11話 大きな一歩

「トマス、これはどういうこと!?」




 ファビオラの説明を聞き終えて、パトリシアが食ってかかった相手はトマスだった。


 


「今まで私に隠していたわね? ファビオラが商科へ移動したときから、こうなると分かっていたのでしょう!?」




 普段は淑女を装っているパトリシアだが、根っこはリノと同じくエルゲラ辺境伯家だ。


 おのずと、流れる血は野性味を帯びていた。




「君が血気盛んになるんじゃないかと思って、黙っていた。ファビオラが身を削ってまで、あの町を護ろうとするのを、力技で止め兼ねなかったから」


「当たり前でしょう! 子どもが体を張ってまで、することではないわ!」


「子どもだからと一括りにするのは、早計ではないかね? ここまで綿密な資料を揃え、学びを活かし、懸命に頑張っているんだ。大人にだって、簡単に出来るものではない」


「能力の高さは関係ありません。ファビオラはまだ、15歳なんですよ!」




 掴みかからんばかりのパトリシアの権幕だが、トマスはそれを易々といなす。


 ひやひやする展開を、ファビオラは固唾をのんで見守った。


 ここでトマスが主導権を握り、パトリシアを丸め込んでくれないと、ファビオラの計画は白紙に帰してしまう。


 


「ファビオラが失敗しても、責任は大人が取ればいい。そのために私たちがいるんじゃないか」


「王城にいる頭がいい人たちは、何をしているんです? ファビオラが犠牲になる必要はありませんよね?」




 まったくもってパトリシアの言う通りなのだが、それは長年、トマスが挑んできて駄目だった方法なのだ。


 国防に関しては機密事項も多いため、トマスは詳細を語れない。


 それをいいことに、宰相のオラシオはざっくりとした印象操作で、民がトマスに反対するよう誘導した。


 おかげでトマスは、提案していた政策を取り下げ、ファビオラに賭けた。




「ファビオラだから許される面もあるんだ。大人ではなく子どものすることだから、見逃してもらえてる」


「……そんなにヘルグレーン帝国との関係は、悪くなっているのですか?」


「関係はそこまで悪くない。ただ、何が起きるか分からない不気味さがある。そのときにエルゲラ辺境伯領が犠牲になるのを、私もファビオラも望んでいない」




 トマスがパトリシアの青い瞳を見つめる。




「あそこは君の故郷だ。何かあれば、君は傷つくだろう?」


「ファビオラは安全なんですか? もし、過去のようなことがあれば――」




 パトリシアの声が震え出した。


 トマスはその涙が落ちる前に、パトリシアを胸に抱き寄せる。


 


「大丈夫だよ。聞けば、ヘルグレーン帝国の皇弟まで味方につけたと言うじゃないか。私たちの娘はすごいよ。もっとファビオラを信じよう」


「でもファビオラは女の子なんですよ。無茶をして、また体に傷が増えたら……っ」


「それこそ、心配ない。体の傷をどうこう言う男に、ファビオラを嫁がせるつもりはない」




 きっぱりとトマスが断言する。


 そして、パトリシアにだけ聞こえる声で囁いた。




『私が君の体の傷を、非難したことがあったかい?』




 お転婆だったパトリシアの背中には、落馬してできた古傷がある。


 いつでもどこでも背中を隠すパトリシアに、トマスは事情があるのだろうと深く追求しなかった。


 ふいにそれが明らかになってしまったとき、青ざめたパトリシアをトマスは庇った。


 もう痛くはないのか? と優しく傷を撫でられて、パトリシアは号泣したものだ。




「誰もがトマスのように、女性の体の傷に寛容ではないわ。でも……そうね、そんな男はこちらから、お断りすればいいんだわ」




 涙を拭ったパトリシアが、笑顔でファビオラを振り向く。




「ファビオラ、お母さまも応援するわ。きっとトマスが表立って動いてはいけない、事案なのでしょう。それに、エルゲラ辺境伯領を愛してくれるファビオラの気持ちが、とても嬉しいの」




 ありがとう、とパトリシアは心からの感謝を言葉に込めた。


 ファビオラも胸を撫で下ろす。


 トマスを先に説得したのは正解だった。




(私じゃお母さまは手に負えないから、お父さまを早々に味方につけられて良かったわ)




 心配するパトリシアのせいで、いろいろ条件はつけられてしまったが、それでもファビオラは商会を立ち上げる許可をもらい、大きな一歩を踏み出すことになった。




 ◇◆◇◆




「シトリンさん、お姉さまの反応はどうだったかしら?」




 今日の授業が終わると、ファビオラは隣に座るシトリンへ話しかけた。


 するとシトリンは、ぐるりと顔をファビオラの方へ向け、興奮気味に捲し立てる。


 


「聞いてくださいよ、ファビオラさん! 姉ときたら、私の手紙を読むやいなや、返事も書かずに直接、王都へ出て来てしまったんです。ファビオラさんにも予定があるというのに……」


「それは好都合だわ。これから学校が長期休暇に入るでしょう? その間に、エルゲラ辺境伯領で建設中の工場を見学したり、ヘルグレーン帝国の商都を視察しようと思っていたの。シトリンさんのお姉さまは、旅に同行してくれるかしら?」


「喜び勇んで、駆け付けると思いますよ! ファビオラさんが想像している以上に、姉はこの件に前向きです!」




 シトリンの姉ルビーは、現在19歳だそうだ。


 学校を卒業してすぐは、王都にあるフーゴ宝石商で働いていたが、継承をめぐって両親と意見を対立させてからは、拗ねて領地へ引っ込んでいたらしい。


 そんなルビーへシトリンを通じて、新しい商会の立ち上げに関わってみないかと、ファビオラは誘いをかけたのだ。


 


「旅の前に一度、お姉さまと打ち合わせをしたいわ」


「私もそれがいいと思います。本当に姉でいいのか、確認をしてもらわないと……」




 難しい顔をしてブツブツと呟くシトリンに、ファビオラは笑みを零す。


 シトリンは商科の中でも努力家で、常に成績は上位を保持している。


 そんなシトリンの姉が、愚か者であるはずがない。




「シトリンさんのお姉さまだもの。きっと大丈夫よ」


「えええ! 私の責任、重大じゃないですか!?」




 その後、無事にルビーと顔合わせをしたファビオラだが、シトリンそっくりの才女だったルビーと意気投合、すぐに商会の副会長に任命して、固く握手を交わしたのだった。




 ◇◆◇◆




「お姉さま、商会の名前はもう決めたのですか? ヘルグレーン帝国の商都で、組合への登録も済ませてくるんですよね?」




 出発準備を見守るファビオラに、アダンが話しかけてくる。


 実は、アダンも一緒について行きたがったのだが、さすがにパトリシアの許可が出なかった。


 だからせめて手伝いたいと、使用人たちに交じって旅行鞄を玄関ホールへ運んでいた。


 玄関の外には大きな馬車が待機していて、モニカが荷物を積む順番の指示を出している。


 その横で、ファビオラはアダンに向き直ると、眉をひそめた。




「それがね……ずっと迷っているのよ。アダンなら分かるでしょう? 『オーズと勇敢な仲間たち商会』にするか、『たなびく髪は朱金色商会』にするか……とても、悩ましいわ」


「……ボクは、お姉さまの名前を冠してもいいと思いますよ。『ファビオラ商会』なんてどうですか?」


「そのまま過ぎて、恥ずかしいわ! それに資金を稼いだ後は、商会を丸ごとルビーさんへ譲るつもりなのよ。だったら、ルビーさんに決めてもらうのがいいかしらね?」


 


 アダンの視界の端で、ファビオラのあんまりすぎるネーミングセンスに、モニカがぽかんと口を開けていた。


 それとなくアダンも修正を促したが、商会名はルビー次第になるようだ。


 流行のオーダーペアブレスレットを発明したセンスを、ぜひとも命名にも発揮して欲しいとアダンは願う。




 いよいよ出発というときに、家令が慌ただしくファビオラのもとへやって来た。




「お嬢さま宛てに、王家から手紙が届いております」


 


 恭しく差し出されたのは、薄ピンク色をした封筒だった。


 ファビオラはそれを見て、ひくりと喉を震わせる。




(どうしてなの? これが予知夢で見たお茶会の招待状なら、私が16歳のとき――今から1年後に届くはずでしょう?)




 家令にペーパーナイフで開けてもらい、ファビオラは恐る恐る中身を確認する。


 どうか違っていて欲しいという願いは、叶えられなかった。


 


(王城の庭園で――王太子殿下を囲んでのお茶会――日にち以外はまるで一緒ね)


 


 その文面は、ファビオラが予知夢の中で受け取ったものと、同じだった。


 


(アダンが王太子殿下に声をかけられたのも、お茶会の開催日が早いのも、私が予知夢とは違う行動をしたせいかしら?)




 未来を変えられて嬉しいはずだが、そのたびにレオナルドが近づいている気がしてならない。


 レオナルドの瞳の色に似せられた封筒を手に、ファビオラはため息をついた。

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