Story.37―――つまらない話を。
「―――というわけで、私、ブリテンに行くことになったんだ」
「へぇ、それはすごい。そして奇遇だね。私も、ブリテンに行くことになったんだ。クロムたちの護衛としてね」
前期の授業が終わった私達―――私とカナリアは、故郷である〈カムランの丘〉にある自分たちの家に帰ってきていた。ここに来る途中、船を使ったからか、まだ少し吐き気が残っている。
懐かしの我が家に着いた私は、ひとしきり家の中を堪能した後、夕食にした。久しぶりのクロミアとの再会も祝ってのことなので、いつもより食事が豪華である。
「姉さん姉さん」
「なに? クロミア。口の中のもの飲み込んでから喋ってね」
ごくん、とクロミアは口の中のものを飲み込んで、続きを話す。
「……んで姉さん、さっきから言ってるブリテンってなんなの? よくわからなかったんだけど、〈
「うん、それでいいよ。あと、私達は一回この長期休みが終わったら帰るけど、また船出のためにここに来るから」
多分、船だろう。なんせ、こっから先の海っていうのは潮の流れが激しかったり、穏やかだったりするから、並大抵のボートなどでは行けるはずがない。だから多分、大型船かな?
そうして、私は食事を食べ終わると、部屋に戻った。部屋に戻ると、そこには―――
「ひっ」
見慣れない化粧台が。クロミアが化粧をするとは思えないし、なにより、その化粧台の上には化粧品が一つもないのである。これは、もしかすると―――
「し、師匠?」
「ほいほ〜い、呼んだ?」
ほら、やっぱり出た。怪しいと思ってたんだよ。
「出た、とは失礼な。私をお化けかなにかだと勘違いしていないかい? 私は頭脳明晰、才色兼備、呪術を研究する大天才・天津鏡虹龍さ!」
そうだった、この人アレ―――『超常魔眼・
「……ま、いっか。んで、なにか用? あ、いや、いい。
「え? 師匠も行ったことあるの?」
師匠はそりゃあ、もちろんと言って湯呑みに茶を淹れる。
ティーカップの次は、湯呑み……? またなにかゲテモノ飲ませようとしているのではあるいまいな。
「ないない!」
「どっちについて答えたんです?」
「あ、いや茶の件さ。今回は自信作だ。防腐魔術と保存魔術もかけて蔵の中で何年も熟成させていた茶葉さ。飲んでみるといい」
「では、お言葉に甘えて。いただきます」
そっと湯呑みを覗いてみる。そこに注がれているのは、半透明の緑色の液体―――どう見ても我ら日本人のソウルドリンクである緑茶ではないか。……考えてみれば何も不思議ではない。師匠がこの前出した
ズズッと茶をすする。あの緑茶特有のほのかな苦みが口の中に広がる。香りもいい。個人栽培にしてはよくできたほうなのではないだろうか。
「うんうん、そうだろうそうだろう。美味いだろう? 個人栽培にしては、って言うけれども、こんな
その言葉に、一瞬茶を吹き出しそうになる。
けほけほと咳き込んでから私は問う。
「けほけほ……じ、師匠っで、むがじ、茶農家の孫だったん……でずか……ゲホゲホ!」
「あらあら、落ち着いて。いやぁしかし、あのお茶は美味かった。また飲みたいものだね。ばっちゃんが摘んできた茶葉を、じっちゃんが石臼で挽いて抹茶を作ってくれたっけか。ああ……飲みたいな、あのお茶」
そう言って、師匠は目を閉じた。懐かしい記憶を、再生するかのように。周りの視覚情報をシャットしたのである。
そうして数秒目を閉じた後、師匠は目の前の虚空を見つめた。そして、
「作り方はとっても簡単。摘んできた茶葉を蒸した後乾燥させて石臼で挽いて。それに茶釜で沸かしたお湯を加えた後、
『ああ、ここで死ねればいっそ』ってね。あのことが起こった後に、おれを見る目は段々と変わっていった。今までなんにも注目されることなんて、なかったのに、おれは有名人になった。新聞も毎日。ラジオも毎日。週刊誌も毎日さ。『どうやってこんなことを成し遂げたんですか?』だって? は、おれが知るわけねえだろ馬鹿野郎。おれはただ……―――あんな腐った世の中が、嫌だったってだけさ」
そこで、師匠の目に光が戻る。その時に自分が何を言っていたのかを思い出したのか、突然いつもの
「あ、いや。つまらない話を聞かせてしまったね。この話は忘れてくれ。そうだブリテンの話だったね? それならば私も行ったことあるとも。なんたってあそこは、魔術の宝庫だ。いや、正確に言えば魔法の宝庫、かな。『影の国の女王』スカサハが大成させた『原初魔術・
そう言って、師匠は帰っていった。嵐のような出来事だった。未だに脳内での情報の整理が追いつかない。私は、師匠が置いていった湯呑みを持ちながら、数分そこに
「いよいよ出発かな? 二人とも」
「ええ、ご無沙汰しています。エクターさん」
ハッハッハとエクターさんは大口を開けて笑う。
「エクターなど、やめてくだされ。私には、まだそう言われる筋合いはないのですからな。そんな立派な名前、まだ名乗るほどではありませぬ。私はエクター・ド・マリス。どうぞ、マリスとお呼びなさい」
「じゃあ、マリスさん。おはようございます」
「ええ、おはよう。今日はいい朝ですね。絶好の旅日和だ。あのブリテンに行かれるのでしょう? それは大変だ。あそこは潮の流れが激しかったり、逆になかったりしますからな。途中で遭難しても、文句は言えないでしょう。それに―――」
「それに?」
「ああ、いえ。なんでもありませぬ。ささ、お行きなさい。あなた方の仲間が、すぐそこで待っていますよ」
そう言って、エクターさんは海岸の方を指さした。そこには、魔法科とニコラ先生がいる。どうやら私達を待っているようだった。
「すみません。では、失礼します」
「ええ。私も、あなた方の幸福を願っております」
エクターさんは手を振る。ただ微笑みを浮かべたまま、安心できるような表情で。
私達は、エクターさんに別れを告げた後、ブリテン探索チームと合流した。場所は、〈カムランの丘〉最北端の港である。ここから船で行くのだろうか? そう思っていたが、どこにも船が見当たらない。
「おい、遅いぞ。いつまで話しているつもりだ。あのご老人だって仕事があるんだ。邪魔しちゃ、いけない」
「はい。すみませんニコラ先生」
分かればいい。そう言ってニコラ先生は出発を宣言する。
「これより、『旧王国島ブリテン』の調査を開始する。『旧王国島ブリテン』は大気中の魔力濃度が高く、人体に多少の悪影響があるかもしれない。全員、心して調査に望むように。以上! では、出発する!」
ニコラ先生は、『旧王国島ブリテン』についての警告が終わった後、なにやら一つの羅針盤らしきものを取り出した。よく観察してみると―――それは、師匠の魔術工房でも見たことのある有名な魔道具の一つ―――『
『
「そうだ、クロム。君に出発前に渡しておきたいものがある」
「ん? なに、カナリアちゃん」
私の応答を聞いた後、カナリアは一つの箱を取り出した。それは、いつか見た―――菩提樹の箱。側面には、神聖な言葉が刻まれている。それが意味することはつまり―――なにかが、封印されているということ。
「これを君に。開けてみてくれ」
「う、うん。分かった。……ッ! ―――これは―――!」
それは、ぶぅぅぅぅぅんんんん―――と生きているように振動している。この奇妙な重低音、聞いたことがある。それは、ちょうどあの夏の日のことだったか。悪い夢を、見ていた時の。
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