第13話 王国暦270年5月16日 皆との晩餐
エドガーが分厚い木の扉を開けると、扉で遮られていた中の音が溢れるようにセシルの耳に飛び込んできた。
それとむせ返るような料理の匂いと不思議な香のような匂い。
エドガーが中に入るとぴたりと話し声と音楽が止まった。
一瞬戸惑うセシルだったが。
「おお!これはこれは若様ではないですか!」
「エドガルド様、いつの間に都へ?」
「どうぞどうぞ、さあ奥へ!一番いい席をご用意しろ、若様だぞ」
中の音が一瞬病んで、すぐに大歓声が上がった。
皆に押されるようにセシルとエドガーが店の奥の大き目のテーブルに方に向かう。
広いテーブルには青いクロスが駆けられていて、大き目のソファが一脚置かれていた。
「おやおや、お連れ様がおられるのですな。若様も隅に置けない」
「どうぞどうぞ、こちらにおかけください。並んで座られますかな?」
誰かが茶化すように言う。
アウグスト・オレアスの者が多いなら私のことは知らないんだろう、と思った。でもそれがむしろ気楽でいい。
ただ。
「一緒に座る名誉を頂きますよ、姫」
エドガーがソファの手すりに手をかけて横に腰掛けようとする。
拒否するのはエドガーに失礼だけど、でも淑女として同じソファに座るなんていいのだろうか。
そんなことを気にしても仕方ないんだろうか。
それより同じソファにかけるときっと肩が触れ合うほどになる。流石にそれは気恥ずかしい……というか平常心が保てるのか自信がない。
まさにエドガーが腰をかけようとしたときに
「若、いけませんぞ」
不意に横合いから声がかかった
◆
声を掛けてきたのは初老に差し掛かった男だった。
「
あまりに慎みが足りませんぞ。大殿様が良く言われているでしょう。男たるもの紳士たれ、と」
顔には皺が寄っていて60近い歳に見えるが、言葉には力がある。
痩せた体にはしっかり筋肉が付いており、姿勢も良い。
来ている服は簡素ではあるがしっかりした仕立てで、腰に吊るされた長剣も使い込まれた跡があった。
歴戦の戦士だろうということはセシルにも分かった。
「若は此方にお座りなさい」
男が机の横に置かれていた椅子を引く。
エドガーが一瞬嫌そうな顔をして、しぶしぶと言う感じで一人掛けの椅子に腰を下ろした。
男が満足げに頷く。
「そうです。若様。淑女と接する時は礼節は大事ですぞ。よろしいですな」
男がそういってセシルの方を向く。
「では、失礼いたしました」
男が会釈して別のテーブルに戻っていった。
男に従うように、周りを囲んでいた者たちもそれぞれのテーブルに戻っていく。
「あれは俺の剣の師の一人でね。どうもああいわれると弱い」
エドガーがちょっと恥ずかし気に頭を掻いた。
同じソファに座りたかった気もする……でも並んで肩や手が触れたりしたら……そう思うと今はこれでいいのかもしれない。
それでもやっぱり、などとセシルが思いを巡らしている時。
「お待たせしました、若様。まずはこれをどうぞ」
エプロン姿で髭面で太めの男が大きめの皿を運んできた。
◆
白い皿にはさいころのように四角く切ったベーコンとしんなりとソテーされた林檎が並べられていた。
赤身の魚と乱切りにしたニンジンや芋を入れたスープのボウル。
それに、器のように成形されたパイ生地の中にキノコと何かの肉を煮たホワイトシチューのようなものを入れた料理。
マスターが手際よくそれぞれの料理を取り分ける。
「若様とお嬢様のお口に合うといいんですが」
「さあ、姫様。是非ご賞味ください」
そう言ってエドガーがフォークでサラダのベーコンとリンゴを纏めて口に入れる。
セシルもそれに倣った。
ベーコンの脂と塩味がソテーしたリンゴの甘みと酸味と混ざり合う。
フルーツのソースを使った料理は何度か食べたことがあるけど、それよりももっとはっきりした味付けだ。
サラダの次にスープをスプーンですくって口に運ぶ。
スープは魚の風味とセロリや香草の青臭い風味とレモンのような柑橘の味がした。 最初は違和感を感じたが爽やかな風味が口の中をすっきりさせてくれる。
「どうだい?」
「これも美味しいぜ」
エドガーがフォークで指したのは、パイ皮を器の様にしてキノコや鶏肉を炒めたものだ。
エドガーがナイフで器になっているパイ生地を砕くと中のシチューがトロリとさらに広がった。
「パイと一緒に食べてみてくれ」
エドガーに言われるままに、スプーンでシチューとパイ皮を一緒に掬って食べる。
見た目が白いからクリームで煮たもののように見えたが、ヨーグルトのような酸味を感じる。見た目よりさわやかな味だ。
キノコの歯触りとパイ側のさっくりした感じ、柔らかい鶏肉、それぞれ違う食感が面白い。
「これが俺の故郷の味さ、どうだい?」
ひとしきり食べるとエドガーが聞いてきた。
「ええ、美味しいわ」
都では食べたことのない味だ。ハーブの香りが独特で、これがきっとアウグスト・オレアスの故郷の味なんだろう。
エドガーはこれを食べて育ってきたと思うと少し嬉しい。
それに今は仕草の一つ一つに気を張り詰める必要がない。
シンプルに料理を味わえている気がする。だから美味しく感じるんだろうか。
「こういうのは……連れてきて言うのもなんだが、平気かい?味については自信ありだったんだが、ほら……なんというか」
エドガーが言葉を濁す。
大きな皿から料理を取り分けるのは庶民的な習慣だ。貴族はそれぞれの皿に分けられた料理を食べる。
「気にしないで、エドガー。大丈夫よ」
戦場にもコックを連れ歩き、宮廷のもののような素晴らしい食事を用意させる貴族もいる。
そこまでしなくとも、貴族の士官は戦場でもそれなりの食事を供されるのは常識だ。
しかしそんな贅沢はセシルには望めない。
一般兵と同じように大鍋からとった料理を食べるのが常だった。
……正直言ってそれを惨めに感じたこともあった。
でもそう言う風に過ごしてきたからこそ、今日こんな風に楽しい食事の場に気兼ねなく加わることができる。
「若様、さあこちらもどうぞ、ヘリソンの誘惑です」
そう言ってウェイターが大きな楕円のグラタン皿をテーブルに置く。
「これは気が利くな。ありがとう」
「お嬢さん、これがうちの名物です。熱いんで気を付けて」
そう言いながらマスターが手際よく楕円の深皿からグラタンをそれぞれの皿に取り分けてくれる。
いかにも焼きたての熱気とふんわりと柔らかいクリームとチーズの香りが漂った。
「ヘリソンの誘惑?」
「そう言う名前の料理なんですよ。ヘリソンはアウグスト・オレアスの昔の神官長でしてね、慎み深さで知られたヘリソンでもこの料理が出た時は慎みを忘れてテーブルに着く、なんて逸話があるんです。熱いうちにどうぞ」
マスターが言う。
エドガーが一口食べてセシルを見る。促されるようにセシルもスプーンでグラタンを掬って口に運んだ。
火傷しそうな熱いとろけるようなクリームの香りとしっとりしたジャガイモ、それにサクサクした玉ねぎが混ざり合っている。
甘いクリーム、塩味と苦みがあるアンチョビ、それを追いかけてくるハーブの香り。複雑で
「さあ、歌おうぜ!」
「若様に!」
「故郷に」
誰かが言う。
しっとりしたゆるいリズムがアップテンポにきりかわって、一人が謳い始めた。
勇壮な戦いの歌、勇敢な兵士を称える歌だ。
よくとおる歌声に、周りが手拍子を叩いて盛り上げる。
もう一口、セシルがグラタンを口に運んだ。熱いクリームが体を内側から温めてくれる。
明るくにぎやかな雰囲気が心地よい。
この食事は、宮廷の儀礼に照らせば粗野で無礼となるのだろうと思う。
でも……今まで独りぼっちだった。
自分は厄介者だし、その自覚もある。しかも一応王族なのだ。ラファエラも遠慮して同じ卓では食事はとらない。
こんな風に二人で安らいだ食卓で食事を楽しむなんてことは無かった。
腫物のように扱われるわけでもなく、無視される阻害されるわけでもない。
暖かい湯の中にいるような感覚。
「お嬢様、若様を宜しくお願いします」
「あんまり浮いた話が無くて……俺達も心配してたんですよ」
「どうも若様はね……剣技は無双の腕前ですがなんというか、ちょっと何事も猪突猛進というか、無茶しすぎるんでね」
「手綱を締めてやってくださいな」
テーブルの周りに何人かの男女が集まってきてセシルに声を掛ける。
「おい、お前等、姫様に余計ないことを言うんじゃねぇ」
エドガーが言って、思わずセシルが噴き出した。
猪突猛進はあの最初に会った時もそうだった。たった一人でゴブリンの群れに切り込んでいった。
目を合わせるとエドガーが気まずそうに目を逸らした。
「まったく。余計なことばかり言うんじゃねぇぞ。俺のイメージが壊れるだろうが。アウグスト・オレアスの白狼だぞ」
「まあいいや、若様に!」
「姫様に乾杯!」
誰ともなく乾杯が始まって木のカップがぶつかり合う音と笑い声が響いた。
母と囲んだ穏やかな食卓とは全く違うけど、それでも本当に久しぶりの幸せな食卓だ。
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