史郎と椿は、糸から依頼客の話を聞かされる。

 糸を「姐さん」と呼ぶ女性は、深々と頭を下げた。


「あたしは、吉原で針子をしてます、お千と申します」

「元々夜鷹として働いてたんだけど、吉原の呉服屋が上客になって、手先の器用さを見込まれて、そのまんま店を持たせてもらったのさ」


 夜鷹はそもそも勝手に路地裏で客を取る女郎だが、昨今は締め付けが厳しくなり、隠れがちだった。だからこそ、上客に引き上げられてそのまま嫁ぐことができた糸や、店を持たせてもらえた千は珍しい部類だ。

 吉原は基本的に、女は通行手形がない限りは出入り禁止となっているが、吉原の大門の中にも人は住んでいる。吉原は高級遊郭としての側面ばかりが目立つが、実のところそれ以外の人々がいなかったら吉原だって生活はできない。

 糸は元夜鷹で、今は針子の店をかまえて生計を立てている、比較的珍しい人間であった。 史郎はお茶をすすりながら、千に尋ねる。


「それで、自分にどういった要件で?」

「それが……吉原で呪いが蔓延しているって噂があるんです……あたしは見世に出る方々のために、繕いを回収して回る際、人が変に減っているのを見かけました。はてと思って見世の人に尋ねたら、最近呪いのせいで見世に上げられないのが増えたと嘆いていて……それの出所がわからないんですよ」

「呪い……これまたずいぶんと難しい話になったな」

「どうしてですか?」


 椿は首を傾げながら、糸のお茶を飲んだ。史郎はお茶をもうひと口含んでから、説明を付け加えた。


「吉原はどうしても男女の痴情のもつれが出回る。まあ、あそこは夫婦ごっこをするからな」


 基本的に、吉原の女郎と遊ぶ際、客と女郎は「夫婦」の関係になる。「夫婦」の関係というのは、ありてい言えば世間一般の婚姻と同じ。たとえよその見世で遊びたい女郎がいたとしても、「夫婦」の関係を結んだ相手以外の元に通うことは許されないのだ。

 もし見つかれば、たちまち私刑にかけられる。その私刑の内容は見世や女郎によってはまちまちだが、時には大変な辱めを受け、二度と吉原の大門を潜れなくなった者すらいる。

 史郎はお茶を飲む。


「あそこにも一応奉行所はいるはずなんだが……見世に客として上がるのも難しい上、調査っていうのもなかなかしづらい場所なんだよな。なによりも、吉原は嘘と誠が混ざり過ぎていて、調査するにも骨が折れる。これが本当に呪いか否かなんて、ちょっとやそっとじゃわからねえし、これだけじゃわからねえよ。なにかこう、呪いに特徴はないのかい? とっかかりがねえと、呪いかどうかの判別もつかねえ」


 史郎の言葉に、糸と椿は自然と視線を合わせてくつりと笑う。

 どうにもこの男、口が悪い割には、相談したことには大概答えるし、文句は言えども調べないといけないことはきちんと調べる。だからこそこの長屋の人々は史郎を頼るし、よそからも史郎に相談に来るのだが、肝心の史郎だけは自分の性分をよくわかってはいなかった。

 史郎に急かされ、千は「そうですね……」と細い指を折り曲げて唇を押し当てた。


「……これが呪いだと言われている理由は、なんとなくわかるんです」

「ほう、なんでい」

「呪われたと言われている方々のほとんどは、指切りをしてらっしゃるんです」

「……なるほどなあ」


 史郎は少しだけ頬を引きつらせた。

 椿はきょとんとして史郎に尋ねる。


「先生、指切りのなにがそこまで呪いと繋がるんですか?」

「吉原において、客と女郎は『夫婦ごっこ』をすると言っただろう。もしもその契りを破った場合は、指を切るっていう脅しをするんだよ」

「……まあ、本当に指を切りますの?」

「そんなのだいぶ前に廃れたよ。そりゃ吉原で女郎がいちいち抗議のために指をちょん切ってたら、見世から指のある女郎がいなくならあな。だから替わりに指を送るようにしたんだよ」

「誰か殺して指を切るんですか!?」

「んな訳あるか。『夫婦の契り』を結ぶ際に、作り物の指を渡すんだよ」


 ふたりのやり取りを眺めながら、糸は煙管を吹かせつつ尋ねた。


「なら、ちょいと見てやってくれないかい? お千も困ってるみたいでねえ」

「はい……これだけ多いと、こちらも繕いの仕事が減りますし、下手に吉原の外に漏れて客が減っても困りますんで」


 実際のところ、なにをされても行きたがる阿呆な男が多いので、呪いが蔓延しようが梅が落ちようが客が減ることなんてありゃしないのだが。吉原で働いている人間からしてみれば不安で仕方がないのは仕方ない。

 史郎は椿の肩を叩いた。


「今日は留守番だ」

「なあ、なんでですかぁ!?」

「あんなとこに小娘連れて歩けるか!?」

「ですけど、私これでもいざなぎ流陰陽術の師範代ですしっ。私の格好を見て皆々様の心が慰められるやもしれませんしっ」


 椿は冬でも相変わらず、白衣に緋袴という巫女のような出で立ちだった。たしかに知識がなければ、巫女のようにも見えて安心するかもしれない。

 史郎は千に向かって、椿を摘まみながら尋ねた。


「こいつも連れて行って大丈夫かい?」

「手形さえ無くさなかったら大丈夫かと」

「まあ、そりゃそうだな」


 吉原に出かける女は手形は必須。もし手形を落としてしまったら外に出られなくなるし、最悪吉原内の奉行所に連れて行かれてしまう。

 史郎は椿を連れて行く際、何度も何度も「絶対に落とすなよ。洒落でなく落とすなよ」と口酸っぱく言ってから手形を用意した次第だった。


****


 夜は明かりに朱色の柵で艶めかしく思える吉原も、昼に歩けば大きな道に大きな店の並ぶ物珍しい観光地になる。

 大門を潜り抜けた先の並びを見て、椿は「うわあ!」と声を上げた。

 端のほうには蕎麦屋の屋台。意外なことに屋台通りが存在し、そこで立ち食い蕎麦やら寿司やらを食べているものたちを見ることができた。


「江戸の最大の花街と聞いていましたので、てっきりもっと見世だらけなのかと思ってましたけど」

「たしかにあたしらも含めて、見世と商売しているもんも大勢いますよ。あの屋台通りだって、客が見世に上がる際に女郎に持っていってやるもんがほとんどです。たまに有名な女郎が屋台で食事を摂ることで、その店が持てはやされたりもしますね。でも、女郎がいいって思ったもんは大概は外から来た客もいいって思うもんなんですよ。ほら」


 千が指差した先には、化粧品屋の店があった。そこで真っ白な白粉を買って帰る女郎と一緒に、いい身なりの女もにこにこ笑いながら買っているのが見える。大店の夫人であろう。

 女郎の手土産になる小間物は、基本的に女受けがいいために吉原に来た人々の土産としても買い求められ、女郎におごろうとする菓子は、子供にも喜ばれるために家族に買って帰る人もいる。

 夜はどれだけ痴情のもつれで悩まされる場所であったとしても、昼はまるで繁華街のような賑わいであった。


「でもこれだけでしたら、人がたくさんいて賑やかで、とてもじゃないですけど呪いが蔓延しているなんて思えませんわね?」


 椿はちらちらと小間物屋を見ながら、史郎を見やる。しかし史郎はずっと千が案内してくれる吉原の店をよそに、人々の様子を眺めていた。


「……この時間帯って、女郎は出歩かないのかい?」

「食べさせなどでは、旦那と一緒に出かける場合がございますけど」


 基本的に、女郎は吉原が明かりを点けはじめる頃から活動をはじめ、夜中まで仕事をしている。朝になったら旦那を見送ってから、二度寝する。

 細々とした作業……それこそ髪結いに出かけたり着物を仕立てたりは、見世が開くまでに済ませないといけないが。

 たしかにこの通りは、大門の外から遊びに来たような大店の旦那やら夫人やらは見かけるが、吉原の女郎らしき人々……それこそ千のように艶めかしく若い女性が見当たらないのである。

 それに千は溜息をついた。


「皆、呪いの噂で脅えているんでしょうね。ちょうど今日は繕いの仕事を届けに行きますけれど、一緒に話を聞きますか?」

「ああ。そうでもしねえとわからねえからなあ」


 この人通りの多い場所で、呪いがはびこっている。

 そうは言っても、これだけだと見えないしわからないから、なにがそこまではびこっているのかは史郎ですら読めないものだった。

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