第22話 ミーシャの迷い④エドワードとの決別
「スティーブ、よく聴くんだ。実は、ナタリーおばさんの三歳時のIQは183もあったんだ」
「エッ! 母がそんなに高い知能指数を持っていたのか?! そんな……。いったい全体、何てことなんだ?!」
スティーブはジョンの口から母ナタリーのIQ値を知ると、モニター画面に驚きの表現を並べた。おろおろと、息子スティーブの育児に専念するしか能のなかった、と思い続けてきた哀れな母の記憶しかなかったのだ。
「そうだよ、スティーブ。創造性の数値は当時まだ研究途上だったから、はっきりとした値は残っていないが、恐らく現在の値で150は超えていると思われるから、確実に天才プログラムに組み込まれ、アビ研のサポートを受けられていたはずなんだよ。それを、長老職を父親から引き継いで間もないエドワードが身の安全を図って、劣性遺伝子を持つおばさんをプログラムから排除したんだよ」
差別され馬鹿にされていたナタリーをよく知っているだけに、ジョンも怒りが込み上げてくるが、出来るだけ冷静に説明を続けた。
「奴は若年のころから、バルカニア人が宇宙で一番優れた民族であるとの選民思想に取りつかれていたからね。だから、天才は完ぺきでなければならず、劣性遺伝子保持者はそもそも天才ではなく、プログラムから排除されるべきだとの考えに凝り固まっていたんだよ」
「本当に許し難い男だな! 母だけでなく、ミーシャまで自分の思い通りに操ろうとして来たなんて! 分かったよ、ジョン。母に連絡を入れてくれないか。ミーシャのことを考えると、悠長に構えていられず、まさに善は急げだな」
「そう、まさにその通りだよ。それじゃ、すぐ、バルカニア号へ連絡を入れるよ」
ジョンの口添えもあって、ナタリーはバルカニア号船内の清掃業務から書類係へ配転が認められていた。そんな彼女には独裁軍皇帝は文字通り雲の上の存在ではあるが、ミーナの息子でスティーブの幼なじみであるという点では、極ごく親しい間柄で、突然の連絡にどう対応してよいのか、気の毒なほどの困惑顔を浮かべた。
「エッ! 独裁軍皇帝様からの、私を名指ししたネット通信ですって?」
書類課課長からの通知内容に、しばらく言葉が出なかったが、
「やあ、ナタリーおばさん、久しぶりだね」
ジョンが懐かしい口調で話しかけると、
「ああ、ジョンかい。随分と偉くなって、亡くなったミーナが生きていれば、どんなに喜んだことか。……でも、独裁軍皇帝様が、こんな私に一体、どんな御用なんだね。スティーブが元気なことは、先日話したから分かっているんだけど」
ナタリーはオドオドと探るような目で、画面のジョンを見つめた。
「うん。スティーブがおばさんに話があるんだって。船長に話は通してあるから、私、いや、僕との会話専用プライベートルームへ入って、スティーブとしばらく話し合ってくれないか。誰にも話は聞かれないから、安心して話してくれればいいから」
この後、ナタリーと合成音声によるスティーブとの会話は、つらく苦しいどん底の日々を送ってきた母子だけに、涙をそそられ、また、貶(おとし)めた者への怒りの爆発も激しかった。
「‥‥‥じゃ、母さんは、本当は天才教育を受ける資格を持っていたというのかい?」
「そうだよ。中等だけじゃなく、高等からカレッジや専門機関へも進めたんだよ。そして、母さんが憧れていた学位を取ることもできたんだよ」
「それを長老様が、劣性遺伝子を持っているかも知れないって理由だけで、母さんをプログラムから外したっていうのかい?!」
「そうだよ、母さん。それから、今後、エドワードのことを長老様って言うのはやめてくれないか。反吐が出そうだよ」
「分かった。分かったよ。それから今後は、お前の言うようにミーシャにも長老エドワードの言うことは聞かなくっていいと伝えるよ。絶対だからね。ありがとうスティーブ、ジョンにもよろしく言っておくれよ」
ナタリーの胸には蔑(さげす)まれつらく苦しかった差別の日々が怒涛のように蘇ってくる。
(あー! 何てひどい! スティーブを死の惑星・スノードンの難民収容基地へ送り込もうとしたのも、エドワードだったのだ。ミーナのおかげで母子自殺は思いとどまったが……。あの時死んでいれば、ミーシャも生まれておらず、また今日の自分たちもなかったのだ)
―――ミーシャは、決して自分のような、醜いアヒルの子にしてはいけない!
ナタリーは皇帝との通信専用ルームを出ると、書類課へ戻り、全く別人のように毅然と胸を張って、
「カプラン62fへ急用が出来たので、直ちに高速小型艇を用意してちょうだい」
課長に命令口調で伝えたのだった。
四人乗り小型艇の中年パイロットは、独裁軍皇帝のお墨付きを持つ文書課書類係の女性平職員をどう扱ってよいか分からず、しばらく困惑気味だったが、指示通り職分を果たすのが無難と考えたのか、溜め息を一つ吐いてから、ようやくバルカニア号のプラットホームを離れた。カプラン62f近くに常時待機状態―――バルカニア号の近況で、小型艇が長老執務室近くの専用ゲートに滑り込むのに然程時間はかからなかった。
「ご苦労さん。私が戻ってくるまで、ここで待っていてちょうだい」
小型艇を降りたナタリーの行動は素早く迷いがなかった。怒りが、激しく闘争意欲を掻き立てるのだ。守衛の制止など全く無視の体で、廊下を突き進むと、一番奥の備洲檜の白無垢ドアを、まるで蹴破るかのように荒々しく開け放った。
「何だ! ナタリーじゃないか。一体どうしたというんだ。ノックもせずに、いきなり飛び込んで来たりして!」
ハロルドが非難がましい口調でナタリーをとがめるが、彼の声など彼女の耳には届いていない。
「エドワード! あんたってやつは、なんて卑怯で、汚いのよ! よくも、私やスティーブ、それにミーシャをだましてくれたわね」
ナタリーはデスクへ駆け寄ると、長老の禿げ頭をパンパンパンと、まるでバレーボールを打つように叩いた。
「ヒェー! やめてくれ! 何をするんだ! 誰か、助けてくれー!」
あまりの剣幕に、エドワードはなすすべがなく、太った体を転がすように部屋中を逃げまどう。
ハロルドの通報で衛視が駆けつけるが、隣棟で講義中のウェインが長老室へ入ったのが僅かに早かった。彼はすぐさま事態を認識して、
「いや、何でもない。大丈夫だから」
衛視を引き揚げさせると、心配顔で室内をのぞき込むミーシャを中に入れた。
「アッ! お母さん、一体ここで何をしてるの!?」
室内の異常に、ミーシャは驚愕の表情を浮かべるが、
「あるべき事態の到来だ。少し早かったが、ミーシャ。君にとってはこの方がよかっただろう」
ウェインは平然と、老人二人に蔑みの一瞥をくれたのだった。
「そうだよ、ミーシャ。ウェイン先生の言うとおりだよ。ごめんね、本当にごめんね。母さん、これまで、エドワードに言われて、あんたがウェイン先生を好きなのを分かっていて、邪魔ばっかりしてきて。本当にごめんね。ジョンに言われて目が覚めたよ。本当にジョンとミーナのおかげだよ」
ナタリーは娘を抱くと、天を仰いで激しく泣きじゃくった。
「お母さん。ジョンって、やっぱりバルカニア号で私を可愛がってくれたジョン兄ちゃんだったのね。ミーナおばさんのこともやっと思い出したわ」
「断念だったな、エドワード。ミーシャはきっちり、我々の側に入って来たぞ。今後は、司法の場か査問の場で、あんたが責任追及にさらされるのを願っているよ。さあ、俺はミーシャと一緒に、iPS研究に主軸を移すよ。権力亡者にかかわるのはうんざりだからな」
エドワードを呼び捨てにすると、ウェインは抱き合う母娘に優しい眼差しを向け、長老室を後にしたのだった。
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