霧散霧消
自分が男性であるという事を告白したら、逆に告白された。
予想だにしていなかった真実を目の当たりにしてしまった僕は文字通りの茫然自失の状態に陥っている訳なのだけど、そんな僕の様子を見ている下冷泉霧香はそれはもう愉快だと言わんばかりにケラケラと笑っている。
この人、ケラケラ笑うんだ……。
『フ』だなんていうそんな不敵な笑み以外の笑い声を出せるんだ……。
「どないするー? ねー? 付き合おうやー? なー? 付き合おうってばー?」
「……ちょっと、待ってください。まだ頭が理解に追いついていないのが正直なところです」
何度目か分からない深呼吸をする。
今まで味わった事がない緊張感と胸の暴れっぷりに巻き込まれてしまった今の僕にはとても冷静な判断というものが出来る状態ではなかった。
「えっと、その、もし僕が交際を断ったら、せんぱ……霧香ちゃんはどうするおつもりなんですか」
「えっ。……もしかして、ゆーくんって京都弁僕っ娘女子がタイプやなかった……? あの日、孤児院にいた時のゆーくんはテレビでやっとってた京都弁女子アイドルが大好きやったもんやから、てっきり京都弁が好きなもんかと。え? それじゃ京都に行って京都弁を習得するよう頑張った僕の努力って何なん……?」
「……まぁ、僕は確かに京都弁女子は好きですけど……」
「……はぁ、良かったぁ……。ゆーくんがそういうの苦手やったら人生やり直すところやったわ……いや、ここはそういう演技だって事にして別の僕で攻めればいいだけやな……?」
あ、こういう性格の図太さはあの変態メス豚先輩に通じるところがある。
なるほど、今こうして僕の目の前にいる下冷泉霧香とあの変態メス豚先輩である下冷泉霧香は間違いなく同一人物なのであると僕は今更ながらに理解できた。
「って、そないな事を考えてる場合とちがう。交際断ったらどうするやったけ?」
そう彼女は口にするや否や、未だに見慣れないような明るい笑顔を醸し出しては。
「別に何にもやらへんよ? ゆーくんが考えていそうな事……脅したりだとか、そういう事は絶対にしいひんよ?」
「本当に、いや、日記帳を見た感じだと、まぁ……そうかもしれませんけど」
「分かる分かる。けど、僕はそういう事は絶対にせえへんせえへん」
「例えば、今の僕に先輩よりも好きな女の子がいたとしたら?」
「NTR? えぇやん! ……あ、つい素が……ちゃう。うん、ちゃう。僕、そういういやらしくてえっちな女の子やないさかいな? 本当の僕はそういうキャラやないからな?」
良かった。
どうにも彼女が演技だと言い張っていたあの変態性は生来のモノであるらしかった。
いや、良くない。
いや、良いのか……?
彼女の事が未だに分からない僕は、どういう因果か自分の好みの女性像さえもあやふやになっている様子であった。
「まー、うん。でも今のゆーくんはフリーやろ?」
「こんな状況で彼女を作れる筈もありませんしね。ましてや僕が男性であるっていう事実を知ってる女性以外と」
「仮にゆーくんに彼女さんおっても、僕は素直に諦めるよ?」
「それは、どうして?」
「ゆーくんが幸せなら、まぁ別に? 悔しいけど」
「どうして、そんな無償の愛を、僕に?」
「んー? そんなん好きやさかいじゃあかん? それで充分やろ、うん」
「――――」
思わず、絶句してしまった。
好きだからという理由で、自分から好きな相手を嫌いにさせる行動を取る彼女の愛は間違いなく本物だ。
自分本位で人を愛するのは、きっと、とても良い事だろう。
だけど、相手の為を思って、相手の事だけを考えて、自分を捨ててまで相手を愛するというのは、美徳を超えて滅私の行いに他ならない。
「でも何て言えばいいのか分からへんね? せやね、ゆーくんって女装しよ思た時に女装し続けようて意固地にならへんかった? あれと同じ。僕もゆーくんの為に頑張ろって、騙し続けよって、ついつい頑固になってもうた。で、ゆーくんが百合園女学園を無事に卒業したらまだ東京にいる僕が告白するつもりやった」
「だから、実家の京都ではなく東京の方に進学を……」
「ん。こっちとしては1年後にする予定やった告白が前倒しになってお得。ゆーくんも僕みたいな美少女と付き合えてお得。な? 付き合お? 僕と付き合ったらこれから先の人生絶対に楽しなるよ?」
それは絶対にそうかもしれない。
メス豚先輩の時点で色々と愉快な一面があるというのは僕も知っているし、僕が男であるという事を知りながらも知らないフリをしながら僕の手助けをしてくれた彼女に優しさがあるというのも思い知らされたし、何よりも顔が僕のタイプだった。
いや、本当に最低だな僕。
そして、本当に最高だな彼女。
「……実を言うと、物凄く心が揺れています」
「マジで? え? これ付き合える流れ?」
「だけど、僕はまだ女装をしないといけない訳で……」
「もー。こっちはもう10何年も待たされてるんよ? 1年なんて短い短い。それに女性同士が付き合っても何にもおかしくない時代が今よ? というか女装をしながら恋愛してくれる彼氏って最高やん……!」
いや本当に彼女は僕に都合が良すぎないか?
こんな素敵な女性が余りにも都合が良すぎるとそれこそ何かの罠があるのではないのかと逆に疑ってしまうのが僕なのだけれども、今日の昼に彼女の日記帳を拝見して、衝撃の事実を目の当たりにした僕の胸は今までに感じたことがないぐらいに暖かい思いで一杯になった。
そもそもの話として、僕は今までの人生で異性に興味を持ったことが無かった。
そんな僕の目の前に理想の異性がいて、半年と少しというそこそこ長い期間の間、同じ屋根の下で寝食を共にしたりしていたり、何ならお互いの裸体を擦りつけ合った事もある間柄である。
彼女の人間性が僕は大好きだったし、彼女の意外性しかない性格も大好きだったし……だからこそ、この学園生活で彼女を邪険にし続けてきたという行いに罪悪感があった。
この罪悪感を無くさない限り、僕は彼女を本当に愛せない気がするのだ。
そんな事を言の葉にして彼女に伝えてみると、彼女は眩しい笑顔で一通り笑い。
「女々しいわぁ、ほんと」
ぐさり、と正論で刺してきた。
「でも真面目に考えてくれてありがとな? やけどなぁ? こうして僕が本当の姿を曝け出しているんやから、ゆーくんの本当の想いを聞きたいなぁ? ん。今すぐ」
「今すぐって……えぇ⁉ いや、でも、その……! これって、物凄く僕たち2人の人生に左右する事でしてね……⁉ というかさっき、すぐじゃなくていいからって言ってませんでしたっけ⁉」
「付き合うならすぐの方が良ぇやん。いけず。で、どないする? 付き合うの? 付き合わへんの? どっちにするん?」
「……うぅ……!」
目の前にいる彼女は真剣な表情でこちらを見据えている。
だけど、それでも彼女の口端はそれはもうプルプルと笑みで震えており、自分の勝ちを確信していると言わんばかりにほくそ笑んでいるのが手に取るように分かってしまう。
くそぅ、あんな表情をされたら逆に崩したくなってしまうのだけれども、今の僕には彼女に対してそんな事が出来ないぐらいに彼女への思いで溢れかえっている。
寧ろ、今の僕と彼女の思いは絶対に同じなんだって思うだけでも、彼女の笑みが僕の表情筋にまで伝染してくるものだから本当にどうしようもない。
「……先輩」
「なぁに?」
「付き合ってください」
「ん。よろしく。幸せにしたるわ」
「それは僕の台詞です」
「じゃあ、僕を世界で1番に幸せにしてな?」
そう言うと彼女は僕の頬に優しく触れる。
まるで今からキスをするぞと言わんばかりに僕の眼前に急接近した彼女は、本当に接吻をするかのように僕の頬に片手を優しく添えてみせる。
大切な宝物に触れるように。
傷なんて絶対に付けさせないかのように。
まるで4月のあの日にお互いが再開できたあの桜の木の下でのやり取りの続きをするように。
とろけるように柔らかい女の子の手が僕の頬に添えられたので、僕は彼女が触っている逆の頬に触れると、下冷泉霧香は恥ずかしいと言わんばかりに赤面してみせた。
「あ、あの……これ……案外、される側、恥ずかしいな……?」
「今までセクハラしてた癖にセクハラされるのは恥ずかしいんですね」
「だ、だってぇ……そういう初めては、ゆーくん以外の人は嫌やったしぃ……?」
「じゃあ、お互い初めてですね」
「せ、せやね……あ、あの……本当にするん? その、僕、覚悟の準備が、その、まだ出来てないかなーって」
「先輩はそういう事したくないんですか?」
「………………したい」
「じゃあ、しましょう」
「………………あのな? 僕、初めてやし……優しく、してな?」
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