第8話 ここは酒場


 

「実は、フィリップス支店長……」

 そう言ったのはフィッツジェラルド工場長だ。

「どうしたんです。工場長、そんなに改まって」

「実は、我々が快速帆船を建造していることを嗅ぎまわっている者がいるのではと思うのです。支店長……」


「嗅ぎまわる? 何故? そんなことをして、何の得になるのでしょうか」

「分かりませんが、茶商人にとって、これだけの大型帆船を作ればライバルになりますから」

「それは承知ですが、今、茶の運び手は不足しております」

「だから、わからないのです」

「うん……」



 その頃、ヴィレムたちは。

「ポーターって、黒ビールなんですね」

「おぉ、そうだ。焦がしているんで黒いんだ。兄ちゃん」

「そうなんですか。麦芽を焦がすんですか」


「えぇ、親方ぁ。ウソを教えたらダメだよ。これは、元々、黒い麦芽を使っているから黒いんだよ」

「ジャスミン。なんだ、知らないのか。実は『焙煎』と言って、焦がしているんだよ。麦芽が黒いんじゃあねぇよ」

「お、親方こそ知らんのじゃろ。元々、黒い麦があるんじゃ」

「いや、焙煎じゃ」

「元々じゃ」

 と、酔った勢いで親方と女工員が口喧嘩を始めた。


「なあ、オランダ野郎! どっちが正しいと思うよ?」

 その時、ヴィレムは『なんで、僕に振るのだよ』と思ったが、にこやかに笑ってごまかすことにした。

「じゃあ、店員さんに聞いてみましょう」と。


「よし、どっちが正しいか、イギリス人らしく賭けようじゃないか。二人とも」

「おうよ、親方。1シリングかけるよ」


「……」


「で、ヴィレムは、どっちに賭けるのさ?」とジャスミンが、顔を覗き込んできた。

――これは、どちらかに賭けないと。でも、どちらかにしても文句を言われそうだし。


 そこに店員がヴィレムたちの近くを通った。

「あっ、店員さん。ちょっと教えて」


「あぁ、なるほど。元々黒い、例えばライ麦などの黒麦を使っているのではないですよ。焙煎です。普通の茶色いビールが焙燥と言って、80度ぐらいで感想をさせるのを、焙煎、つまり100度以上の熱で乾燥させると黒くなるのですよ」


「ほら、みろ! ジャスミン」

「えぇ、そんな……」


 その時、ジャスミンがヴィレムの方を向いて、

「あんた。どっちに賭けてた?」

「えぇ、賭けて」

 そう、ヴィレムは賭けては無かったのだが、ジャスミンが何だか、泣きそうなので、つい「僕も麦が黒いのかと……」


 だが、泣きそうなのでなく、単に酒のせいでそう見えただけなのだが、ヴィレムは、この日は余計な出費をすることになった。


「オランダ野郎、名前は?」

「ヴィレムですよ。覚えてください」

「うん。わかった」


 その時、この女工員が「ありがとう」と言ったことは、ヴィレムの耳には届かなかった。

 ここは、騒がしい酒場なのだから。

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