ep.25シノブレド・フォクス

狐面の男は幻影魔法によって生み出されたただのまやかしだったはずだ。


モンスターの魔法によって作り出された虚像でしかなかったはずだ。


モンスターを倒した今、魔法の使い手がいなくなった今、こうして目の前に狐面の男がいることは理屈に合わない。


しかし、現にこうして一ノ瀬とイシスの目の前に狐面の男は現れた。


それも妖怪屋敷から離れたお寺に。


一ノ瀬は緩んでいた気を引き締める。


男の一挙手一投足を見逃さぬように努める。


緊張感を持って構える一ノ瀬と対象的に男は自然体そのものだった。



「うーん、やはり魔力感知阻害が切れている。屋敷の方にも気配はない。誰かに倒された?いや、でもこんな低層で倒されるとも考えにくしですし……。」



妖怪屋敷で聞いた狐面の男の声と全く同じ声。


ただし、威圧するような口調ではなくゆっくりとした余裕のある喋りだ。


一ノ瀬とイシスのことなど全く気にかけずにお寺の前で小さな円を描くように歩きながらブツブツとつぶやいている。



「イチノセ、あいつ……幻影魔法じゃない。実体がある。」



魔力が含まれているものであればその輪郭を捉えることができるイシスがそう言うのだ。


一ノ瀬は今更イシスの魔力感知に疑いを抱くこともなく、狐面の男は実際にこの場に存在するのだと理解した。


狐型モンスターが本体の弱さを悟られないよう生み出した存在が狐面の男。


つまりは架空の人物だと一ノ瀬はそう勝手に思い込んでいたが、どうやらモデルになった人物がいたようだ。


妖怪屋敷で一ノ瀬に、つまりは探索者に明確に敵意を向けてきた狐型モンスターの幻影のモデル……。


どう考えてもただの風変わりな探索者とは思えない。


もしかするとギルドに登録せずにダンジョンに入ってきた者の可能性もある。


一ノ瀬は刀に手を伸ばしこそしないものの、最大限に警戒しながら話しかける。



「こんにちは、俺は'ウォーター'所属の一ノ瀬です。ここで何をしているんですか?」



ダンジョン内では太陽の高さもわからないので、'こんにちは'が時間にあった適切な挨拶かはわからないが他に適切な第一声も思いつかない。


一ノ瀬はなるべく警戒している事を悟られないように、精一杯普通を装って話しかけた。


男は声をかけられたことでやっと一ノ瀬の存在に気付いたようだ。


体はお寺に向けたまま顔だけ振り向く。


小さく「おや……。」と呟き一ノ瀬とイシスをまじまじと見た。



「これは失礼しましたね、つい考え事をしていて気づきませんでした。ええと、'ウォーター'とはたしか探索者のギルドとやらのうちの一つでしたね。ということは一ノ瀬さんは探索者でいらっしゃるので?」



男は意外にも物腰柔らかで口調も丁寧だ。


一見、敵対する人物ではなさそうだが一ノ瀬は警戒を緩めない。


男の言葉に僅かではあるが違和感を感じていたからだ。


探索者同士であれば所属ギルドを言えば、わざわざ尋ねなくても相手が探索者であるとわかる。


それなのにこの男は、所属ギルドを明かした一ノ瀬に探索者かどうか確認してくる。


それはこの男は探索者事情に疎いことの証明であり、同時に未登録の探索者である可能性を高めることにもなる。



「ええ、そうですけど……。その口ぶりだとあなたは探索者じゃないんですか?」



一ノ瀬はまだるっこしい探り合いのようなコミュニケーションは苦手だ。


思いきって直接、探索者かどうか尋ねることにした。


男は一瞬言葉に詰まったようなそぶりを見せたが……



「私は探索者ではありませんよ。ええ、探索者ではありませんとも。そういえば私はまだ名乗っていませんでしたし、自己紹介をさせて頂きます。」



そう言うと顔だけではなく体もしっかりと一ノ瀬とイシスの方に向けた。


左手をお腹のあたりに、右手を腰に添えて軽く会釈をする。


どこの国の所作かは一ノ瀬には分らなかったが洗練された上品な動きと共に自己紹介を始めた。



「初めまして、私の名前は"シノブレド・フォクス"。王国より預かりましたこのダンジョンの30層以下の管理を担当する"管理者"でございます。」



男が"管理者"という言葉を口にした瞬間イシスが直接ではなく、一ノ瀬の脳内で叫んだ。



『イチノセ、刀を抜いて!はやく!』



イシスに言われるままに一ノ瀬は刀を抜こうとするがもう遅かった。


いつの間にか、刀に蔦の様なものが纏わりつき鞘から抜けなくなっていた。


蔦がまとわりついているのは刀と鞘だけではない。


足元から地面を突き破って伸びる蔦は一ノ瀬の足、お腹、腕、そして首にまで絡みついていた。


またしてもいつの間にか、だ。


イシスは既に肉体強化魔法を発動しているが身動き一つとれない。


見た目はただの蔦だというのにその強度は鋼鉄のワイヤーを束ねたように固く、


一ノ瀬は抜け出そうにも藻掻くことすらできなかった。



「さて、手荒な真似はしたくありませんが……手荒な真似が出来るということは示す必要がありますからね。なに、質問に答えていただければ無傷で解放しますから大丈夫ですよ。」



口ぶりから察するにこの蔦はこの男によって差し向けられたのだろうが、いつ、どうやって縛られたのか一ノ瀬はまったくわからなかった。


まるで一ノ瀬を縛った後に現れたかのような、そんな有り得ない感覚を一ノ瀬は感じた。


狐面の男、シノブレド・フォクスは身動きをとれなくなった一ノ瀬の周りで、腰の後ろで手を組みながらゆっくりと歩き、話し始める。



「先ほども申し上げましたが私は普段から30層以下の管理をしております。自慢でもあり悩みでもあるのですが、私には優秀な部下が何人かいまして、やることが無く暇なんですよねぇ。そこで暇つぶしに適当なモンスターに魔法を教え、30層以下で最も強いモンスターを作り上げようと考えたのです。蟲、ゴーレムつちくれ、亜人、候補は色々ありましたがそれらのモンスターは魔法適性が低いので調教には不向きです。しかしわたしはあきらめませんでした。」



シノブレド・フォクスの語りの最中も、一ノ瀬は何とか抜け出せないかと体をよじるが意味はない。


シノブレド・フォクスは話を続ける。



「様々なモンスターを探した結果、最終的には小さな可愛らしい見た目のモンスターを見つけました。いや、大変でしたよ。生意気にも魔力阻害が使えるのでなかなか見つけられなくてね。お恥ずかしい話ですが私も魔力感知に自信があるわけではありませんから。部下の助けも借りながら何とかそのモンスターを百匹集めて、その中でも特に魔法適性の高そうな個体を交配させ"これだ!"という最高の個体を用意しました。私はその個体にマルルと名付け魔法を教えました。ええ、可愛かったですとも。優秀で素直でそれでいて従順で、マルルは最高の素材でした。」



シノブレド・フォクスは悦に浸りながら長々と話すが、その間一ノ瀬は何もしていないわけではなかった。


イシスが心を読んでいることに賭けて脳内で話しかける。



『イシス、聞こえるか?聞こえるなら返事をしてくれ!』



『聞こえてるわ!』



一ノ瀬はホッとした。どうやら最初の賭けには勝ったようだ。



『よかった、イシス聞いてくれ。奴は完全に俺のことを舐めている。だからこそ絶対に隙もできるはずだ。俺が合図をしたら限界まで強化した肉体強化魔法を使ってくれ!』



『もうやってる!一ノ瀬の体が耐えられる限界まで肉体強化魔法をかけたけど駄目だったの!』



『体のことは気にするな!三十……いや二十秒持てばいい。今よりも強くしてくれ!』



二つ目の賭けだ。


正直言ってシノブレド・フォクスの実力の底はまったく見えない。


一ノ瀬を縛り付ける蔦がどうやって現れたのかすらも未だにわからないのだ、まともにやって勝てる相手とは思えない。


しかし、何もしないわけにもいかない。


ダンジョンの"管理者"が何かは知らない、が倒すか逃げるかしないといけない相手だということ、それだけは一ノ瀬もわかっていた。



『不老不死だからって痛みがないわけじゃないのに……わかったわ。一ノ瀬が合図をしたら限界以上に魔法の出力を上げる!でもほんとに体が壊れちゃうからね!』



『ありがとうイシス。』



一ノ瀬はイシスとの会話を終える。


未だにシノブレド・フォクスの長話は続いていた。



「第4層くらいまでならマルルを倒せる者もいないだろうと、私はマルルに屋敷を与えいくつかの場所に屋敷に繋がる転移魔法トラップも仕掛けました。あの子に実戦経験を積ませるためにね。マルルは本当に可愛いくてねぇ。私が名前を呼ぶとトコトコと駆け寄って足に頬をこすりつけてくるんですよ。ペットなど子供の頃飼っていた寒鳴蝶以来ですからね、私も毎日マルルの元に通いました。教えたばかりの幻影魔法で私の幻影を創り出した時なんか思わず泣いてしまいましたよ。さて……少々しゃべりすぎてしまいましたね。本題に入りましょうか。」



そう言うとフォクスは一ノ瀬の前に立った。



「少し前からマルルの魔力感知阻害が消え、同時にマルルの魔力も消えたのですが何かご存知……いや、遠回しな言い方はやめましょう。」



フォクスは自分の顔を一ノ瀬の顔にグッと近づけて尋ねた。



「あなた、マルルを殺しましたね?」


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