4話 芽生えた嫉妬心

 ファビオラとアダンは、1歳違いの年子だ。


 ファビオラに続けてアダンが生まれて、グラナド侯爵家は一気ににぎやかになった。


 しかし同じ子どもであっても、男女という性差が、ファビオラを取り巻く環境を悪くする。


 邸内の使用人たちは、後継者となる男児のアダンを、女児のファビオラよりも大切に扱ったのだ。


 


(幼い私はアダンに、みんなを奪われたと思ったのよ。そのときはまだ、アダンが熱を出しがちな、病弱な子だったって知らなかったし)




 アダンに付きっきりで看病するパトリシアに、ファビオラは不満を募らせる。


 そして小さな心に芽生えた大きな嫉妬は、ファビオラを手のかかる子に育ててしまった。


 周囲の気を引きたくて癇癪を起こし、わがままを言っては面倒をかけるファビオラが、パトリシアの実家であるエルゲラ辺境伯領へ預けられたのは、仕方のない処置だったのかもしれない。


 


(家族から一人だけ離されて、私は寂しくて泣き暮れた)




 アダンからファビオラへ、病気が移らないようにという配慮もあったのだろうが、当時は分かるはずもない。


 べしょべしょにしおれたファビオラを慰めてくれたのは、若くしてエルゲラ辺境伯を継いだ叔父リノだった。


 リノの目鼻立ちがはっきりした顔だちは、母のパトリシアによく似ていて、親近感を覚えたファビオラはすぐに懐く。




「ファビオラ! 体がくたくたに疲れたら、ぐっすり眠れる。そうすれば泣き虫なんて、どこかへ行ってしまうさ!」


 


 立派な肩書きはあったものの、心はやんちゃな少年のままだったリノは、仕事の合間にファビオラと野原を駆け回ってくれた。


 それこそ毎日、汗まみれ土まみれになって、目いっぱい遊んでいる内に、ファビオラから次第に悲しみは去っていった。


 さらに、5歳になったファビオラが字を覚えると、リノは書庫への立ち入りを許可してくれるようになる。


 ファビオラにはまだ難しい本もいっぱいあったが、急に世界が大きく広がったのを感じたものだ。


 冒険譚や英雄伝記といった、男の子向けの物語をファビオラが好むのは、間違いなくリノの蔵書の偏りから影響を受けている。




(『朱金の少年少女探偵団』と出会った日――6歳の私は、エンディングが気になって読むのをやめられず、初めて徹夜をしてしまった)




 朝まで本を読んでいたのがばれて、怒られるとビクビクしていたが、リノは盛大にそれを笑い飛ばした。




「それでいいんだ、ファビオラ。好きなものがあるって、幸せなことなんだから」


「私、幸せなの?」




 アダンに居場所を奪われて、ファビオラは自身を可哀そうだと思っていた。


 だが、リノは違うと否定する。


 半信半疑のファビオラに、リノは止めを刺しにきた。


 


「実はその『朱金の少年少女探偵団』には、二巻があるんだ」


「え!? オーズたちは、別の事件の謎も解くの!?」


「それだけじゃない。作者は五年に一度、シリーズの新作を出すと言っている。三巻が出るのは、ファビオラが9歳のときだ」




 立て続けの吉報に、ファビオラの瞳はキラキラ輝いた。


 それほど『朱金の少年少女探偵団』に、どっぷりとはまってしまったのだ。


 元孤児のオーズたちは、その仲間もみんな元孤児だ。


 だけど日々の暮らしを謳歌し、頭の固い大人たちを出し抜いて、自分たちだけで謎を解決する。


 その底なしに明るい世界観に、ファビオラは心を射抜かれた。


 


「ファビオラ、まだ自分を可哀そうだって思うかい?」


「ううん! 私、幸せだわ! だって、こんなに素敵な物語を、これからも読めるんだもの!」


 


 それからファビオラは、考えを改めた。


 不幸は幸せで塗りつぶせる。


 『朱金の少年少女探偵団』が教えてくれた。


 幸せとは探せば案外、身近に見つかるものなのだと。


 ファビオラの中のアダンへの嫉妬は、このときにきれいさっぱり消えた。




 ◇◆◇◆




 アダンがエルゲラ辺境伯領へやって来たのは、ファビオラが7歳のときだった。


 病弱だった体が少し健康になったから、これからは自然豊かな場所で過ごさせようと、大人たちの間で決まったらしい。




「お姉さま、こんにちは。これからボクも、こちらで暮らすことになりました。よろしくお願いします」




 弟の赤ちゃん姿しか見たことがなかったファビオラは、ちゃんとお辞儀をして、挨拶を述べたアダンの成長に驚愕する。


 エルゲラ辺境伯領では、やんちゃなリノを筆頭に、リノのお嫁さんのアルフィナも、大勢の臣下も、土地柄ゆえか大らかな人ばかりだ。


 貴族らしい四角四面なマナーなど、遊ぶのに忙しいファビオラは、まったくと言っていいほど身につけていなかった。


 だがファビオラには、至高と信じてやまないものがある。


 


「ここでは、堅苦しい礼儀は不要よ! 私たちの挨拶はこう!」




 ファビオラは、『朱金の少年少女探偵団』方式の挨拶を、アダンに仕込む。




「こうですか?」


「もっとギュッと拳を握り込んで! 『幸運あれ!』と言って、こつんと合わせるのよ!」




 さすがにリノも、登場人物になり切る、ごっこ遊びまでは付き合ってくれない。


 だからファビオラはアダンを、『朱金の少年少女探偵団』の沼へ落とすと決めた。


 布教活動のために書庫へ連れて行き、真っ先に『朱金の少年少女探偵団』を薦めると、アダンは素直に読み始める。


 そしてまんまと、ファビオラの思惑通りになったのだ。


 


「お姉さまの髪は、オーズと一緒なんですね」


「これはね、朱金色に染めているのよ! カッコいいでしょう?」


「はい! ボクも同じ色にしたいなあ」


「アダンは難しいかもしれないわね……私は元の髪色が銀だから染めやすいけど、アダンはお母さまに似て真っ黒だから」




 姉弟と言えども二人には、長い別離の期間があった。


 しかし、共通の推しがその溝を埋める。


 ファビオラはそうしてアダンと暮らす内に、アダンの背負っている重圧の大きさに気がついた。




(自由奔放にさせてもらっている私と違って、アダンは年下なのに随分しっかりしている。こんな小さいうちから、後継者教育がもう始まっているんだわ)




 かなりの本を読みこんだファビオラは、貴族が血を繋ぐ意味を知っていた。


 それを担うアダンが、時おり息苦しさを感じていることも。




(大きくなれば、アダンは好きなことばかりしていられない。せめて気ままに遊べる今くらい、思いっきり楽しむといいわ)




 それが分かって以来、ファビオラはアダンを連れて、あちこちへ出かけた。


 国境付近のあの町へ行ったのも、その流れからだ。


 牛の乳しぼりをさせてもらい、仔牛の世話を焼いていると、徐々にアダンの心労も解れていった。


 町では、二人の素性は知れ渡っていて、大人たちに温かく見守ってもらえる。


 牛が放牧されている草原を走り回ったり、『朱金の少年少女探偵団』を真似て探偵ごっこをしたり。


 生まれてすぐは病気がちなアダンだったが、エルゲラ辺境伯領へ来てからは逞しくなり、熱を出すのもすっかり少なくなった。




 ――それから数年後、あの男の子と出会ったのだ。


 


 町ですれ違いざま、ファビオラと男の子は同時に振り返り、お互いの髪色を確認し合った。


 そして、思わずそれを口に出す。




「オーズと同じ、朱金色……!」


「僕と同じ髪色なんて、珍しい」




 時の流れが止まったような二人の側で、アダンがわっと歓声を上げた。




「もしかして、あなたは本物のオーズですか? ボク、大ファンなんです!」




 アダンの台詞を聞いて、ファビオラがハッと覚醒する。


 ファビオラも一瞬、そうじゃないかと思ってしまったが、そうではない。




「違うわ、だって三巻のオーズは、15歳になっていたもの」




 その男の子は、オーズと同じ朱金色の髪をしているが、背丈はファビオラより少し高いだけ。


 まだ少年らしさを残す顔だちは、とても15歳には見えなかった。


 目を丸くしてびっくりしていた男の子だったが、嬉しそうに言葉を返してくる。


 


「君たちも、『朱金の少年少女探偵団』を読んでるの?」


「もちろんよ! あのシリーズは、私たちの聖典なの!」


 


 名前も知らない男の子とは、一瞬で打ち解けた。




 そして――いつもファビオラが夢で見る、あの日の出来事に繋がっていくのだ。


 ごっこ遊びをして、疲れて草原へ寝そべり、襲撃を受ける。


 


(私が血を流しているのを見たせいで、アダンは久しぶりに高熱を出して倒れたわ。慌ててお母さまが迎えに来て、私たちは回復するやいなや、エルゲラ辺境伯領からグラナド侯爵領へ住処を移されたのよ)




 せめて男の子と、名前を教え合っていればよかった。


 オーズ、シャミ、ポムと呼び合い、自己紹介すらしていなかったのだ。


 あの男の子が、『殿下』と呼ばれていた件は、大人には秘密にしている。


 ファビオラが矢傷を負ったせいで、ただでさえ周囲はピリピリしていた。


 そんな中、ファビオラが男の子に興味津々なのが知られてしまえば、きっと余計に男の子から遠ざけられてしまうだろう。


 


(だけど、そんな心配をしなくても、私もアダンもグラナド侯爵領から出してもらえず、あの男の子の行方は分からないまま……)




 しかし今も、ファビオラは男の子を探すのを諦めていない。

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