第20話:カイユテ男爵家




 学園からエマール伯爵家の馬車で送られてカイユテ男爵家の屋敷へと帰って来たシルヴィは、誰にも手を貸して貰えず一人で馬車を降りる。

 馭者は勿論だが、カイユテ男爵家の使用人は手を貸すどころか、迎えにも出ない。


 元は平民だったくせに、男爵家の養子になった事を感謝するどころか、本来自分は伯爵令嬢なのだと高飛車に振る舞う勘違い女。

 それがカイユテ男爵家の使用人が、シルヴィに対して付けた評価である。



「サロメは勝手に妊娠してお前を産んだせいで、貴族に嫁げなかった役立たずだが、お前はむしろ早く妊娠しろ! 絶対にエマール伯爵家と繋がるんだ」

 養子縁組の手続きが終わり屋敷に向かう馬車の中で、シルヴィに向かってカイユテ男爵はそう発破を掛けた。


 カイユテ男爵はサロメの兄である。シルヴィから見れば伯父にあたる。

 まさか伯父からそのような言葉を掛けられるとは思っていなかったシルヴィは、伯爵令嬢気分が抜けていないせいもあり、「失礼な事を言わないでちょうだい」と伯父に反論した。


 引越し初日なのに、その日の夕食にシルヴィは呼ばれなかった。



 シルヴィがいつものように自室へ行こうとすると、近くを歩いていたメイドに呼び止められた。

「シルヴィさん。貴女の部屋はそこではありません」

 カイユテ男爵家の使用人は、シルヴィを絶対に様付けで呼ばない。

 そういえばフローラ付きの執事もそうだった、とシルヴィは奥歯を噛み締める。


 返事をしないシルヴィがしゃくさわったのか、メイドはそれ以上の説明をせずに立ち去ってしまった。

「何よあれ。意味わかんない」

 そう悪態を吐いてから、シルヴィは自室の扉を開けようとした。


 ガチッ。

 硬い金属音がした。

 いつもは簡単に回る扉の握りドアノブが、ほぼ動かない。鍵が掛けられているのだ。


「え? 本当に何なの?! 意味わかんない!!」

 叫びながら扉を押したり引いたりし、更に何度も握り部分を回そうと、ガチャガチャと音をたてる。

「何しているのですか? 壊れてしまうでしょう!」

 先程とは違うメイドが、シルヴィを突き飛ばして扉から離れさせた。




 メイドに連れられて来た部屋は、同じ二階にはあるが、北側で日が当たらずに薄暗い。

 既にシルヴィの荷物は運び込まれていた。

 そうは言っても、伯爵家で買った豪華なドレスや宝飾品などは取り上げられたので、夜着と簡素な部屋着しか無いが。


「4歳まではこの部屋で暮らしていたそうだから、懐かしいのでは?」

 メイドは見下す視線を隠しもせず、口の端を持ち上げながら、躊躇ちゅうちょするシルヴィの背中を押して部屋の中へと押し込んだ。



 サロメとシルヴィが昔、暮らしていた部屋。

 それはダヴィドとサロメが結婚する前の事だろうが、シルヴィの記憶には無かった。

 その後の生活が豪華で幸せだったので、忘れてしまっていた。


 養子縁組をした日。カイユテ男爵は、サロメを「役立たず」と呼んだ。

 そのサロメが使っていた部屋に移されたシルヴィ。

 今までも決して良いとは言えない待遇だったが、最低限の生活は保障されていた。

 エマール伯爵令息モルガンの婚約者として価値があったからだ。


 エマール伯爵家との繋がりを考慮しても、シルヴィは価値無しの役立たずだと、カイユテ男爵に認定されてしまったようである。

 おそらく、今日、シルヴィが学園で起こした騒動の連絡が入ったのだろう。




 薄暗い部屋の中。

 ベッドに座って俯くシルヴィは、運ばれて来た食事にも手を付けず、ただブツブツと呟いている。


「今の私より、別邸に追い出されたフローラの方が惨めよね? 私はここの使用人だけに冷たくされてるけど、フローラはファビウス伯爵家とエマール伯爵家の、両方の使用人から馬鹿にされてたもの。私の方がマシよね」


 シルヴィはフローラの、別邸での生活を知らない。

 自分達家族よりも、ずっと高位貴族らしい生活をしていた事を。


「お父様やお母様、それに私が居なくなって、きっとフローラはすぐに泣きついてくるわ。だってフローラだけじゃ何も出来ないもの」


 シルヴィが俯いていた顔を上げる。

 妙に目がギラギラしており、美人なはすなのに、あと退ずさりしたくなるほどの嫌な印象を与える容貌ようぼうに見える。


「今まで通りフローラは別邸に住んで、私とモルガンが結婚して本邸に住めば良いのよ。爵位なんて要らないわ」

 態々わざわざ苦労する事は無い。自分達はフローラに養って貰えば良い。

 シルヴィは本気でそう思っていた。



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