第10話 王国暦270年5月14日 回廊での誓い

追って沙汰を出すという王の一言で会談はお開きになった。


 広間から出たセシルとエドガーが二人並んで歩く。

 セシルの中では聞きたいことが渦巻いていたが、周りにはまだ人がいた。ここで聞くわけにはいかない。

 セシルの思いを知ってか知らずか、エドガーは何事も無かったかのように廊下を歩いていく。


 当てもなく歩き続けて、人気のない長い回廊にたどりついた。中庭から木の葉の香りを含んだ爽やかな風が吹いてくる。

 エドガーが足を止めて庭を眺めた。つられてセシルも足を止める


「堅苦しくてかなわないな……問題なかったかい?」


 エドガーが礼装の首元を緩めながらセシルに言った。

 一転して砕けた東部訛りの口調はあの戦場と同じで、ようやく目の前の騎士とあの戦場の戦士が同一人物とセシルは確信が持てた。


 だけどそれが分かったとしても戸惑いは消えない。

 目の前にいる彼、簡素とはいえ白い騎士の礼装に身を包み髪も髭も整えた彼はアウグスト・オレアスの白狼だという。

 悲しみも怒りも喜びも驚きも、すべての感情を抑え込もうと努めているセシルにとっても、あまりに落差に頭が混乱する話だ。


「しかし、ひどいな。姫。何も言わないなんてさ。

姫の侍女……ラファエラさんが知らせにきてくれたんだぜ。身支度に大慌てさ」


 セシルの侍女であるラファエラはエドガーを探して都中を駆け回り、冒険者の宿にいた彼を探し当てた。

 すでに謁見の開始まで間も無かったため、とりあえずセシルに恥をかかせない程度に身支度して王宮まで大慌ててやってきたのだが。 


「しかし、我ながらこういうのはガラじゃないよな。軍鶏も孔雀の羽根を付ければそれなりに見えるかい?」

 

 そういってエドガーが邪魔くさそうに飾り帯に触れる

 おどけたような口調でエドガーがいうが、何か言いたげなセシルの雰囲気を察したのか口をつぐんだ。


「どうしたんだい、姫?」

「あなたにはもっとふさわしい士官の口がある。今すぐ戻って王妃様にお詫びして、王妃様に従うべきです。それがあなたのためになる」


 彼が旗下に加わってくれれば、傍にいてくれれば……と思って一瞬心が浮き立った。

 でも喜んだあとに現実を突きつけられるくらいなら、初めから喜ばない方がいい。


 上を仰ぎ見て手に入らない物をうらやむ気持ちはもう忘れてしまった。

 でも一度手に入ったものが失われるのはこの上なく辛い。


 今別れれば、辛さは小さい。

 数知れない別れを経験した彼女なりの心の守り方だ。


「私が何と言われているか知らないのでしょう?」

「今は知ってるよ。だが関係ない」


「……あなたは分かっていない。何も分かってない」

 

 疎まれさげすまれ、ここを逃げることもできない。

 それに、自分の旗下に入れば皇后の敵意を受けるだろう。彼も自分の巻き添えになる。

 あの武勇ならいくらでも栄達の道はあるのに、自分の旗下に居るというだけで不要なもめ事が彼に降りかかってしまう。


「なんだい?俺がいると迷惑なのか?」

「私は死を呼ぶ……死姫ラ・モルテなんですよ」


「心配は無用さ。俺は死なない」


 セシルの気を知らずか、こともなげにエドガーが言いかえした。


「私に仕えれば栄達も期待できない」

「俺がやるべきことは剣を振ることだ。栄達はそのあとについてくる。兄貴や親父も認めてくれるだろう。

むしろ栄達を目的にコロコロと主を変えたりなんかしたら親父に殺されるよ」


「貴方は私に仕えてはいない……まだ正式な主従の契りは交わしていないわ」

「そうなのか?俺はもうそのつもりでいたんだが……じゃあここで今すぐやってくれ」


 エドガーの口調はおどけていたが、譲る気は無いという意思が感じられた。

 セシルが俯く。エドガーが困ったように首を傾げた。


「あー……なんていうか、そんなに俺が仕えるのは迷惑……」

「なぜ……私に?」


 エドガーを制するようにセシルが口を開いた。

 王の庶子とはいえ王妃に疎まれる自分よりも、アウグスト・オレアス辺境伯の息子であり武名轟く彼の方が序列は高い。


 あらゆる点で彼が自分に仕える理由が思いつかない。

 セシルの言葉の重みを感じたのか、エドガーが笑みを浮かべた顔を引き締めた。


「昔、狩りをしたときに見た。一羽の鳥だ。名前は知らないが。草原の真ん中に立っていた」


 軽い口調から一転して、真剣な口調でエドガーが話し始めた。


「そいつは巣を守っていたんだ。俺たちが近づいて……飛んで逃げることはできたのに、そいつは逃げなかった。ただ一羽巣を守っていた」


 何かを思い出すようにエドガーが言葉を紡ぐ。


「たとえようもなく美しかったよ。気高かった。

あの日のことを忘れたことはない。だから俺の文様は一羽で立つ孤高なる鳥なのさ」


 そういって礼装を指さす。其処には緑の地に白い鳥の刺繍の紋章が刺繍されていた。


「その姿をあなたにも見た。

どうか我が剣を受けて頂きたい……いや、受けていただく。セシル姫。

斯様な粗忽もの故ご迷惑をかけるかもしれないが……この剣は貴方の為にのみ振るおう」


 そういってエドガーがセシルの前に跪いた。

 

「それにさ、いいかい?これは俺の経験即だが……手柄を立てれば周りは変わる。

戦場は正直だぜ。礼節だの貴族の序列がどうとかいう面倒事よりよほど単純だ」

「……どういう意味?」


「5回、今回みたいな手柄を立てれば、まず兵士たちの見る目が変わる。10回で民があんたのことを称えて子供たちがあんたのことを謳うよ。20回勝てば、死姫ラ・モルテの代わりに戦乙女ヴァルキュリエと呼ばれる。

30回勝てば日和見の貴族共が姫の屋敷に貢物を届けてくる。50回勝てば王でもあの王妃でも姫を軽んじることはできなくなるさ」


 跪いたままでエドガーがセシルを見上げた。


「それにさ……姫。貴方の魔法使いとしての能力はあんなもんじゃないだろ?」


 エドガーが確信を持ったような口調で言った。

 

「……なぜ?」

「そりゃあわかるさ。戦いに関しては俺の目は節穴じゃないからね、礼儀はからっきしだが」


 今は兵士の犠牲を少しでも抑えるべく早い詠唱で魔法を発動させている。

 しかし、彼女の本来の魔法の素質はむしろ儀式魔法リチュアルと呼ばれる長大な詠唱を伴う大規模な魔法で力を発揮する。

 今まで誰にもそれを気付かれたことは無かったが。 


「さあ、俺たちで世界を変えてやろうぜ」


 そういってエドガーがセシルの手を取った。

 ごつごつした豆だらけの武人の手だ。


 セシルはわずかに逡巡した。

 この手を握り返すべきなのか、それとも振りほどくべきなのか。


 ……彼を自分の境遇に巻き込んでしまっていいのだろうか。

 彼のことを思えば振りほどいた方がいい。それは明らかだ。


 それに彼を信じていいのか……傍に居てくれるのだろうか。

 またすぐに自分から離れて行ってしまいはしないだろうか。その時、その別れに私は耐えられるのだろうか。

 様々な思いが彼女の胸をめぐる。

 

 ……でも。


 セシルの白い華奢な手がエドガーの硬い手を握り返した。

 エドガーがほほ笑む。


「では、よろしくお願いいたします、我が姫君」


 立ち上がったエドガーが礼儀正しく頭を下げた。



 一旦ここで一区切りとなります。


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