ep.2崩砂病

「私って足の怪我が治っても退院できなかったでしょ?それって実はもう一つ、正体不明の病気にかかっているせいだって話は前にしたと思うけど……、最近その病気の正体がわかったの。わたしの病気はええと、正式名称は長いから忘れちゃったけど"崩砂病"って呼ばれている珍しい病気で……あと半年でわたしは死んじゃうんだって。」



 三日月が話している間、一ノ瀬は何も話せなかった。


 頭を鈍器で殴られたような気がして思考が纏まらない。


 その様子を見かねた三日月は



「なによその顔、落ち込んじゃダメって言ったでしょ?それとも何?私がいなくなっちゃうのが寂しいの?」



 と茶化すように言った。


 三日月なりにこの重い空気を変えようとしたのだろう。しかし一ノ瀬は大きな声で



「寂しいに決まってるだろ!」



 と怒鳴った。


 寂しいに決まっているのだ。


 三年前、身内と呼べる人間をすべてを失い絶望の淵から零れ落ちそうになった一ノ瀬を救ったのは間違いなく三日月なのだから。



「ごめん、そうだよね。私も寂しいもん。」



 三日月はポツリとそう言った。一ノ瀬は「怒鳴ってごめん」といった後に



「なにか治療法はないのか?」



 と尋ねた。


 しかし三日月はただ黙って首を横に振るだけだった。一ノ瀬は耐えきれなくなって



「悪い、ちょっとだけ一人にしてくれ。」



 と言い逃げるように病室を出た。


 一ノ瀬は病室から少し離れた場所にあるベンチに腰掛けぐちゃぐちゃになっている感情を整理しようとした。


 だがいつまで経っても込み上げる涙を抑え込むのに必死で感情はぐちゃぐちゃなままだった。



「あれ、一ノ瀬君? どうしたんだいこんな所で、今日は綾瀬君のお見舞いに来たんじゃなかったのかい?」



 偶然、一ノ瀬は通りがかった医者に声をかけられた。


 一ノ瀬が自殺を図った夜、目にクマを浮かべながら話を聞いてくれたあの医者だ。


 医者は一ノ瀬の表情を見て全てを悟った様だった。



「綾瀬君から話を聞いたんだね。ちょっと来なさい、暖かいコーヒーがあるんだ。」



 医者は一ノ瀬の肩に手を置いて優しくそう言った。


 一ノ瀬は案内されるがままに医者の部屋にまでついて行った。部屋の中には既に一人の看護師がいてコーヒーを煎れていた。



「前田君、お客さんだ。もう一つコーヒーを頼む。一ノ瀬君そこに座りなさい。」



 一ノ瀬は言われるがままに椅子に腰かけた。



 テーブルの上には様々な書類が散乱しており、医者はその書類をかき分けてコーヒーを置くスペースを確保する。



「散らかっていてすまないね。それで、綾瀬君からはどこまで聞いたんだい?」



 熱々のカップに手を伸ばしながら医者が尋ねる。


 一ノ瀬は"崩砂病"によってあと半年しか生きられないと、先程三日月から聞いた内容をそのまま話した。そして



「先生、本当に三日月は助からないんですか?何か、雲をつかむような話でも構いません、もし何か治療法があるなら……!」



 一ノ瀬は必死に、まるで懇願する様にそう言った。


 しかし医者の反応は病室での三日月と同じく静かに首を横に振るだけだった。医者は静かに話し出す。



「綾瀬君の病気は"崩砂病"と呼ばれるもので、おそらくはダンジョンによってもたらされた新しい病気だ。ダンジョンが出現した時は大きな黒い影が建物や人間を砂にしていったことは知ってるよね?"崩砂病"はそれと同じことが人間の体で起こる病気なんだ。体に現れた黒いあざの様な影がどんどん大きくなり全身に広がったタイミングで人間を砂に変える。そして……今のところこの病気が発症してから完治した例は一つもないんだ。」



 一ノ瀬はついに涙をこらえきれなくなった。テーブルにポツポツと雫が零れる。


 また"お前"かと一ノ瀬は思った。


 三年前も今も変わらない、ダンジョンは一ノ瀬から一番大切なものを奪っていく。


 しばしの沈黙が流れたあと、看護師が口を開いた。



「これは決して勧められる話ではないのですが、助かる可能性が少しだけあるかもしれ……」



「おい、それは話すなと言っただろう!」



 看護師の言葉を医者が制止する。


 かき消す様に言葉を被せたが、一ノ瀬はその言葉を聞き逃さなかった。すぐに



「どういうことですか?話してください!」



 と言い問い詰める。


 医者はためらう様な表情をしたが一ノ瀬と目を合わせた後、ため息をついて話し始めた。



「黙っていて悪かった。ただあまりにも実現の可能性が低いうえに綾瀬君からも口止めされていてね。それでも聞きたいかい?」



 と医者は言った。その言葉に一ノ瀬は



「構いません、話してください。」



 と、間髪入れずに返答した。


 藁のような可能性でもすがれるならすがりたい。



「別の病院で綾瀬くんとほとんど同じ病状の患者が回復した事例がある。回復と言っても影の様なあざが小さくなっただけで完治したわけではないんだけどね。それでも同じ治療を施せば綾瀬さんも回復する可能性はある。」



 医者の言葉を聞いて一ノ瀬は希望を持った。しかしの言葉は主治医はまだ途中だ。



「その治療には特殊な薬が必要でね。作り方自体は簡単で材料さえ用意できればウチでも同じ治療ができるはずだ。ただその材料にダンジョンでしか採取ができない素材が含まれているんだよ。」



「ダンジョンでしか……?」



「そうだ、正確には第12層で取れる"光雷岩の粉末"、第28層に生息する"炎象の骨"、第42層に生えている"黄金華の花弁"の三つが必要だ。これらを用意しようとすると、最低でも十億はかかる上に保険は適用されない。現実的な話、それだけの額が用意できないと綾瀬くんを治療するのは不可能なんだ……。」



「十億……ですか。」



 半年以内に十億。


 一ノ瀬には逆立ちしたって用意できない額だ。下手をすれば一生をかけても用意できない可能性だってある。


 一ノ瀬の目の前は再び真っ暗になった。


 その日は三日月に会わずそのまま病院を後にした。いつもの顔で平常を装って話せる自信がなかった。




 家に帰ってから、一ノ瀬はひたすらお金の稼ぎ方を調べた。


 真っ暗な部屋の中、中古で勝ったノートパソコンで国内最大手の求人サイトから怪しげな闇サイトまで稼げそうな情報を見漁った。


 北の海で蟹を取る仕事、極めて死亡率が高い仕事、言葉を濁しているがおそらく内臓の売買ができるサイトもあった。


 しかしどれだけ探しても億単位の金額を稼げそうな仕事はない。


 諦めかけながらも必死になって何かないかと調べていたとき、一ノ瀬の目はあるサイトの見出しで止まった。


 ー新時代の稼ぎ方到来!? ダンジョンがもたらした新しい稼ぎ方10選!ー


 ダンジョン、一ノ瀬と三日月の全てを奪った忌まわしい存在だ。


 三日月との会話でも普段からダンジョン関連の話題は避けてきたしテレビやラジオでもダンジョンが話題に上がるとすぐにチャンネルを変えていた。


 だが今はなりふり構っていられない。一切の躊躇を持たず一ノ瀬はそのサイトのリンクをクリックした。


 ダンジョン内で取れる新しい素材の研究をしませんか?

 ダンジョンに挑む学者の護衛に君が必要だ!

 ダンジョン管理団体ギルドで働きませんか?

 探索者募集中!モンスターを倒し宝を探し、冒険の中でお金を稼ごう!

 ……

 …



 一ノ瀬は落胆した。



 どの求人も専門性も求められる上に稼ぎも月に百万から三百万程度。歩合制の仕事もあるがモデルケースとして紹介されている話も「最初は全然稼げなかった僕は二年で年収三千万を突破しました!」といったものだ。


 勿論一般的な仕事と比べればかなり稼げていることには違いないのだが、タイムリミットまで半年もない一ノ瀬にはこれでも足りない。


 ダンジョンで稼ぐことは一度諦めブラウザバックをしようとした時、一ノ瀬は閃いた。



「まてよ……ダンジョン。そうだ!」



 どうしてこんな簡単なことを今迄思いつかなかったのだろうか、と一ノ瀬は思った。


 ダンジョンで採れる希少な素材に法外な値段がつけられているのなら自分の足でダンジョンに入って取ってくればいいではないか。


 病院では材料さえあれば薬を作れると言っていたし短期間で十億円を用意するよりは余程現実的な方法だ。



「やってやるか。」



 一ノ瀬は小さく呟いた。


 ダンジョン災害以降、ダンジョンに情報を意図的に避けてきた。


 そんな一ノ瀬でも知っている、ダンジョンは命がいくつあっても足りない超危険地帯、所謂魔境だ。


 一度足を踏み入れればモンスターにトラップ、果ては現代の科学では解明不可能な技術、いわゆる魔法までが束になって侵入者を排除しようとしてくる。


 リスクを挙げればきりがない、でも行くしかない。捨てるつもりだった命を拾ってくれたのは三日月だ。


 昔そんな話をした時、三日月は


「そんな大層なことした覚えはないわよ」


 と言って笑っていたが、一ノ瀬が生きることに希望を見いだせたのは間違いなく彼女のおかげだ。


 ダンジョンに全てを奪われた一ノ瀬の最後の頼みがダンジョンというのも何とも皮肉な話だが、彼女のためならそんなことはどうでもよかった。



 一ノ瀬 宗真はダンジョンへのリベンジを決意した。

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