奇術師の窓、がらくたの国
暴力と破滅の運び手
1
ハリー・ハットンと同じ雑居房なんてついてねえな、と口々に言われたわけを、初日の午後にはすっかり理解していた。
身体が大きすぎて、ひとつの雑居房をともにするには邪魔っけだった。二段ベッドの下のほうで寝てみたら、上からこの世の終わりのような軋みが聞こえたので、ぼくが上で寝ることにした。そしたら今度は外飼いの犬みたいなにおいにつつまれた。こいつは一体、身体から何を出してるんだ。
なお悪いことに、ハリーはとにかく口数が多いのだ。
「ねえ、ロビン。きみはここにくるまで何をしてたの?」
刑務作業の最中にもひっきりなしに話しかけてくるのには閉口した。馴れ馴れしい奴、と内心で舌打ちをする。
「空き巣だよ。あんたは?」
「奇術師だよ。サーカスで働いてたんだ」
刑務所に来た理由は? と思ったが、深くは訊かず手元に目を戻す。
ぼくが割り振られたのは、部品加工の作業だった。薄く引かれた線に沿って鉄板を切り取るだけなのだが、上手くできない。後ろのやつが覗き込んできて、最初はみんなそんなもんさ、と薄笑いで肩を叩いてくる。それに、ひどく暑かった。窓は開いているけれど、扇風機は監督官の近くにしか置いてない。ここは真夏のフロリダだ。気を抜くと指を落としそうだった。
「これ、何を作ってると思う?」
またハリーの邪魔が入る。
「知らねえよ」
「宇宙船の部品だよ」
「宇宙船? ってあの……宇宙に飛んで行くやつ?」
「うん」
「ここで……そんなもん作らせていいのか?」
後ろのやつが旋盤の音を甲高く響き渡らせるのが耳に入った。監督官が近付いてきた合図だよ、とハリーが耳打ちしてくる。ぼくは目を伏せて部品の旋盤加工に集中し、監督官が横を通り過ぎるときにわざと回転数を上げる。
ハリーが監督官に呼ばれて立ち上がり、荷運びに向かう。せいせいするぜ、と思ったのも束の間、今度はやけに周りが静かになったような気がして集中できなくなってしまう。
休憩時間に、気のよさそうなおっさん二人に話しかけられた。挨拶代わりにそれぞれ詐欺と保険金詐欺だと教えられ、おかげで名前が頭に入らない。
「ハリーは何をやったんですか?」
と訊ねると、結婚詐欺と保険金詐欺は顔を見合わせる。
「窃盗かな」
「多分そうだよな」
「窃盗? それで刑務所に?」
「でもな、あいつの周りでは物がよく無くなるんだよ」
二人が気になることを言い出したところで、遠くで歓声が起きる。首筋に趣味の悪いタトゥーを入れた固太りの親父が、ブラシを高く掲げている。
「おれの女が送ってきたんだ……あいつの『使用済』ブラシだとよ!」
取り巻きたちが口笛を吹きながら拍手をする。差し入れなのだろう。何やら、えも言われぬヘアオイルの香りがするらしい。そんなものが嬉しくなるほどここは恐ろしいところなのだろうか。
詐欺コンビがぼくに向かって口々にレクチャーする。
「ビルには気をつけろよ」
「あいつはここを仕切ってる」
「でかいヤマがバレそうになったところを、子分にアリバイを作らせて」
「自分じゃやってもいない暴行罪で捕まったんだ」
「そのあと子分もどんどんついてきたってわけさ」
荷運びを終えたハリーがその横を通り過ぎた。
子分に見せびらかすために振り回されるブラシを、髭面のハリーがぼんやりした目で追いかける。
「いいブラシだね、ビル」
ハリーが心底感動したように声を掛けると、水を差されたビルがイラついた様子で振り返った。みながほくそ笑みながら目を伏せた。
しかし、囚人たちはほどなくして再び顔を上げることとなる――ビルが情けない声を上げるのが聞こえたからだ。
「ブラシが……おれのブラシが!」
手の中にあったはずのブラシが、忽然と消えていた。
子分たちが一斉に立ち上がり、ハリーに詰め寄った。声を掛けられたせいで消えたに違いない、と思っているようだ。ハリーは困ったように空の両手を見せていた。
「やめろよ」
思わずぼくは、子分たちに追い詰められゆくハリーの前に飛び出した。ビルと子分たちが拳を降ろし、こちらを見る。
「そいつ、指一つ動かしてなかったぜ。そんなの、盗りようがないだろ」
それがぼくの見る限りにおける真実だった。ぼくは直前に妙な話を聞いたから、ブラシを直視していた。そして、ブラシは、ただ消えたのだ。どうして消えたのかはわからないが、とにかくハリーの手はそれに関与していなかった。
「おまえもグルか? 新入り」
ビルが唸り声を上げた。ぼくはその目を正面からにらみかえした。
作業再開のベルが鳴った。看守たちがぼくたちに元の場所に着くよう促す。ぼくはにらみ合いを切り上げ、ハリーを旋盤のほうへ引っ張っていった。
「後悔するぞ」
すれ違い様に、ビルがそう吐き捨てる。
それから消灯時間まで、誰も話しかけて来なかった。どうやら、初日からとんでもないことをした新入りに関わりたくないらしい。ハリーは何か言いたそうにしていたが、近付いてこないように威嚇していたので訊かずに済んだ。
あんなこと言わなくてよかったのに。
消灯するなりハリーはベッドの上段を覗き込んで、そんなことを言ってきた。バツの悪い気持ちになって、ぼくは壁の方に寝返りを打つ。
うるせえな。本当のことだろ。あんたはブラシに指一つ触れてなかった。
ハリーは否定も肯定もしなかった。
それはそうだ。でもね、おれは、生まれながらの奇術師なんだよ。
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