四
こうして、史郎と椿は嫌々ながらも姫に付き合わされることになった。史郎は「なにかあったら首が飛ぶ、なにかあったら首が飛ぶ」と内心ヒヤヒヤとしていたが、椿はどこ吹く風で、むしろ同い年くらいの姫に興味津々で話しかけていた。怖い物知らずが過ぎる。
「今からどこに参られますか?」
「ええ。このまま大名屋敷の通りをぐるりと回ろうかと」
「まあ……他の大名様に怒られませんか? 私はあまり大名様のしきたりを存じておりませんが」
「平気ですわ。なにかあったらお父様に申しますもの。他の藩だって、わざわざよその藩とくだらない揉め事は起こしたくはないはずですわ」
乙女ふたりが和気藹々と話している雰囲気は愛らしいものがあるが、話している内容に史郎は頭を痛めていた。
(……自分ひとりの言動で藩同士の諍いが起こらないと考えるって、どれだけ物知らずなんだ……そりゃ父親だってさっさとどこかに嫁入りさせて、奥に引っ込ませようとするだろうさ)
江戸に参勤交代でやってくる大名同士、江戸にまでわざわざやってきて揉め事は起こしたくないはずだが、それでも面子を潰されたと判断したら途端に怒声を発する。姫の物知らずさを見ていたら、いつどこで面子を潰された宣言させるかわからないから、そりゃ怖いだろうと史郎は震えおののいた。
それをわかっているのかわかっていないのか、姫は本当に相変わらずの言動を繰り返していた。椿がそれに付き合っても姫を激昂させないのは、彼女は姫と同様に物知らずに見えても、意外と人に合わせるのが上手い性分だからだろう。
(俺には無茶振りする割には、よその人間にはきちんと合わせられるんだよなあ……)
いい加減史郎も、椿の詳細については薄々勘付いてはいるが、今はそれを指摘することでもあるまい。姫がいったいなにをさせたいのかわからないまま、歩いていると。
シャン
シャン
シャン
シャン
鈴の音が響き渡った。それに思わず史郎は立ち止まる。すると姫は「まあ……っ!」と息を飲んで、そのまんまふたりの袖を引っ張る。
「お、おいっ……!」
「隠れてくださいませ、狐の嫁入りですわ!」
「狐の嫁入りって……今日は雨が降る予定は……うん?」
鼻にぴちょんと冷たいものが乗ったかと思ったら、空は晴れているのに雨が降りはじめた。慌てて皆で角に隠れる。
するとありえない光景がたしかに見えてきた。
この雨の中、白無垢を着た花嫁行列がぞろぞろと歩いてきたのである。白無垢の布地を見て、史郎は思わず口の中で「ひ」と言う。小役人では一生支払いを終えることは不可能だろうというような値段の着物が、雨でしとどに濡れているのである。絹の着物が洗濯不可能なのは、誰もが知っている話。それが雨に濡れたら、もう二度と着れないというのに、この花嫁行列は雨に打たれることをものともせずに進むのだ。
赤い傘は連れが差しているが、傘からはみ出た部分は悲惨だ。そして。全員が狐のお面で顔を覆い隠していた。
史郎はそもそも、諭吉の相談なくしてこんな大名屋敷の通りになんて来ない。そして諭吉の言った通りに、狐の嫁入りを目撃しているのだ。
(いや、ありえないだろ)
史郎は鈴の音と一緒に歩いて行く狐の嫁入り行列を眺めながら考え込んだ。
ひとつ。大名屋敷の通りで、雨の中の花嫁行列。大名の子息子女の結婚式で、わざわざ嫁入り衣装や道具を傷ませて面子を潰すような真似をするとは考えにくかった。
ひとつ。狐の嫁入り。いくら星を読むのが仕事な陰陽師であったとしても、天気雨の降る時間帯を計算するのは不可能だ。
だとしたら、目の前に現れた狐の嫁入りは本当のことという話になるが。
(……それこそ、ありえない話だろ)
史郎は徹底して現実主義者であり、妖怪の類を一切信じてはいない。どうにか気を整えるようにして、眉間を揉み込んだ。
一方、狐の嫁入りが去って行くのを見守っていた姫は「ああ……あああ……ああ……」と震えていた。
「なんということでしょう……狐の嫁入りなんて……」
「おひいさん?」
椿がおずおずと声をかけると、姫はぱっと椿に抱き着いた。
「狐の嫁入りを見たなんて言ったら最後、お父様に追放されます! どうしましょう!」
「……それっておひいさんにとって、そんなに悪い話なんでしょうか?」
姫の言葉に、椿は珍しく困ったように、切り揃えた髪を揺らした。
「だって、家を出てしまったら、もうあの旗本の方と結婚するのも可能ですよね? よかったじゃありませんか」
「そ、そんな簡単に上手く行くでしょうか」
「ならこうしましょう。外に遊びに行ったら、狐の嫁入りを見てしまった。罰が当たってしまったと。それなら、爺やさんたちもなにか考えてくださるんじゃないでしょうか」
「……そうでしょうか」
椿が必死に姫を慰めているのを眺めながら、史郎は顎に手を当てた。
(この話、いくらなんでも出来過ぎていやしないか?)
常日頃から逃亡癖のある姫が、狐の嫁入りを目撃した。人は存外に迷信深い。現実主義な史郎だったらいざ知らず、下駄の緒が切れたら不吉だと騒ぎ立て、黒猫が横を通り過ぎたら不幸が訪れるんじゃと恐れおののく。実際のところ、どれもこれも偶然であり、自分に起こった嫌なことを押しつけるための理由としての意味しかない。
狐の嫁入りを目撃してしまった、その上、同じように狐の嫁入りを見たと証言する人間が他にもいる。普通に考えれば、大名の子息子女の決めた縁談を破談に持ち込むにはとてもいい機会だが。
たまたま都合よく狐の嫁入りを調査するために、陰陽師の師弟が訪れなかったら、こんな話にはできなかったはずである。
状況証拠としては、姫はどこかで計算していたことになるが。天気雨と通り過ぎていった狐の嫁入りだけは説明が付かない。
(人の恋路を邪魔する気はないんだが……)
史郎は正直、少し話をしただけではあるが、このへっぽこ迷惑姫のことは嫌いではない。ただ、もし姫の迂闊な言動が原因で各方面に迷惑がかかり、それこそたまたま通りすがっただけの史郎と椿にも火の粉がかかるくらいだったら、もう少し調べたほうがいい。
そう心に決め、椿と一緒に姫を大名屋敷に送り届けることとなったのだ。
****
史郎が姫を大名屋敷に送り届けたら、当然ながら屋敷の内外はざわついていた。
「姫様! 何故勝手に外に! もうあなたひとりの体ではないのですよ!?」
「まあ……爺やはいっつもそう……! でも私……初めて爺やの話をまともに聞いておけばよかったと後悔していますのよ!」
そう言いながら泣き崩れる姫に、爺やは狼狽える。
そして爺やはキッと史郎を睨み付けた。
「まさか……姫様になにかやましいことを……!!」
「しておりません! 自分はそのようなことはしておりません! 弟子もいる手前、未婚の女性に、それも大名家の姫様に手を出すような真似は決して致しません!」
「だが……」
爺やはなおも鼻息荒く怒りを振りまいていたが、椿は「あのう……」とおずおずと声をかけた。
「私たち、おひいさんと一緒に狐の嫁入りを目撃してしまったんです。おひいさんのこと、叱らないであげてください」
「……なんと?」
「そうですの、爺や! 先方にこのことを告げれば、きっと私の良縁も破談になります! ですが黙って行くのも、きっと示しが付かないことでしょう! 爺や、私どうしたらいいんでしょうか?」
史郎は「なかなかの迫真の演技だな」とどこかしらけきった顔で見ていたが、爺やはそうではない。
顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりと、大変に忙しそうだ。
「それならば……殿にぜひとも話を付けなければ」
それは本当に沈痛の面持ちと言った具合であった。
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