第36話 難航

 案内された場所は公園だった。公園は柵と植え込みで囲まれ、所々に木が生えている。広場や遊具では子供が走り回っており、その様子を幾人かの大人が見守っている。

 見回すと、少し遠くに大きな校舎があるのが見える。おそらく、あれが日南さんの通っているという中学校だろう。

「ここで襲われたんですか?」

「ええ。娘はそう言っていました」

 危ない依頼なので績さんには来てほしくなかったが、どうやら、傭兵がどんな仕事をするか確認するため、依頼者がこうして同行するのは普通のことらしい。


 だが、それよりも気になるのは今、公園で遊んでいる子供たちのことだ。おそらく、狂暴な動物が出没しているのは彼らの親も聞いているはずだ。それでもこうして外に出てきていることに、どうしようもなく苛立ってしまう。

「……あそこにいる親子は、その動物のことを知らないんですかね?」

「知っているでしょうが、自分は大丈夫だと思っているんでしょう」

 危ないが、今、周辺から動物の鳴き声は聞こえてこない。このあたりに件の動物はいないのだろう。草むらから急に飛び出してこない限り、あそこにいる親子に被害が及ぶことはないはずだ。

「鳴き声が聞こえないのでここにはいないようですが、どこかあてはありますか?」

「そうですね……よく人の多い場所に現れるとは聞きますが」

「情報が少ないですね」

「すみません。自分もあまり詳しくなくて」

 今のところ、本当にそんな動物がいるのか疑ってしまうほどにこの住宅地は平和だ。

 績さんの家からこの公園への道中でも、その動物の影も、鳴き声らしきものにも遭遇していない。

 確かに被害者は出ているので、どこかにその動物がいるのだろうが、これでは探す手立てがない。

「日南さんが襲われた時の詳しい状況を教えてくれますか?」

「娘の友達から聞いた話ですが……構いませんか?」

「はい、お願いします」

 ダメもとで聞いてみたが、績さんも日南さんのために色々していたようで、その当時の状況を語ってくれた。

「娘には二人ほど仲のいい友達がいるのですが、その子たちが言うに、その犬は最初、普通の犬にしか見えなかったそうです」

「……待って、野良犬ですよね?」

「ええ、そうです。どうされました?」

「……いえ、続けてください」

 ────おかしい。

 今、改めて聞いてみると、野良犬が住宅地にいる事自体が異常だ。なぜなら、少し昔に日本は狂犬病対策で野良犬を徹底的に捕獲していたはずだからだ。昔、小学校の授業で習った気がする。

 そんな野良犬がこの辺りに出没し、あまつさえ頻繁に人に襲い掛かってるのは、その歴史を鑑みると少し違和感のある現象だ。

「娘や娘の友達たちはとても珍しがって、興奮しながら喋っていたそうです。そしたら、急に犬が娘たちの方へ首を向け、牙を剥きだして襲い掛かったそうです」

「それだけですか?」

「……ええ、病院で話を聞いたのですが、気が動転していて聞き出せたのはそれだけでした」

「なるほど……」

 話を聞く限り、野良犬は明らかに日南さんたちの話し声に反応している。どんな条件で反応したのかは分からないが、音であればなんでも反応するわけではないのだろう。日南さんたちが野良犬を見て急に喋り出した、なんてことはないだろうし、そもそも犬は嗅覚が優れている。音よりも先に、臭いに反応するのが自然だ。


 ────と、浅い知識交じりの推測を立ててみるが、正直ため息が出そうだった。

「……ダメですね。手掛かりが無さすぎる」

「すみません、折角来てもらったのに」

 空から探そうかとも考えたが、話を聞く限り、異常な動物はなんらかのスイッチが入って狂暴化するようなので、飛んで探しても普通の動物とは見分けがつかない可能性が高い。

 いっそ、そこにいる親子にでも襲い掛かってくれれば話は早いのだが、そんな兆候はなく、なんなら親子は帰る準備を始めている。

「……そういえば、日南さんは登校しないんですか? 学校に行きたいからああして療養せず、普通に生活していたんじゃ?」

「……ああ、自分が言ったんです。せめて、しばらくは午後からの登校にして、少しは治療に気を使ってほしいと」

「ではそろそろ……あっ」

「……うわ、だるっ」

 ここを通るんじゃないか、そう言いかけて、振り向くと日南さんが通り過ぎようとしていた。ここは偶然、日南さんの通学路だったらしい。

 ちょうどいい。もしかしたら、日南さん自身になんらかの原因があるかもしれないので、それも確かめたかったところだ。

「績さん、日南さんについて行って、中学校まで行っても大丈夫ですか?」

「分かりました。学校には私から連絡しておきます」

「待って、ふざけないで!」

 日南さんは大声を上げ、俺たちを鬼の形相で睨んでいる。主にこちらを。

「こんなのについてこられなくても大丈夫だし、こんな奴についてこられて変な目で見られたくない!」

「そんなわがままな……父さんは、日南がもうこんな目に遭わないようにしたいだけで」

「必要ない! 帰って!」

 よっぽど俺と一緒に居るのが嫌なのだろう。日南さんはこれまでにない声の張り方で、こちらの提案を拒絶してくる。強がりなのかなんなのか分からないが、彼女の態度からは大怪我を負っているような弱弱しさを一切感じない。

 だが、績さんもそうはさせまいと、なんとか日南さんを説得しようとする。しかし、無駄だろう。この年頃の子供にとって、親の言葉は羽虫に似た何かでしかない。


「もうっ……ただでさえ松葉杖なのに、こんなことしてたら午後の授業に遅れちゃうじゃん……!」

「だから車で送ろうかとも提案したのに……」

「要らない! じゃ、私は行くから」

「待って」

 俺はそのまま行こうとする日南さんを制止し、自分の肩に指をさす。

「肩車します。行きましょう」

「キモイ! 誰が乗るか変態!」

「って言っても、このままだと遅れるんでしょ?」

「私一人で頑張って行くし!」

「そんな足で? あの学校まで?」

「……行けるし!」

 距離的に、日南さんの通う中学校は通りをいくつも挟んだ先に佇んでいる。太陽の高さ的にすでにお昼は回っているし、このままでは日南さんは授業に間に合わない。さすがにそれは彼女も分かっているようだ。

「中学生でしょう? 今、理性と感情、どっちに従うべきか、分かるんじゃないですか?」

「~~~~~ッ!」

 そう語りかけると、日南さんは目を瞑ってしばらく考え込んだ。

 眉間にしわを寄せ、唇を噛み、さらに強く目を瞑ったあと、ゆっくりと目を開いてこちらを向き、言った。

「分かった。急いで」

「へいへい。仕方ないなぁ」

「コイツほんとにキモイ……!」

「行ってらっしゃい、二人とも」

 松葉杖を受け取り、深くかがんで日南さんを肩に乗せる。そうして立ち上がった時に真っ先に感じた感想は、だった。

「え……? 人間ってこんな軽かったっけ……?」

「何してんの! 早く行って! そして早く降ろして!」

「はいはい!」

 日南さんの足に負担をかけないよう、体が上下に揺れないようにしつつ、姿勢を一定に保ったまま駆けだす。まるでフルマラソンランナーの気分だ。

 走りながら、俺は気になっていたことを日南さんに聞く。

「部活には入ってるんですか?」

「……陸上部に」

「いいですねぇ。陸上部は俺的青春指数高めです。好きな人もそこに?」

「なに? ほんとにキモイんだけど。なんなの?」

「いやぁ……ちょっと恋愛に飢えてて」

 できればその好きな人との馴れ初めも聞きたいが、喋りながら走っているとバランスが崩れそうになるので、それ以上喋るのをやめ、中学校まで直行した。

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