第四話 尻込み
「おい、高見沢。具合はどうだ」
「えっ。お兄ちゃん。どうしてここに」
「どうした。俺はお前の兄貴じゃないぞ」
「いやいや、違くないよ。お兄ちゃん、そのまんまじゃん。お兄ちゃんも灰澤さんの超転移型VRに応募したの」
「しっかりしろ。何言ってる。気が変になったのか」
上段ベッドのフレームを片手で掴み足を組んで話しかけてきた青年からニヤけた表情が消えた。
「高見沢。軍医の先生に見てもらおう。早い方がいい」
「大丈夫。もう少し横になれば良くなるから。それより名前は何ていうの」
「知ってるだろ。いいや。教えるよ。
笹の葉に包まれたおにぎりと水筒を俺に渡し、誠二は立ち去った。誠二は俺と同じ深緑色のツナギとベスト、ハーネスを着ていた。兄と同じ奥二重に薄い唇を備えた面長の顔をしていた。兄より首は太く肩幅も広かった。
いつの間にか、ゆっくり腹で息が吸えるようになっていた。きんぴらごぼう、味付け昆布、梅干しの入った大きいおにぎりを夢中で頬張った。
トイレを探すのに一苦労した。壁もウォシュレットも無い丸見えの便器を前にして愕然とした。恥ずかしさも強烈な生理現象には勝てなかった。排泄を済ませた後もしばらく便器に座っていたが、人がいなくなったのを確認すると立ち上がった。
「灰澤さん、仮想体験ですが、ここら辺で終わりにさせてもらえませんか」
誰からも返事はない。目の前の景色は変わらない。
「灰澤さん。どうやって兄を登場人物に設定したんですか。一瞬本当に生きてるかと誤解しましたが、去年、兄は
「灰澤さん。聞こえてますか。終わりにしてくださいよ。どうやったらVRゴーグル外せますか。さっき説明してくれてたら、すいません。もう一回教えてくれませんか。ねぇ、ちょっと聞いてますか」
分厚い鉄板のドアが音を立てて開き乗組員が入ってきた。何事も無かったふりをして洗面台で手を洗い廊下に出た。
イライラしながら部屋に戻る途中に放送が流れはじめる。航空隊に出撃命令が出された。至急集合せよとも言われている。誠二がこちらに向かってくる。
「高見沢。顔色が良くなったな。もう大丈夫だな。出撃命令だ。隊長から作戦の説明がある。今すぐ行くぞ」
「誠二さん。さっきは、ありがとうございました。一緒に体調悪いことにしてお休みしませんか。軍医の先生のところに行きましょうよ」
「何を言ってる。敵前逃亡か」
「いやいや。そういう意味じゃないんです。怪我したり死んだりしたらシャレにならないじゃないですか。誠二さんのことも心配してるんですよ。勝ち目ないですよ。少し前に、日本の空母や戦闘機がフルボッコにやられてるのを、この目で見たんですから」
誠二が顔を真っ赤にして眉間に皺を寄せ、真っ直ぐに俺を睨みつけている。次の瞬間、突然左の頬に強い衝撃を受け、その衝撃は骨を通し全身に一気に伝わっていく。受け身も取れず右側に吹っ飛ばされ、尻餅をつき、座り込んでしまう。左耳にピーっと強い耳鳴りがして、頬が熱を持ち痛みが襲ってくる。
「痛えな。何で、いきなりビンタするんですか。頭おかしいんですか。パワハラですよ」
「貴様、それでも帝国軍人か。
「うぜぇよ」
「心底、見損なった」
誠二はそう言うと去っていった。
ベッドに戻ってから濡れ布を左頬に当てていた。自然と兄の記憶がいくつも思い出されてくる。体育座りをしてうつむいてしまう。
中学生の頃、カツアゲをされかけていた時に、兄が通り掛かり、顔色を変えヤンキーに飛びかかった。唇から血を流し、顔や体がアザだらけになって、肋骨一本にヒビが入る怪我までして守ってくれた兄。熱いものが体の芯から込み上げてくる。
濡れ布を頬から離した。水筒の水を喉を鳴らしながら飲む。革製の飛行帽とゴーグルを頭に被ってから、両手で両膝を勢いよく叩いた。「よっしゃ」大きく声を出し立ち上がると、集合場所に向けて駆け出した。
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