異変

 現場はマンションの一室だった。「遅くなりました」と圭は断りをいれて、バリケードテープをくぐる。



「それで、今回もマッドグリーンの仕業ですか? 西園寺警部」



「ああ、その通りだ。今回の被害者は69才の田島という女性だ。確かに奴の犯行文があったが、何かおかしい」西園寺警部はそう言うと、圭に紙切れを渡す。



 そこにはこう書かれていた。



「ひと月前に親父は死んで、財産みんな残してくれた。羽布団一枚に義足一本。それから皮の半ズボン」と。



「西園寺警部、どこがおかしいんですか? この文章、今回もマザー・グースでしょう?」圭は首をひねる。



「おい、被害者をよく見ろ。女性だ。それに死亡推定時間は今日の6時ころだ。1か月前じゃない。つまり、マザー・グースとは全然違うんだよ、状況が」西園寺警部は焦っている。



 それも当たり前かもしれない。見立て殺人として、成立していないのだから。



「警部、今回の被害者は首を絞められたようです」氷室先輩が死体を丹念に調べていた。



 被害者の首筋には痛々しく、血の滲んだ吉川線がある。つまり、犯人に抵抗していたことを意味する。こう言ってはいけないが、マッドグリーンらしくない殺し方だ。いままでの犯行では被害者の意識を奪ってから殺していた。慎重な奴らしくない。



 それに、見立てを無視している。これは本当にマッドグリーンの殺人か? いや、考えるまでもない。犯行文は緑色で書かれていた。間違いなく、奴のものだ。これを知っているのは本人と警察だけだ。



「圭、お前はどう考える? マッドグリーンの仕業には違いないが、この異変をどう受け止めている?」と氷室先輩。



「おかしすぎます。これは――ある知人から聞いた話ですが、『マッドグリーンは子どものように、ゲームとして殺しを楽しんでいる』と言っていました。これではまるで――そう、まるで2人目のマッドグリーンのような、別人の印象を受けます」圭は寛の話を受け売りする。



 西園寺警部は出所に気づいたらしい。「またか」と言わんばかりの顔をしていた。別に圭が漏らしたわけではないのに。



「そうなんだ。奴の人格が壊れだしているかもしれない。こりゃ、話が違ってくるぞ」氷室先輩がため息をつく。



「それだけじゃあ、ないんだ。これが今回の犯行文だ」氷室先輩から渡された紙にはこう書かれていた。



「これで犠牲者は7人目。さて、私を止めることができるかな」と。



 圭はすぐには気づけなかったが、紙にはと書いてある。今回の被害者で6人目だ。マッドグリーンがこんなミスをしたことは、今までない。氷室先輩の言う通り人格がおかしくなっているのか、焦っているのか。「警察に捕まりそうだ」という焦りだと思いたい。



「もしかすると、マッドグリーンは警察内にいるかもしれん」西園寺警部が意味深な発言をした。



「警部、どうしてそう思うんですか? 何か根拠でも?」氷室先輩にしては珍しく、声を荒げている。



「身内を疑うのは分かりますけどね、そんなこと考えだしたらキリがないですよ」氷室先輩が続ける。



 西園寺警部は明らかに動揺していた。無理もない。氷室先輩が反抗しているのだから。



「先輩も警部も落ち着いてください。これではマッドグリーンの思うつぼです。僕たちは、いがみあってはダメです。現場の状況を整理しましょう」圭はそう言って険悪な雰囲気を変えようとする。



 氷室先輩は投げやりに「勝手にしろ」と言うなり、現場をあとにした。珍しすぎて、心配になる。あれだけマッドグリーンの逮捕に力を注いでいたのだから。



「くそ、氷室の奴め。和を乱すのは我慢ならん」



 ダメだ。西園寺警部までいつも通りではない。これはまずい。圭は「自分がまとめなくては」と考えた。



 状況はこうだ。第一にマザー・グースの文章があったこと、ただし、見立て殺人が成立していない。二つ目。犯行文が例のごとく、緑色で書かれていたこと。三つ目は被害者の意識を奪わずに殺したこと。そして――西園寺警部と氷室先輩の仲がこじれだしていること。



 ダメ元で聞き込みを続けるしかない。被害者は独り身だから、あまり期待は出来ないけれども。





 圭は数時間は粘ったが、やはり空振りに終わった。ある程度覚悟していたから、ダメージは少ない。しかし、マッドグリーンの人格が壊れ出しているならば、指紋の一つや二つ残しそうなものだ。今日はもう切り上げるしかない。



「西園寺警部、そろそろ引き上げますか?」



「うん? ああ、そうだな」



 西園寺警部は心ここに在らずに見える。明日以降が思いやられるぞ。圭は心の中でつぶやいた。





 翌日、署に氷室先輩の姿はなかった。そして、その後数日間も。無断欠勤は珍しい。いつもはそんな人ではない。相当頭に来ているに違いない。何が氷室先輩をそうさせているのか、分からないけれど。



 ぼんやりと考えていた時だった。スマホのバイブ音が聞こえる。画面には「三男 寛」との表示。勤務時間中に連絡してくるなんて、寛らしくない。間違いなく急用だ。



「西園寺警部、少し席外します」



 圭は断りをいれて、電話に出る。寛は取り乱しており、緊迫した声だった。



「兄さん、圭兄さん! 大変だ。刹那が、刹那が――」



「落ち着け!」圭は一喝する。



「落ち着いていられるはずないよ! 刹那兄さんが……やられた」



「どういうことだ? やられた? 誰にだ?」



「刹那兄さんが刺されたんだ! 奴だ。犯人はマッドグリーンだよ」



 圭は絶句した。とうとう魔の手が忍び寄ってきたのだから。

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