一の同族の侍女を取り上げるなんて。
その上、後から奥様が翻意しないように奥様から族長へのお願いという形を取らせたのです。」
竜夢は眉間にシワを寄せて龍希を睨み付けながらそう言った。
「まあ、龍希様を巻き込んで、俺が結婚を拒否できないようにって意味もあったんだと思いますけど。」
龍景までそう言って同意する。
「は?お前は知ってたのか?」
龍希は驚いて龍景を見る。
「はい。あ、龍緑も知ってますよ。竜湖が俺と龍緑呼んで縁談の話をした時、竜湖は族長の奥様への悪意を全く隠してなかったですし。まあ、それがなくても、父や龍希様から奥様は同族の毒見役を気に入っているって話を散々聞いていたんで、竜湖の話は不自然だってすぐに分かりました。」
「はあ!?なんで俺に言わないんだよ!?」
「龍緑に止められました。」
「はあ!?あいつはなんで?」
「こんなこと龍希様にチクったら、ますます奥様が竜湖に虐められるからって。」
「なんで?俺は竜湖よりも妻の方が・・・」
龍希はショックを隠せない。
龍景は困った顔になって目をそらす。
「なんだよ?言え!」
「え?いや、その・・・」
「龍希様は、竜湖が奥様に尋常ではない殺意を向けてもなお奥様から遠ざけることを渋っておられたではないですか。龍陽様が竜湖を命がけで攻撃する事態になってようやく動かれた。 それが答えです。」
龍賢の言葉に龍希は言葉を失った。
龍景は気まずそうに龍希と龍賢を交互に見ている。
「・・・俺のせいだな。すまん、龍景。」
「へ?え、いえ、俺はそんな。むしろ龍緑の方がその・・・」
「ああ。あいつにも悪いことしたなぁ。 よし!竜琳の守番が終わったら三輪は妻に返して、龍緑は自由にしてやろう。」
「へ?」
「は?」
龍希の言葉に皆、一瞬ぽかんとなった後、怒りを爆発させた。
「いやいや!?今更なにを?龍緑の執着っぷりはご存じでしょう?」
「今更無理ですよ!いくらなんでもあいつが気の毒です!」
「もう娘も産まれたのですよ!何を仰ってるのです!?」
「え?いや、でも・・・龍緑も三輪も望んでない結婚だろ?」
「龍緑はそれでも覚悟を決めたのですよ! 龍景に嫁がせれば守番という立場を利用して竜湖は、奥様と龍緑の妻への嫌がらせを続けるから、自分が引き取った方がマシだと。
結婚した後、奥様と龍緑の妻を度々会わせることを竜湖が反対してきても毅然として盾になっていたのも龍緑です。私1人では竜湖に対抗できなかった。」
竜夢はそう言って激怒している。
「え?なんであいつはそこまで?」
「そんなの私が聞きたいですよ! 人族なんかに肩入れする必要なんてないのに! 龍緑は、族長の奥様に対する竜湖の嫌がらせは見ていられない、それを放置している龍希様もあてにならないって言って!」
「ええ!?そうなの?」
「そうです!でも、結婚のきっかけはそれでも、龍緑は離婚を望んでません!龍緑の妻も今更離婚なんて望んでないはずです! だから止めてください。族長と龍緑で争いになったら誰が仲裁するのです?」
「そうですよ!勘弁してください!」
竜夢と龍景は必死になって止めてきた。
「ええ!?」
龍希は困った顔で龍賢と龍海を見る。
「竜湖を族長の奥様から離した後になっても、龍緑から離婚したいとの話はないのでしょう?龍緑の妻も族長や奥様に離婚の希望を伝えていないなら、余計なお節介です。」
龍賢の言葉に龍海も頷いている。
「ええ!?龍緑はなんで?」
「それは龍緑から直接お聞きください。竜夢殿と龍景の話は私も初耳です。」
龍海は困った顔で答えた。
~睡蓮亭 執務室~
「族長、どうされました?」
龍希の匂いに気づいて龍緑が不思議そうな顔で執務室に入ってきた。
守番たちは客間で休憩中だ。
「あーなんか、すまん。」
「は?何がです?」
「いや、お前に気を遣わせたというか、結婚を無理強いしたというか・・・」
「はい?別に龍希様のためじゃないですよ。 というか急にどうしたんですか?」
「いや、竜夢と龍景から説教された。」
「え?なんであの2人が?」
龍緑は驚いている。
「まあ、それはどうでもいいんだ。 それよりお前、なんで三輪を引き取ったんだ?」
「は?俺の大切な妻を荷物みたいに言わないで下さいよ! 結婚前は族長の奥様が同族の侍女を取り上げられるのは気の毒だって思ってましたけど・・・今は自分の妻の方が大切なんですからね!」
龍緑は怒り出した。
「ええ!?なんで俺に教えてくれないんだよ?」
「だって、俺よりも竜湖の方を信頼してるでしょう? それに、妻が自分の侍女を紫竜に嫁がせたいなんて言ったらまず警戒しません?
どう考えてもおかしいでしょう?
ましてや三輪は唯一の同族の侍女だったのに。」
「うう・・・確かに。俺は妻に理由すら聞かなかったなぁ。」
龍希は落ち込んだ。
「まあ、奥様に愛想つかされてないなら、反省を次にいかして下さい。」
「なんでお前はそんなに俺の妻に肩入れしてくれたんだ?」
「え?勘違いしないで下さいよ。俺は、三輪かカバかの2択を迫られたからですよ。そうじゃなければ、誰とも結婚しませんでしたよ。」
龍緑はそう言って肩をすくめるが、
「え?どっちも断ればよくね?」
「・・・そういうとこですよ。」
「は?何が?」
「はあ。察して下さいよ。これ以上は言いません。」
龍緑はなぜか困った顔をしている。
「やっぱりお前はよく分からん。」
「俺も龍希様の考えはさっぱりです。龍栄様は分かりやすいのに。」
「まじで!?俺、あいつのこともよく分かんねぇ。」
「でしょうね。 こんな話より竜琳を見ていかれませんか? そろそろミルクが終わるころです。」
「お!マジで!?妻も子どもたちも竜琳のことを知りたがってんだ。」
「では連れてきます。」
龍緑はそう言って執務室を出ていった。
~睡蓮亭 廊下~
「ふー」
扉を閉めて龍緑は族長に聞こえないように息を吐いた。
『まさか今更になってこんな話をされるとは・・・竜夢と龍景の奴!』
龍緑の初恋はもう終わった話だ。
龍緑はリュウカの扉を開けた。
「あら?あなた、ちょうどミルクが終わったところです。」
妻は娘を抱いてげっぷをさせているとこだった。
「族長が竜琳に会いたがっててね。」
「まあ!ぜひ。」
妻は笑顔で娘を龍緑に渡してくれた。
妻は今日も龍緑が贈った桜の香水をつけてくれているけど・・・
『ああ、少し違うんだよなぁ。』
龍緑は心の中で呟いた。
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