戦乙女と白狼~死姫と呼ばれた魔法使いと辺境の最強剣士~
ユキミヤリンドウ/夏風ユキト
第1話 王国暦258年11月20日 幸せな記憶
「セシル様、お体に障りますよ。今日は寒いですから」
メイドの白黒の衣装に身を包んだ侍女がそう言って白い絹のケープをセシルに掛けた。
「そのとおりです。姫様になにかありましたら私達が王様にお叱りを受けます」
もう一人の侍女が言う。
「大丈夫だよ、心配しないで」
セシルが答えた。
ここはフォンテーヌ王国の王都ランコルトの郊外にある王の別荘だ。
白い壁に木で縁どられた建物はかわいらしく瀟洒な雰囲気を漂わせていた。
日差しは暖かいが、庭を時折吹きぬける風は秋の肌寒さを感じる。
整えられた広々とした緑の芝生を、青いドレス姿のセシルが元気に駆け回った。金色のふわふわした長い髪がなびく。
歳は7歳。金色の母ゆずりの金色の髪と透けるような白い肌。
青い猫のような大きめの目と歳に似合わないすらりとした長身はあまり母には似ていない。これは父譲りだ。
ともすれば冷たさを感じさせるような整った顔立ちだが、屈託のない笑みと薔薇色に染まった子供らしい赤い頬が柔らかくかわいらしい雰囲気を醸し出していた。
「セシル、皆を困らせてはいけませんよ」
そう声を掛けたのは、芝生の一角に作られた白い石造りの東屋には彼女の母であるマルグリッドだ。
こちらは年は24歳。娘と同じような美しい金色の髪と白い肌。すこし垂れ気味の目が特徴的だが、絶世の美女と言っていいだろう。
ほっそりした体を水色のドレスに包んでいる。
「はーい、お母様」
セシルが駆けまわるをやめて足を止めた。息が切れて小さな唇から吐息が漏れる。
「さあ、姫様。汗をお拭きください」
「体を冷やしてはいけませんよ。お風邪を召されては困ります」
メイドたちが口々に言って、白い布で汗をぬぐった。
渡されたグラスにいれた白湯をセシルが飲み干す。
「おいで、セシル」
マルグリッドが手招きしたときに、庭の端に立っていた豪華な赤と白の外套を着た儀仗兵が槍で地面を突いた。
儀仗兵たちが統率の取れた動きで一礼する。
庭の凝った装飾が施された格子の扉が開けられて緑の外套を纏った40歳くらいのの男が入ってくる。
その後ろにはそれより少し上くらいの男が付き従っていた。
◆
最初に入ってきた男の頭には金色の王冠が載っていた。
マルグリッドが立ち上がって深々と頭を下げる。全員がそれにならった。
「やあ、マルグリッド。それにセシル」
その男、緑の外套に身を包んでいるのはフォンテーヌ王国の国王、セシルの父のヴォルド3世だ。
年は40歳。灰白色の整えられた髭と髪。
少しの神経質さと強い意志と知性を感じさせる細面には僅かに疲れた気配があった。
痩せてはいるが姿勢はしっかりとしており、腰に吊るした長剣も飾りではないことを示している。
王の座について15年。フォンテーヌ王国の内外を治める名君だ。
その後ろに従っているのはサン・メアリ伯爵だ。
典礼官として長く王家につかえる名門の当主。ふっくらと丸い顔には人のよさそうな笑みが浮かんでいるが、細い目には抜け目ない光が宿っている。
少し出っ張った腹を青の礼装に包んでいる。袖から覗く豆一つない白い指は剣の稽古とかはしたことがないことを示していた。
「お父様!」
セシルが嬉しそうに笑って二人の方を見た。セシルの記憶に残っている父はこの二人だ。
本当の父親であるヴォルド三世。
そして母マルグリッドの後見人であるサン・メアリ伯爵。
「おいで、セシル」
ヴォルド三世が言う。
マルグリッドが促してセシルが王のもとに駆け寄る。王がセシルの小さな体を軽々と抱き上げた。
「具合はどうだね、マルグリッド」
「お気遣いいただきありがとうございます、陛下。お陰で不自由なく過ごしております」
そう言って二人が見つめあう。
セシルを下した王が軽くマルグリッドを抱き寄せて、マルグリッドが甘えるように王に身を寄せた。
国王とその傍女というより市井の恋人のような仕草に、メイドたちが遠慮するように目を逸らす。
「ねえ、お母さま、お父様」
空気を読まないというか二人の雰囲気を察していないセシルが元気よくマルグリッドたちに呼びかけた。
二人が軽く抱き合ったままでセシルの方を見る。
「見てください」
セシルが言って掌を高く掲げる。その掌の中に手毬ほどの水の玉が浮かんだ。
侍女たちが驚きの声を上げる。ヴォルド三世とサン・メアリ伯爵が顔を見合わせる。
ふわふわと浮いた水の玉が数秒して形を崩した。こぼれた水が地面に落ちる。
ばしゃりと音が立って、芝生で水滴が弾けた
「これは?」
「夜にお水を飲みたくなったんです。でも寒くてベッドから出たくなくて……お水欲しいなって思ったら、できたんです」
セシルが言う。
「これは……魔法か?」
「そのようですな……間違いなく」
ヴォルド3世の言葉にサン・メアリ伯爵が信じがたいという顔で答える。
「マルグリッド、お前は魔法を使えるのか?」
「いえ……サン・メアリ伯爵様。私はそんなことはできません」
マルグリッドが首を振る。
魔法の素質を持つものは極めてまれだ。そしてその素質は血脈で受け継がれる。
ヴォルド三世やフォンテーヌ王国の王家の血筋に魔法使いはいない。
ということはマルグリットの家系に魔法使いがいたということになるが。
「ただ……お爺様は魔法を心得があったと聞いたことはあります。直接はお会いしていませんのではっきりはしませんが」
「ほう……それは」
サン・メアリ伯爵が驚いたように声を上げる。
世代を超えて魔法の資質が生じることは稀だが、そういうこともある。セシルもそうなのかもしれない。
「素晴らしいぞ、セシルよ。魔法まで使えるとはな」
ヴォルド三世が愛娘セシルを軽々と抱き上げる。
「セシルは凄いですか、お父様」
「ああ、すばらしい、セシルはすごいぞ」
誉められてセシルが嬉しそうに笑った。
セシルはまだ7歳だ。そして魔法は長い修練と学習によりつかこなすことができるものだ。
この若さで、しかも何の特別な訓練を受けることもなく魔法の力をすでに操れるというのは、彼女の中に高い素質があることを示している。
長い詠唱と引換に天変地異を操る魔法使いは、戦争においても魔獣討伐においても大きな力となる。
強力な魔法使いはたった1人で戦局を一変させるほどの力を持つのだ
「しかし、困ったな……姫を魔法使いとして戦場に出すわけにはいかんではないか」
「いえいえ、王よ。国史を紐解けば戦場に立つ王族は珍しくありませんぞ。
セシル姫が魔法使い……いや長らく空位となっている宮廷魔導士として兵を率いれば、兵たちは勇気百倍。王の名も上がろうというものです」
話題の中心になったセシルがヴォルド三世とサン・メアリ伯爵を代わりばんこに見る。
「王陛下。セシルは争いの場に出さないでくださいませ。
この子には勇ましい魔法使いではなく、優しい淑女として幸せになってほしいと思っております」
「ふむ、マルグリットが言うなら聞かぬわけにはいかぬのう」
真剣な口調でいうマルグリットにヴォルド三世が応じる。マルグリッドが安心したように息を吐いて一礼した。
ヴォルド三世がもう一度マルグリッドを軽く抱き寄せる。
「サン・メアリ伯爵。改めてお前には礼を言わねばならんな」
「いえいえ、陛下がお喜び下さることが我が喜びなれば」
サン・メアリ伯爵が深々と頭を下げる。
サン・メアリ伯爵としては王の歓心を買うべく領地から選りすぐりの美女であるマルグリッドを贈ったに過ぎない。
王に傍女を差し出すことは貴族には珍しくはない。
しかし、美しいだけでなく優しく素朴な心根のマルグリッドは王の心をつかんだ。
東部の鬼の領域ゲルムラントは度々国境を犯しており戦火はくすぶり続けている。南部のイシュトヴェインとは国境線の策定で難しい交渉が続いている。
国内でも昨年は大きな洪水が起き麦畑に大きな被害が出た。
不作の時のご多分に漏れず、傭兵崩れや脱走兵が山賊や海賊となりあちこちで小競り合いを起こしてる。|小鬼(ゴブリン)が跳梁跋扈し、農民は税に苦しんでいた。
可能な限り負担を減らすように様々な施策を打ってはいるが、完璧とはいかない。
王とは孤独だ。
国で一番豪華に飾られた金銀の玉座にたった一人、孤独に座る者。それが王である。
無論、王には多くの廷臣が仕え文武両面で王を支えている。しかし本質的に責任を負うのは王一人だ。
横に並び立つものはいない。心許せるものなどいない。
内憂外患の状況で激務に追われる中、安らげる場所が王には必要だった。
そしてその場所に気立てが良いマルグリッドは丁度良かったと言える。
王妃カトレイユは美しく礼節や作法に通じた非の打ちどころのない淑女であり、王妃に相応しいことについては誰も異論をはさむ者はいない。
しかしフォンテーヌ王国の有力貴族家の出身の彼女は気位が高く、疲れた王の安らぎの場所とはならなかった。
「王陛下……陛下こそお疲れではないですか?」
「そのようなことはない。おまえとセシルに会えたのだからな」
ヴォルド三世とマルグリッドが見つめ合う。
サン・メアリ伯爵は心の中でほくそ笑んだ。
マルグリッドは本当にうまくやってくれた。王の寵愛を得たのもだが、なにより王妃カトレイユより先にセシルを産んだのは大きい。
王妃にはいまだに子はいない。世継ぎを望む声は大きいが上手くいっていない。子は天使からの授かりものだ。人の思惑どおりにはいかない。
このまま王妃が子を生むことが出来なければ、王の血を引く子はセシルのみとなる。
そうなれば、ゆくゆくはセシルは何処かの貴族家から婿を取りそのものが王となる。セシルは王妃だ。
しかも魔法の素質まで秘めているという。王妃にして宮廷魔導士などと言う事もあり得る。
最高に上手くいけば……自分が王妃セシルの後見人になれるかもしれない。
そこまでうまくいかなくとも、セシルの母マルグリッドを王に献上したのは自分だ。その事実は大きい。
王の覚えがめでたくなれば自分のさらなる栄達も期待できる。
サン・メアリ伯爵は心の中で薔薇色の未来を想像した。
「セシル、体には気を付けるのだぞ。お前の体はお前だけのものではない、皆にとって大切な体なのだからな」
セシルのふわふわした金色の髪をサン・メアリ伯爵が優しくなでる。
「はい……お父様」
「おいおい、セシル。お前の父上は此処におられる偉大なる王、ヴォルド三世だけだぞ、まったく困った子だな」
サン・メアリ伯爵が慌てたようなおどけたような口調で言って、周りから笑い声が上がる。
「私の事は叔父様と呼ぶのだ。いいな?」
「はい!叔父様」
セシルが元気よく答えた。ヴォルド三世が楽し気に笑みを浮かべる。
……それはセシルの中に残る最後の幸せな記憶だ。
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