その5
土曜日、俺はアパートの前でナカエさんと待ち合わせをしていた。
家具を買うと約束した日の週末である。
同じアパートだから俺がインターホンを押しに行くと言ったら拒否された。待ち合わせしてみたいから、と。
ほんとかよ。少し疑わしい。俺を部屋に迎えに来させないのは行きたくないからか?俺を外で待たせて窓から見て嘲笑っているんじゃないか?
しかし、暑い。6月の終わり。もう梅雨が明けているんじゃないかと思う。
桜が浜はいい街だと思う。いや、新市街は今日始めて行くから分からないが、ここ旧市街は風情がある。
夏目前の太陽が白い建物に照りつけ、さながらリゾートのようだ。ちなみに、別に建物を白く塗っているわけではなく、日差しと海風の強い影響を受け、経年で壁が白くなっているだけである。
でもそういうのが風情があっていいじゃないかと思う。バブルチックというかなんというか......バブルなんて知らないしそもそも日本が初めてだが。
「おまたせ〜」
そんなどうでもいいことを考えているとナカエさんが現れた。
金髪をおろし、ハイウエストのパンツと短めのトップスの間から白い肌がチラチラと見えてドキドキする。
俺は彼女が来ないと疑ったことを後悔してちょっと自己嫌悪した。
「うす」
俺は右腕を上げる。
「うっすうっす。待った?」
彼女はニコニコしながら近づいてきた。
相当待った気がするが、それは言わないでおこう。
†††
『次は〜新桜が浜、新桜が浜。』
くたびれた車両にアナウンスが響く。
電車のドアが開くと、ボロ電車には合わないターミナル駅だった。
「うおぉ」
「驚いたっしょ?結構都会なんよ」
「すげえ」
そもそもあまり電車というものに馴染みはない。アリャバニスタンは鉄道網が未発達だった。
そして俺の驚きは駅ナカを通って外に出たところでさらに増した。
立ち並ぶビル群、行き交う人々。
どちらもアリャバニスタンでは首都のクァブルー以外では見られなかった光景だ。
「人がいっぱいだ」
「土曜日だからね〜」
ナカエさんは呑気に言ったが、そういうことではない。
「さっそくだけど行こっか」
「うす」
インテリアショップが駅のすぐそばにあるらしく、ナカエさんも部屋を借りるときにそこで買ったらしい。
「そういや、ナカエさんは元々地元民じゃないのか?」
「ん?どして?」
「一人暮らししてるし」
「あー......」
「いや、話しにくいか?」
「うん......」
「そうか。ならいいんだ」
なにかやんごとなき事情がありそうで、せっかくナカエさんのテンションが高かったこともあり、俺は深追いはせずに話を切り上げた。
インテリアショップは本当にすぐそこだった。
「おお!すごいな!」
3階建ての建物には各カテゴリーごとに家具が陳列されており、この店だけで一式揃いそうだった。
「サダムくんは今家になにがあるの?」
「何もないぞ」
「え?」
「いや、最初からついてた冷蔵庫と洗濯機はあるんだが.....後はなにもない」
「マジで?」
「マジだ」
「え、どうやって寝てんの?」
「バッグを枕にして......」
「雑魚寝?」
「ザコネ?なんだそれ?」
「サダムくんみたいに床で寝ることだよ!」
「どういう字を書くんだ?」
「そのまま!ザコにネる!」
「なるほど......勉強になったわ。ありがとう」
「どういたしまして......ってじゃない!そんなふうに寝てると体悪くするって!」
「だから買いに来たんだが......」
今日のナカエさんは一段とテンションが高くてなんか心配になる。月曜日休んだりしないだろうか。
「このソファなんてどうだ?」
「ソファは一人暮らしで買っちゃいけないものランキング1位だね。物置になるよ。デカいし」
「なるほど」
「とりあえず必要なのはベッドじゃない?」
「おお」
†††
一通りのものは買った。ベッド......は高かったので、すのことマットレス、ちっちゃいテーブルとイス、本棚、そしてカーペットを買った。俺は全て無理やり手に持って帰るつもりだったが、家まで配送してくれるらしい。金は取られるが......
財布が薄くなる。金は一応兵士時代に貯めた雀の涙ほどの貯金と奨学金があるが、それだけでこれから生活していくのはキツそうだ。なにかバイトを探す必要がある。
「今日は付き合ってくれてありがとな」
「なーに帰ろうとしてんのっ。これからお昼も行くっしょ?」
ぐぬぬ。テンションが高いのか俺の買い物にちょっかいかけるのが楽しかったのか、ナカエさんはあろうことかランチに誘ってきた。ついさっき金に対する憂いを感じたばかりだというのに、ギャルのお誘いとあらば断るわけにはいかない。
「う、うす。いいぜ」
というわけで昼だ。
なんかシャレた高い店に連れて行かれると思ったが、ハンバーガーチェーンだった。一安心。安っぽい席に座る。
「ワクドナルドか。有名だぞ。日本人のマルドナクドの発音は。イギリス人の知り合いが言ってた」
戦争の時、チェスターと名乗るイギリス人義勇兵が言っていた。もっとも、彼は日本人のマルドナクド発音についてより、トマトや水の発音、そして何より「ゼット」に関してアメリカ人に文句を言っていた。
「マジ?サダムくんイギリス人の友達がいるの?」
「ま、まあね。と、ところで桜が浜はどっちなんだ?ワクドかワックか。日本では地域によって呼び方が違うって聞いたぞ」
「ワックかな。東日本だから」
「なるほどね。西と東で違うのか」
どうでもいい話をしていると呼び出された。
「466番でお待ちのお客様〜」
「お、私だ」
「行ってらっしゃい。フォースとともにあらんことを」
なにそれと言って席をたった彼女はエピソード3において皇帝が
「早いな」
「こんなもんっしょ」
「いや初めてなもんで......って多っ!こんな食うの!?」
彼女のトレーにはビッグワックセット(ポテトはL、コーラもL)に加えて追加でビッグワックが単品で2個乗っていた。
「そう?普通っしょ?たくさん食べないと大きくなれないんだぞっ」
彼女はウインクして言った。すでに立派なものをお持ちだが......というか食いすぎだろ。
「467番でお待ちのお客様〜」
俺だ。
「行ってらっしゃい。」
そして銀河一早く俺は戻ってきた。チーズバーガー。単品だ。
「えぇ!?それだけ!?」
すでにビッグワックにかぶりついていたナカエさんが驚きの声を上げた。そりゃアンタの量からしたら少なく見えるだろうよとは思うものの、これだけなのは......値段の問題である。リーズナブルだと思っていたワクドナルドだが、あれこれ頼むと値段が嵩むことに気づいてしまった。そして俺はケチりにケチってチーズバーガー1個にしたのだ。ナカエさんのアレがどのくらいなのか計算したくもない。
「金がないんでね」
「足りる?分けてあげよっか?」
ええ、マジで!?と食欲と色欲、色々な意味で興奮したが、目の前に差し出されていたのはポテト一本だった。
†††
「ふぅ~食べたね」
「アンタだけだ」
俺たちはワックを食べ終わり、(ナカエさんは一瞬で平らげていた)しばし談笑したあと店を出た。なんか、いや、俺が勝手に思っているだけかもしれないが今日一日でだいぶナカエさんと仲良くなれた気がする。
「サダムくんって意外と楽しい人なんだね」
「意外とって......」
「最初会ったときはものすごい感じ悪かったし」
アンタこそだという言葉を飲み込む。まだ彼女が家で暗いという「ヒミツ」には踏み込めそうにない。もし今の段階で踏み込んだらそこは地雷原だろう。
「まぁ初対面の人間は信用しないことにしてたからな。アリャバンでは」
「はえ〜。大変だったんだね〜」
俺が適当なことを言うと、ナカエさんもギャル特有の聞いてんだか聞いてないんだか分からない相槌をした。否、聞いてないようだ。彼女の視線は俺の方を見ていなかった。
「ん?」
彼女の視線を追うと、子ども、5歳くらいの女の子が泣いていた。
「迷子かな?」
ナカエさんが子どもを見て言う。
「うーん。あたりに親っぽい人は見当たんないな」
するとナカエさんは女の子のほうに歩いていった。
「どうしたの?」
彼女はしゃがんで、女の子と目線を合わせて言う。
「ママがまいごなの......ぐすっ。もうすぐにいなくなっちゃうんだから......うっ......うわぁぁぁーん!!!」
女の子は子ども特有の謎理論を展開しようとしたが、すぐに不安になってしまったらしく、大声で泣き出した。
「あわあわ」
俺はあわあわする。AKの分解・組み立ては知っていても、子どもをあやす方法はわからない。
「あわあわ」
「大丈夫だよ〜」
ナカエさんは女の子の頭を優しくなでる。
「お姉ちゃんがマジックみせてあげるよ」
俺は、急に!?と思ったが女の子は泣きやんで、興味ありげな顔をナカエさんに向けている。
「まじっく?」
女の子がそう言うと、ナカエさんは手品師がやるように怪しく手をぐにゃぐにゃと動かす。
「行くよー......えいっ!」
ナカエさんが右手を握り、左手で大げさに呪文をかけ、右手を開くとそこにはいちごミルクの飴が現れた。
「す、すご」
俺は普通に驚いた。
「おねえちゃんすごーい!」
女の子もさっき泣いていたことは忘れたのかというほど夢中になり、目をまん丸くしていた。
「これあげるね」
ナカエさんは女の子の手に飴を置いた。
「ありがとー!ねぇ。おねえちゃんもっとまじっくできる?」
女の子は飴を頬張りながら言った。
「できるよーじゃあ、特別サービスっ!」
ナカエさんはそう言うと、色々マジックをやり始めた。
クッキーを消し、グミを移動させ、ポテチを出していた。
いや、どんだけ菓子を持ち歩いてんだよ。
「あっママ!」
そうこうしているうちに、女の子の母親と思しき人が焦った顔で現れた。
「マリちゃん!」
「お母さんですか?よかった......」
「このおねえちゃんがね、まじっくみせてくれたんだよ!」
「ほんっとにありがとうございます!」
「いえいえ、私もマリちゃんと遊べて楽しかったよ」
ナカエさんは女の子に微笑みかけた。
なんだか俺は、なんというか、体のうちから暖かいものが溢れて、それが体全体に駆け巡るような、そんな気持ちになった。
平和な日常、暖かい世界。そんな言葉が浮かんだ。
俺はアリャバニスタンで復讐のために戦っていたと思っていた。しかし、心の中で俺が望んでいたのはこういう暖かい世界だったのかもしれない......。
「よかったねっ」
母親と手を繋いで歩く女の子を見送っていたナカエさんがこちらを振り向いて微笑んだ。冗談抜きで―――金髪で、エグめのピアスをしているが―――天使かと思った。
その顔を見た俺はなんだかもうたまらなくなってしまったのだ。
「あれ、サダムくん?泣いてる、よ?」
「いや、め、目にゴミが入っただけだ」
「ふふっ。お姉さんがマジック見せてあげようか?」
ナカエさんは最初驚いていたが、冗談を言うと、つま先立ちをして、優しく俺の頭を撫でたのだった。
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