その2

『次は、桜が浜、桜が浜』

 2両編成のくたびれた電車の車内に車掌の声が響く。乗客は俺だけだった。

 窓の外を見ると、強烈な太陽に照らされる青い海と白い砂浜が見えた。故郷、アリャバニスタンに存在しない風景に俺は息を呑んだ。


 海を眺めていると、電車は桜が浜駅のホームに着いていた。オリーブカラーのバッグを網棚から下ろす。ずっしりと重い。

 ドアを出ると 電車はすぐにおばちゃんの自転車のようなひどい金属音を鳴り響かせながら出発していった。

 

「ん......」

 

 背伸びをすると俺のような男が出すと気持ち悪い声と関節がなる音がした。ついでにあくびも出た。

 あくびの大口と膨らんだ鼻から潮風が吹き込み、肺は海で満たされる。しょっぱくて生臭い、しかし爽やかな初めての匂いは、血と泥の匂いとは正反対だった。


 駅を出る。振り返ると駅舎はなかなか年季が入っていた。「桜が浜」と書かれた看板の浜の字の氵が消えかかっていた。遠くには新市街が見え、小綺麗な高層ビルが立ち並んでいるように見えるが、この辺はどうも寂れているようだ。

 

 俺はマップアプリに従い、きれいな大家さんがいるという妄想をしながら、住む予定のアパートに向かった。

 

「ボロっ......」

 

 それが第一印象だった。

 まぁしかし、荒廃したアリャバニスタンの家々よりは遥かにマシだ。風穴が壁に空いていない。

 階段を上がり、部屋の鍵を開ける。

 ちなみに、鍵をもらう時に会った大家さんは期待していたクソデカおっぱいで涙ボクロがあるえっちなお姉さんではなく、大家のイデアのようなおばあさんだった。

 カビ臭さはなく、内装はきれいだった。

 窓を開けると潮風が部屋に吹き込んでくる。

 潮風に慣れていなかったので、その独特な匂いに一瞬戸惑ったが、すぐに心地良くなった。

 

「ふぁ......」

 

 そんなことを考えていたら欠伸が出た。かなり長距離、長時間の移動だったのでなかなか疲れた。羽田から何時間かかったのか、もはや考えたくもない。

 少し寝るかと思い、床にそのまま寝転がった。硬いが大丈夫。このくらいなら慣れている。

 そんなことよりもとにかく眠い。バッグを枕にしての雑魚寝体勢から眠りに落ちるのはすぐだった。


 早くに寝ると早朝に目が覚めるというのはあるあるだ。

 5時に目が覚めた。しかし、それがちょうどいい感もあった。なぜかというと今日から登校で、俺は昨日すぐ寝たため、なんの準備もしていなかったのだ。

 枕代わりにしていたバッグから、制服と教科書、それから小さな通学用バッグを取り出す。制服はシワくちゃになっているかとヒヤヒヤしたが、そんなことはなかった。

 制服を着てみる。白いシャツは緑に慣れた俺にとってはなんだか変な感じだ。洗面所で鏡を見てみると似合っているとは言い難かった。まぁ、サイズがあっているだけ良しとしよう。というか恐らく似合っていない原因はこの髪だろう。伸びすぎて肩まで来ている。とはいえなかなか異国でいきなり美容院に入るのは勇気がいる。そのうち切ろう。

 リビングに戻り、バッグに教科書を詰めると、やることがなくなった。

 

「腹が減った」

 

 本能に従って俺は近くのコンビニに行ってみることにした。


 家から徒歩5分くらいの距離にあるコンビニまでの往復で、特段何かイベントが起こるはずもなく、適当に買ったおにぎりとお茶で日本を感じつつ腹ごしらえを済ませると、いい時間になっていた。

 

「行くか」

 

 バックを肩にかけ、俺は最初の一歩、新しい一歩を踏み出した。


 学園は家から15分くらいだ。堤防沿いを真っ直ぐ歩くと校舎がある。毎日海を眺められるのは新鮮だ。

 学園についたらまず職員室に来いと言われていたのでそのようにする。ドアを開けてすぐ近くにいた教師に声を掛けると、俺の担任だという人のところへ案内してくれた。

 

「ラファト・サダムです」

「担任の春日野かすがのよ」

「うおっ!やっべ!」

「ん?どうしたの?」

「い、いや窓から見える海がキレイだなぁ......」

「そ、そう......」


 ウソだ。俺はガッツリ春日野先生の胸を見ていた。えっちな女教師のイデアのような出で立ちによだれが出そうである。


「故郷には海がないもので」

「な、なるほどね」


 春日野先生は若干引いていたが、なんとか誤魔化すことに成功した。


「それじゃあ入って」

 

 先生についていき、教室の前まできた。


「うす」


 引き戸を開けて教室に入ると、どよめきが起こった。


「まぁ落ち着きたまえ」


 俺がそう言うと一転、静まり返った。


「ラファト・サダムだ」


 チョークを手に取り、黒板に名前を書いた。


 『羅華斗定武らふぁとさだむ


 当て字だ。なかなか不良っぽくていいんじゃないか?

 教室は相変わらず静まり返っている。


「もしかしてスベった?」


 最前列の生徒がコクコクと高速で頷いている。なんだコイツは。

 しかしスベっているなら仕方ない。路線変更だ。


「あー、ウソウソ。」


 『ラファト・サダム』


 黒板の漢字を消し、カタカナで名前を書き直した。


「ラファト・サダムです。チョー真面目です」


 ちらりと横目で春日野先生を見ると、頭を抱えていた。


「えー、アリャバニスタンから来ました。アリャバニスタンを知ってますか?」


 教室は静かなままだ。


「砂漠の国です。鳥取です」


 微妙な笑いが起こる。もういいや。


「以上す。よろしくね」


 いつの日かのムハンマドのように手をヒラヒラさせてみた。彼は元気でやってるだろうか。


「じゃ、じゃあサダムくんはあそこの席に座ってね。」


 春日野先生はちょっと困惑気味に指をさす。

 教室の最後方、窓際の席だ。いわゆる主人公席。色々なあれこれ、つまり、隣の席が超絶美少女でどうのこうの、を期待してしまうが......


「よっ!よろしくな。ラファト」


 男だった。


「君は?」


 どかっと席についた俺は芝居がかって彼に聞いた。


「俺は本本。本本昂輝ほんもとこうき。」

「よろしく。ラファト・サダムだ」

「さっき聞いたぜ。いや〜、てっきり転校生って超絶美少女かと思ったんだけどなぁ」


 なんだコイツは。


「なんだと?俺だって隣の席が超絶美少女だと期待したぞ?」

「あんだよ?」

「やんのか?」


 

「ダッハッハ!!!」

「最高だなラファト!」

「おいそこ、うるさいぞ」

「すみません」

「すいません」


 古文の教師が注意をする。

 俺たちの間ではパンチが飛び交うことはなく、肩が組まれていた。ホンモトとは妙に話があい、座ってから現在の2限までの間でずいぶん仲良くなった。ちなみに授業は全く聞いていない。


「おっと」


 俺はふと日本に来た目的を思い出した。人生を変えねば。

 一転、古文の授業に集中する。


「......。」


 全くわからなかった。


 †††


「サダムくん」


 放課後、春日野先生に呼ばれた。


「申し訳ないんだけど、これを届けて欲しいの」

「なんすかこれ?」

「今日のプリント。休んだ中江さんの分よ」

「いいすけど、俺すか?」

「実はいつも届けてもらってる小野寺さんが休みでね」

「はぁ」

「実はサダムくん、中江さんと同じアパートなの」

「はぁ!?」


 なんだこれ、チャンスか?

 女の子と同じアパート?やはり俺は超絶美少女と出会っていい感じになる運命だったわけだ。


「やりまっす!」


 俺はかなりいい返事をした。


 †††


 また休んじゃった。

 しかし学校に行くのがダルいからしょうがない。

 私はまたFPSゲームをプレイする。

 AKで敵を屠るのに夢中になっているとインターホンが鳴った。凛美絵かな?


「はーい」


 ドアを開けて、私は驚愕した。

 うちの学園の制服を着た、全く知らない、長髪の怪しい外国人が立っていた。

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