第12話 王国暦270年5月16日 二人きりの食事

 食事に誘われる、なんていうことはセシルにとっては初めての経験だ。

 ましてや男性からなど。


 夕方、ラファエラに着付けを手伝ってもらう。

 白のアンダースカートの上に緑のスカートを重ね、同じ緑で統一した肩周りをあけたドレス。ささやかなフリルが襟元に縫い付けられている。

 緩めのコルセットで精いっぱいスカートをふんわりと広げた。


 自分の姿を姿見に映す。

 王族の姫となれば都で最新の華やかなドレスを纏うものだが、セシルにそんなものはない。

 かなり贔屓目に見ても、ちょっとした商家の娘の衣装だけど、今はこれが精いっぱいだ。


「どうかしら?」

「よいのではないかと……というか私に聞いても仕方ないでしょう」


 セシルの問いかけにラファエラが淡々と答える。 

 確かにそうなのだけど……もう少し別の言葉を期待していた。

 

 約束の時間まであと少しだ。

 時間が過ぎるのが遅くて待ち遠しい気もするし、でも会うのが恥ずかしい気もする、何とも言えない不思議な気持ち。

 

 そんなことを考えていても時間は普段と変わりなく流れる。

 5時の鐘が鳴るのと同時に馬車の車輪の音がして、ドアをノックする音が聞こえた。ラファエラが部屋のドアを開けて、行きましょうと言いたげに促す。

 深く息を吸ってセシルも部屋を出た。


◆ 


 ラファエラが正面のドアを開けるとそこにはエドガーが立っていた。

 エドガーが一礼してセシルを見た。


「これは美しい……俺のために着てくれたのかい?」

 

 エドガーが嬉しそうに言う。その言葉を聞いてセシルは胸をなでおろした。

 少し気持ちが落ち着いてセシルもエドガーの方を見た。


 エドガーの装いも都の流行とは少しちがう。

 白い模様が入った青い生地で仕立てられた男性の正装だが、貴族の男性の服で見られる腹や肩を膨らませるような詰め物がされていない。

 その分、体の線が良く見える。


 襟周りや袖もゆったりしたつくりで動き易そうだ。長身の彼には似合っている。

 片方の肩には青の外套がかかっていて、つばの広い帽子をかぶっていた。

  

「これがアウグスト・オレアスの正装なんだが、どうかな?」

「あの……良いと思います」


「気に入って貰えてよかった。なんせまあ俺は田舎者だからね」 


 エドガーが笑って、手を差し出してきた。


「では姫、参りましょう」


 セシルがエドガーの手を取る。戦士の硬くしなやかな指がセシルの細い指に絡んだ。

 エドガーがエスコートするように手を引いた。 

 


 表に待っていた辻馬車に乗り込む。エドガーが御者に何か言うと馬車が走り始めた。

 

 でもどこに行くのだろうか。

 宮廷の会食でさらし者にされたことを思い出す。

 たくさん並べられたカトラリーのどれをとるか、どういう風に食べるかの仕草、正式な食事ではそれぞれ礼儀がある。

 

 だがそんなものは本当に小さいころに少し教わった程度だ。それをほとんど知らない彼女にとって針で作られたクッションの上に座らせれているかのようだった。

 含み笑いが今も思い出されて辛くなる。


 窓の外の景色が、王城の近くの貴族の街区に入ってしばらく走って止まった。

 御者がドアを開けてくれる。

 そこは都でも有名な料理店だった。かつての貴族の館を改装したもので、王宮上がりの料理人が腕を振るっているという。


「都ではここが良いって聞いたんだが、どうかな?」


 エドガーが聞いてくる。

 うまく淑女として振舞えるだろうか。同行してくれている彼に恥をかかせるような無作法をしてしまわないだろうか。


「いらっしゃいませ」


 衛兵を思わせる紋章入りの衣装に身を固めたドアマンが愛想笑いを浮かべるが、セシルの方を見て顔をしかめた。


「どうした?」

「失礼ながら騎士様。どうもお連れの方がちょっと当店にはよろしくないかと」


 ドアマンが薄笑いを浮かべて言う。


「どういう意味だ?」

「この方と同席されると皆が怖がるのです。何と言ってもこの方は……」


 死姫だ、と言いたいのだろう。こういう言われ方にも慣れてしまった。 

 死を呼ぶ姫は縁起が悪い、と。

 

「そうか、どうも俺には合わないようだな」


 僅かな沈黙があって、エドガーがセシルの手を取って門の方に向かった。


「またのお越しをお待ちしております」


 後ろからの声をエドガーが強く石畳を踏んでかき消した。


「実を言うと俺としても無理してみたんだ……ここが良いって聞いたが、戦場もどこもそうだが、人に聞くだけじゃだめだな。自分の目と足が一番信用できる」


 エドガーが明るい口調で言う。


「なあ、姫様。改めて俺に付き合ってもらえないかな?」



 辻馬車で移動した先は、貴族の街区からかなり離れた王都の西の街区だった。

 城壁に近い旅人の宿屋などが多い地区で、お世辞にも格式が高い場所とは言えない。


「ここだ、此処で止めてくれ」


 窓の外を眺めていたエドガーが御者に言って馬車が止まる。

 御者が馬車の戸を開けてくれる。エドガーがさっと先に降りた。


「さ、姫様。足元に気を付けて」


 そう言ってエドガーが手を伸ばしてくれる。

 御者が見ていて少し気恥ずかしさを感じつつセシルはエドガーの手を取った。

 エドガーがセシルを導くように手を引いて、セシルが馬車からおりた。


 エドガーが御者と言葉を交わして何枚かの銀貨を握らせると、御者が一礼して馬車が走り去っていった。

 

 此処はどこだろうか。周りを見回すがセシルにとって始めてくる場所だ。

 周りには隊商宿が並んでいて、開いた窓から賑やかな笑い声と話し声が聞こえてきた。時折それに馬の鳴き声が混ざる。

 

「来たかったのは此処さ」


 セシルが通りに立ち並んでいる店のうちの一軒を指さした。

 赤と灰白色の煉瓦がコントラストを描いている頑丈そうな壁の大きな建物だ。

 入り口にはキノコと魚を意匠化した大きめの看板がかかっていた。


 ここも中から話し声と笑い声が聞こえている。それと聞きなれない打楽器の音と歌声。

 オリーブオイルとチーズや肉の焼ける香ばしい匂いが漂っていた。

 

「此処は?」

「ここは俺の故郷、アウグスト・オレアス東部辺境領の料理を出す店なんだよ」


 エドガーが言う。


「この街区は俺の家、ヴィリエ家の都の屋敷があるところでね。同郷の人間も多いからこういう店もあるのさ。

姫様、今晩は俺の流儀に付き合ってもらえるかい?」


 セシルが言う。


「ただ、姫には聊か野趣に過ぎるかな」

「いえ……私は慣れていますからね」

「そう言ってもらえると嬉しいですね」


 エドガーが本当に嬉しそうに笑う。

 セシルは戦場での生活が長い。それにまともに淑女としての礼儀作法を教わる機会も無かった。

 さっきのような一流のレストランに連れていかれる方が戸惑ってしまうかもしれない



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