第37話 セイントマリー

 そして、俺たちは本物の聖母がいるという村に来ていた。

 王都からは少し離れた小さな村だ。周囲は畑に囲まれていて、丘の上に見える教会が目を引く。


 その教会の近くにドールを止めた俺たちは、分厚い扉を開いて中に入る。


「ようこそお出でくださいました」


 すると、痩せた初老の神父が出迎えてくれた。

 石造りの教会の入口近くはやや薄暗いが、奥にあるステンドグラスから綺麗に日の光が差している。


「皆さま。小さな村ですが、穏やかな場所です。どうかごゆっくりお過ごしください。――クラリス」


 そう言って神父が名前を呼ぶと、横の部屋からシスターの恰好をした、亜麻色の髪の女の子が出てきた。

 名前は【クラリス・ブールナール】だったか。年齢は俺たちより少しだけ下のようだ。ちょっとそそっかしい歩き方で、俺たちの前に立つ。


「は、初めまして! クラリスともうしみゃ――申します!」


 噛んだ。やっぱりそそっかしい。なんか危うげで、見ているこっちがなぜかハラハラする。

 

「クラリス。久しぶりですね」

「う、うん! エリィお姉様も元気そうでよかった!」


 二人は旧知だったのか、仲睦まじく抱き合った。

 その様子を微笑ましくみていると、エリィがクラリスの背を押してこちらに向ける。


「クラリスは私と同じく、陛下に育てられた姉妹です。戦火で両親を亡くし、引き取られました。今はこの村でシスターをしております」

「なるほど。木を隠すなら森の中……というわけですわね」

「仰る通りでございます」


 セレスの言葉にエリィが頷いた。

 確かに、知らなければ誰もこんなところに聖母がいるなんて思わないだろう。

 

「アタシ、ルーシー! よろしくね!」

「グレンだ」

「セレスティアと申しますわ」


 それぞれに挨拶していくと、「は、はい! え、ええと、しーるーさま?」などとさっそく名前を間違えている。

 まぁ、名前なんておいおい覚えてくれればいい。


 ゲームじゃもうちょっと落ち着いた感じだったが、終盤となれば何年後かの話だ。

 今はまだシスターとして経験を積んでいる状態なのだろう。


 俺は頭を掻きつつ、名前をエリィに訂正されて焦っているクラリスを見守るのだった。


 ◇   ◇   ◇



「大まかなことは女王様から聞いてる。聖母なんだってな」

「はい。お母様の言う通り、私は【聖母セイントマリー】の祝福を世界から頂戴しています」


 教会の一室で、俺とセレスはクラリスと話す。

 その間、ルーシーとエリィは神父の申し出で村を案内してもらいに出てもらっていた。


「その【聖母セイントマリー】の祝福ってのはどんなもんなんだ?」

「そう……ですね。私には触れたものの気持ちがわかるんです。それと同時に、私の思いを伝えることができます」

「んん~……? ぐ、具体的には?」

 

 俺が頭を掻いて飲み込むのに苦労していると、クラリスは少しだけ笑う。


「最初にこの祝福に目覚めたときは、花飾りを作ろうとお花を摘んでいるときでした。枯れかけたお花に触れた際に、私の中に流れ込んできたんです。『生きたい。種を残したい』と」


 軽く胸に手を当てて、クラリスは続けた。


「それから……蝶々が私の手にとまったときに、困惑したような気持ちも感じました。きっと私の手についたお花の香りに誘われてとまったんでしょう。『ここはどうして蜜がないの?』と。そこで私が『お花ならそこにありますよ』と語り掛けたら、蝶々は示した通りのお花に飛んでいったんです」


 言い終わってから、クラリスは「えへへ、伝わりますか?」とエリィに似たはにかみを見せた。


 なるほど。超ファンタジーだ。


 俺の【情報解析アナライザー】やセレスの【天武ジーニアスファイター】と比べると、かなりふわっとした能力に聞こえる。

 だが、定義が曖昧なほど、祝福の力は大きい側面があると俺は思った。


「……日常に支障はないのか?」

「最初はかなり戸惑いました……。祝福に目覚めてからはお花を摘むことすらできませんし、うっかり他人に触れてしまうと心の中を覗いてしまうことになります」

「だからシスターをやっているのですわね」


 納得、といった表情でセレスが言うと、クラリスは頷く。

 

「はい。お母様からはこの祝福に耐えるため――人の思いを受け入られる心を持つために、祈ることを覚えなさいと言われました。まぁ、その……様々な生き物の声が聞こえてしまう私に、静かに祈る時間を作ってくださったのだとも思います」

 

 確かに、勝手に触れたものの声が聞こえるというのは、普通の日常を送る中ではかなりのノイズだろう。

 いずれ聖母になることを考えても、シスターという立場で研鑽を積むのは最適解かもしれない。


 俺はこのクラリスという少女の境遇を考えて、守るべき対象だと改めて認識した。


「わかった。話してくれてありがとな」

「いいえ、こちらこそわざわざ足を運んでいただいてありがとうございます」


 ぺこり、とクラリスが頭を下げると、ベールがズレて「あわわ」と声を出す。

 俺はそれを見ながら窓の外に見える【ペルラネラ】を差して言った。

 

「何かあれば王都からすぐにここに助けにくる。そのときは【ペルラネラ】にびっくりするなよ」

「あの可愛らしいドールはそう呼ぶのですか?」

『肯定😘』

「うおっ、いきなり喋るな!」

「えっ? ドールが喋るのですか?」


 いきなり声を出したペルに俺が言うと、クラリスが目を丸くした。


「まぁな。……他のドールとはちょっと違うらしい」

「ねぇ、貴方様」


 ちょいちょい、と袖を引っ張られて、俺は何かとセレスに顔を向ける。


「【ペルラネラ】の気持ちも、クラリスにわかるか試してみませんこと?」

「そんな面白がるなよ……」

「あっ、でもちょっと触れてみたいです」

 

 俺は怪訝な顔をしてみせたが、クラリスは乗り気だった。

 仕方なく、俺は左腕を差し出すと、優しくクラリスの手が腕輪に触れる。


「……とても、とても温かく、強い気持ちを感じます」

「なんて?」

「グレン様を守るという強い気持ちです。優しいドールに愛されているんですね」


 そう言うクラリスの表情は、慈愛に満ちた微笑みだった。


『肯定🤣 当方はマスターを最重要人物として認識している😘💛』

「だからハートやめろ!」


 俺のツッコむと、セレスとクラリスが笑い声を上げる。

 だが、悪い気持ちはしない。


 ペルが俺をそう思ってるように、俺だってペルのことをただの兵器として見ているわけじゃないのだ。

 二人の笑い声を聞きながら、外に立つ【ペルラネラ】見て、俺は息を吐くのだった。

 

 

 ◇   ◇   ◇



 その日は村の宿に泊まることになった。

 高い宿などないのでちょっとベッドが硬いが、元平民の俺からすればどうってことない。

 セレスはといえば逆に新鮮らしく、さして嫌そうな顔はしていなかった。


 だが寝る前に、歓迎の宴を開いてくれるというので、そのご相伴に預かる。


「これはどう食べるんですの?」

「姐さん食べたことないんですか? これをこう割って中身だけ食べるんですよ」


 ルーシーがセレスに木の実の食べ方を教えているのを横目に、俺は出された葡萄酒を傾けた。

 ううん、この味。平民出身の俺からすれば懐かしい味だ。

 

「にいちゃん飲んでるかー? ほれ、もう一杯!」

「アンタ! その人は騎士様だよ! 言葉に気をつけな!」

「はは……」


 そんな風に絡んでくるおっさんに対応しながらも、俺はクラリスのことを見ていた。

 さすがに酒は飲んでいないが、村の人たちとは仲良さそうに食事をしている。


 何年後かには聖母として扱われる少女――しかし、今のままでも十分幸せそうに見えた。

 もしかすれば、彼女は聖母なんて役目を負わず、一生をこの村で過ごした方が幸せなんじゃないかとも思える。


 なぜかといえば、それはセレスと同じだからだ。


 【凶兆の紅い瞳】という隠しボスの役目を負わされたセレスを、なんとかその運命から逃がしてやりたい。

 セレス自身が望まなくとも、俺は彼女の幸せを――やがては自由に生きる未来を模索していた。


 これは完全に俺のエゴだ。


 セレスも、クラリスも、ゲーム通りの役目をこなすほうが幸せだと言うかもしれない。

 けれど、俺は運命というやつに横やりを入れてやりたい気持ちがあった。


 それは俺自身がモブという役目から脱することのできたことへの――セレスが手を引っ張ってくれたことへの恩返しのような気持ちだ。

 だから、セレスにも、クラリスにも自由に生きてほしい。何にも縛られることなく、誰にも邪魔されることなく。


 【ペルラネラ】はそのための力だと俺は考えている。


 俺は持った葡萄酒に映る自分の顔を見つめながら、そんなことを考えていると――。


「……ん?」


 ――持った葡萄酒が小刻みに波紋を作っている。


 それは次第に大きくなって、村の人々も何かを察したように周囲を不思議そうに見回していた。

 ガタン、と松明が倒れて、その灯りでそれは姿を現す。


 そこには黒色の巨人――ゴーレムが立っていたのだった。


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