東堂和也 異世界で人型芳香猫になる

水丸斗斗

第1話 俺 「素浪人」野木美月を観察する(改)

 いま思い出しても、あり得ない日々だった。


 今も学校にあの二人がいなかったら、夢認定していたと思う。


 ちょっとした偶然から……いや、偶然じゃない。 

 よく考えたら、その前から変だった。


 いま思えば、なんで俺は「素浪人」野木美月が、あんなに気になっていたんだろう。


 


       ———————————————————



 俺が知る限り、野木美月はずっと前から「素浪人」と呼ばれていた。

 武士でもなく浪人でもなく「素浪人」。

 女子高生だが「素浪人」。


 野木美月はそこそこ美人だ。

 スタイルもよく、清潔感もある。

 癖のないまっすぐな髪は、後ろで一つにまとめられさらっと流れて、清楚という言葉さえ出てくる。


 たが、それは遠目のことだ。


 静かな佇まいの影に潜む殺気。

 誰の命令にも従わない絶対的な意志。

 だがどこか荒んだような、あきらめたような雰囲気。

 

 入学式で見たときは本当に驚いた。

 俺史上一番怖かったのは、体操クラブのコーチだったが、野木美月はそれをはるかに上回っていた。

 具体的に言うと、目が怖い、気配が怖い、ちょっとした仕草が怖い。

 頭で考える前に、体が怯えてしまう。

 この怯えは、本能的なものだった。


 怯えているのは、俺だけではない。

 古典的に言うところの「不良」でさえ、野木美月には近寄らなかった。

 これが漫画なら、野木美月のバックには、最強クラスの背景が用意されているはずだ。


 だから今までは、遠巻きに見ていた。


 だがいつの間にかそんな野木美月が、気になり始めた。

 最近では野木美月を見るのが、趣味なんじゃないかと思うようになった。


 目の端で野木美月をみつけると「よかった、いた」と思うようになってしまった。

 たまに野木美月が変わったこと………例えば、消しゴムを落とすとか、鼻をかんだとか。

 その時は心の中の観察日誌にメモをとる。


 誓って言うが、恋ではない、愛でもない。

 狼やライオンの観察日誌に近い。


 そういう意味では、牧田翡翠も見逃せない一人だった。


 牧田翡翠は、野木美月とは全く逆のタイプだった。


 長身の野木美月に対し、牧田翡翠は小さめ男子だった。

 こぶりな顔に、ふわふわの髪。顔だけみれば可愛い。

 アイドルグループの、可愛い担当ができる程度には可愛い。


 だが、こんなに残念な可愛い男子というのも、珍しいのではないだろうか。


 先ず、牧田翡翠は恐ろしいほど存在感がなかった。

 動きは遅く、声も小さく弱々しく揺れている。

 教室にいても、誰も気付かない。

 教師もうっかり見過ごしてしまう。

 いじめの網にもかからないほど、存在感が薄い。


 ではなぜ牧田翡翠が見逃せないのか。


 「素浪人」野木美月を、唯一恐れない人間だったからだ。

 しかも「美月ちゃん」と呼ぶ。

 初めて聞いた時は震え上がった。牧田翡翠は殺されると思った。

 だが野木美月は「翡翠、どうした」と渋く答えた。


 その渋い返しに、少しだけ牧田翡翠が羨ましくなった。

 「和也、どうした」と言われるところを想像した。


 あ、和也というのは俺の名前だ。

 どうやら野木美月を観察しすぎて、ハマりそうになっているらしい。


 気をつけろ、俺。


 話しが逸れた。


 観察日誌だけだった俺の日常が変わったのは、いつもとは違うルートで帰ったあの日だった。


 牧田翡翠が、ぼろぼろの木造の建物に、ふわ~っと入って行った。

 建物の見た目からして、道場っぽい。柔道とか、空手とか、そういう道場だ。

 その組み合わせが意外で、つい自転車を置いて見に行ってしまった。


 思えばこれが悪夢の始まりだった。


 そこには野木美月がいた。

 期待していたが、本当にいるとは思わなかったので、胸が高鳴った。


 野木美月は片膝を立てて座っていた。

 手にしていたのは木刀。


 おお、まさに素浪人。

 心のなかでスタオベした。野木美月はこうでないといけない。


 そして少し離れたところに、牧田翡翠が寝転がっていた。

 小動物っぽく、ごろごろしている。

 これも牧田翡翠っぽくてよい。


 しかし一体ここは何の道場なんだろう。二人ともTシャツにジャージだったから、服装からは全く想像がつかない。


 「美月ちゃん、や……る?」

 おっとりと、ゆれた声で牧田翡翠が言った。

 なんでこんなに声が揺れてるんだろう? 腹筋がないのか?


 それは突然始まった。


 寝転がっていた牧田翡翠が、突然跳ね上がった。

 そう、ありえない角度で飛び上がった。

 その牧田翡翠に、野木美月が木刀で斬りかかる。


 きゃーーー怖いーーー

 

 激しすぎる格闘に、俺の中の乙女が悲鳴を上げた。


 野木美月の木刀の使い方、素人じゃない。時代劇のすごい殺陣たてを見ているようだ。

 容赦なく牧田翡翠を討ち取ろうとしている。

 真剣じゃなくても、相手を殺せるような気がする。


 俺だったら一秒で十回ぐらい死んでる。


 しかも牧田翡翠はそれを避けながら、素手で攻撃している。


 怖くて見ていられないのに、目が離せない。


 牧田翡翠、かっこいい。跳躍力が半端ない。

 体の使い方に無駄がなくて、最低限の動きで、すっごい飛んでいた。

 てかこいつ、半分空中にいるような気がする。ありえない感じなんだが。


 俺は二人に夢中になっていた。

 だから足元に危険が迫っていることに、気付かなかった。


 突然足を襲った鋭い痛み。


 俺は口に手をあて、必死で悲鳴をかみ殺した。

 恐る恐る視線を落とすと、ふくらはぎに爪を立てた猫がぶらさがっていた。

 その猫は恐ろしい猫相にゃんそうを浮かべ、俺の体によじ登ろうとしてた。


 とっさに足を振った。

 すると今度は噛みついてきた。


 ぎゃあああああーーー


 痛みのあまり、すっころんだ。幸い猫はその衝撃で、走り去っていった。


 このままだと二人に見つかってしまう。

 俺は後先考えず自転車に飛び乗った。


 お願いだから二人とも、俺には気付かないでいてくれ。


 俺の足は血まみれだった。

 暑さで裾をめくりあげていたことを悔やんだ。

 なんとも野性的な傷だった。

 しかも相手は猫だった。


 猫に負ける俺。

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