三
千が向かった先は、女郎屋であった。
遣り手によりたくさんの遊女を集めている場所であり、高級遊女に当たる太夫を抱える見世は大店だ。千が向かう見世は可もなく不可もないといった具合の場所であった。
店先には番頭と一緒に遣り手が座って煙管を吹かせている。そこで千が声をかけた。
「すみません。針子ですけど、縫いの仕事を届けに上がりました。どちらに持っていけばよろしいです?」
「ああ。いつものところに置いておいておくれ……って、誰だい、そちらの仰々しい格好のお二方は」
遣り手は当然ながら狩衣姿の史郎と巫女に見えかねない椿を見て、思わず止めてしまった。千は言う。
「今、占ってもらっているところなんですよ。どうですか、あとで占ってもらうってのは」
遣り手は少しばかり唸り声を上げながら、煙管を噛みはじめた。
基本的に遣り手は元遊女であり、見世で遊女の世話をしながら生計を立てている。陰陽師の造詣に詳しい遣り手は、当然ながら限られている。
一方番頭は「へえ……」と呆けた顔で、ふたりを見比べた。
「いいじゃないですか、ばあさん。あとで見てもらいましょうや」
「やだよ、あたしは。陰陽師がほっつき歩いているのを見られたせいで、うちは呪われてるんじゃないかと疑いをかけられるのは」
「陰陽師様にお伺いすれば、もしかしたら外に漏れずに済むんじゃないですかい?」
「格好でどうなるかわかりゃしないじゃないか。もしうちの見世を見て回りたいんだったら、せめて服をどうにかしてくれないかい?」
そう言われて、史郎と椿は首を傾げる。
「はあ……そう言われましても、自分たちの手持ちの服はこれくらいで……」
「ああん、もう。ちょっと男衆の服でも見てやりな。そっちのおぼこいのはあたしのおふるでいいね」
「まあ……!」
遣り手に「おぼこ」と呼ばれて、椿はむくれた顔をするが、渋々店主が服を取りに行ってくれ「あちらの部屋で着替えてください」と言われたので、これでようやっと千と合流して見世を見て回れる準備は整った。
史郎は袴もなく、すーすーと風通しのいい着流しにうんざりとしていたが、椿は古着だがしっかりとした布地の小袖に袖を通せてご機嫌である。髪型こそ禿に似てはいるが、椿は禿にしては育ち過ぎているため、間違えられることもないだろう。
千に連れられ、入っていった。
長い廊下を抜けると、女郎たちが休んでいる部屋に入る。どうもこの見世では部屋持ちは少ないらしく、そのほとんどは雑魚寝状態だ。
「すみません、繕い物を持ってきました」
「ああ、ありがとう。そこに置いておいて」
今はまだ夜ではなく、遊女たちも派手な化粧はしていないが、それでも漂ってくるむせかえるほどのおしろいの匂いに、椿は失礼にならない程度に口元に手を当てた。
一方、遊女たちは見慣れない男衆に首を傾げた。
「お千さん、そちらは? 新人の男衆で?」
「いえ、最近はびこっている呪いについて、調べてくださる方ですよ」
千がそう言った途端、先程まで漂っていた気怠さや華やかさが霧散し、じんわりとした冷たい空気が漂いはじめた。
それに史郎は「ふむ」と唸った。どうも彼女たちもなにかを知っているらしい。
「まだ呪いってもんは、通りじゃわからないもんだったが……知ってるならなにか教えてくれないかい?」
「……最近、旦那が決まった子がいたんだよ」
ひとりの女郎が、史郎からあからさまに視線を逸らしながら、ぽつんぽつんと語りはじめた。それを史郎と椿は「ふむふむ」と聞く。
「だから、その子は指切りしたんだよ。指切りっつってもね、本当に指を切る訳じゃないんだよ。だいたいは人形師や細工師に頼んで、人形の指を買ってきて、それを贈るのさ。夫婦の契りとしてね」
史郎はそうなのかと言いたげに千を見上げると、千は頷いた。
「この辺りだったら、路地裏にある人形師のところで買いに行くんです。表通りはよっぽど儲けていなければ買える値段じゃないんで」
「……でも、その子は指を贈った途端に、旦那が来なくなってしまったんだよ。その子だけじゃない。他にもね……最初は、通う金が尽きたか程度だったんだけど。だんだん人形の指を買っている子たちの中で、見世に出られなくなる子が増えていったんだよ……それのせいで、夫婦の契りを結ぶのを怖がる子が増えてきているんだ」
「ふうむ……なるほど。ありがとう。あと……見世に出られないお嬢さんに会う方法ってあるかい?」
それには、女郎たちが全員顔を見合わせてしまった。それに千が「しろさん……」と声をかけ、そろりと耳打ちしてくれた。
「それは困りますよ……働けない女郎たちは……たいがい物置に追いやられてるんだから……あそこに余所者を入れたがるのはいないよ」
「なるほどなあ……椿」
「は、はいっ……!」
途端に史郎の隣にいたおぼこいのに視線が集まる。椿はぴしゃんと背筋を伸ばすが、垢抜けなさは吉原では目立ってしまう。
「ちょっと物置にいる、呪われたってえ娘と話をしてきてくれねえか?」
「そりゃかまいませんけど……私行っても大丈夫なんですかねえ?」
「梅が落ちたくらいじゃ大丈夫だろ」
この手の見世の物置は、見世に上げることのできない女郎は軒並み物置に集められて放置されていた。見世によれば医者を呼んで診てくれることもあるが、それは太夫を抱えているような儲かっている店であり、ほとんどの女郎は死ぬまでそこから出られない。
そして物置に閉じ込められるのは、大概は梅毒にやられた女郎たちであった。その中に混ざって呪われた女郎が寝かされているという。
梅毒は基本的に、床を共にしなければなんてことはないが、呪いのほうは呪いが蔓延している以外の言い方を知らないため、なにもわからないのだ。
結局は史郎は椿に頼んで様子を見てきてもらうことにした。
しばらく見世で番頭と話をしながら時間を潰す。
番頭は呪いのことを尋ねたら、途端に顔をしかめてしまった。
「うちは呪われるほどひどいことはしちゃいませんよ……たしかに女を苦界に放り込むようなことはしちゃいます。ただ、うちは年季さえ明けたらちゃんと解放していますし、食事だってちゃんと与えている。うちから身請けされていった女もいるのに、ただ女郎を牛や馬のように扱っている質の悪い見世と一緒くたにされたら困ります」
「……なるほど。まあ、たしかに旦那がいる女がいるくらいだから、本当だったら悪い見世ではないか」
「そうでしょう、そうでしょう。ですから……遣り手婆じゃありませんけど、あまり呪いの話を広められたら」
「いや、呪いなのかどうか、今の時点じゃわからねえから、呪われてるなんて判断もできねえんだが」
史郎がそう言っていたら、ようやっと椿が千と一緒に戻ってきた。椿は出島を遠巻きに診ていたから大丈夫かと思っていたが、意外や意外、目尻に涙を溜めて出てきた。
「おい椿、呪いは……」
「……呪いの方を見てきましたが……皆さんひどい有様でした」
ふたりは元の服に着替え、千に「もうちょっと調べてから、また来る」とだけ言って、吉原を出る。
大門を潜り抜けながらも、椿は目尻の涙を転がしながら訴える。
「梅が散った人だけではございませんでした。呪われているという方たちのそれは……腕や鼻こそもげてはいませんが、顔や腕が、ひどく……赤黒くなって腫れ上がっていました。あまりに気の毒でしたので、私の習いました軟膏を渡して返ってきましたが……呪いでしたら効くかどうかは……」
「ふうむ……肌が腫れ上がる……なあ」
「先生、これどうしましょう。放っておいたら吉原の皆様が……なにより、お千さんだってもしものときは……」
「ふうむ……」
千はなんともなかったみたいだが、物置に担ぎ込まれた女郎たちは皆、肌がやられてしまっているというのは、史郎も気になった。
なによりも、旦那たちが吉原に登城しなくなった理由は、女郎たちと同じではないのか。普通は理由もわからないまま肌が爛れたら、呪いを疑う。
「これはあれだなあ……その指切りって奴を調べたほうがいいか」
「調べたら、呪いは防げますか?」
「わからん。そもそも爛れた理由がなんなのかがわからないから、女郎と旦那の共通項である、指切りのほうを調べたほうが早い」
ふたりはそう言いながら、長屋へと帰っていった。
吉原の空気に当たったのか、普段は元気に動き回っている椿も元気を失い、お惣菜屋で買った煮浸しも半分ほどしか食すことができなかった。
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