あたしは絶対に聖女を辞める、だって結婚したいから

uribou

第1話

『契約とは紙の形をした強固な枷である』


 ――――――――――シャナ・ライド……ってあたしの迷言だ。

 あたしは今まさに契約に縛られている。


 契約を打倒するのは難しい。

 その契約が身分差を盾に取って結ばれたのであれば尚更だ。


 しかし今日はチャンスが到来している。

 何故なら雇い主が出張でいないから。

 条件さえ揃えば雇い主がいなくても破棄できる契約だ。

 現状に不満の彼女さえ行動を起こしてくれたなら……。


          ◇


「シャナさん。ちょっといいかしら?」


 来た。

 第三席聖女イヴォンヌ・ロックハート公爵令嬢だ。

 内心の歓喜を押しとどめ、何げない風を装って返事をする。


「イヴォンヌ様、おはようございます」

「あなた聖女連のナンバーツーでしょう?」


 聖女連。

 それは筆頭聖女である第三王女マリア様が作った組織だ。

 神から癒しや浄化などの力を授かった聖女達をまとめている。


 王家と国教会の何の益もない対立に嫌気がさしたマリア様は一年前、聖女達を国教会から独立させ、さらに王家とも縁を切るという大胆な策に出た。

 マリア様率いる聖女連は、国教会時代よりも遥かにリーズナブルに聖女の力を国民に提供し、大変な人気を得ている。

 のだが……。


「はあ」

「おかしいのではなくて?」

「と、言われましても……」


 あたしはマリア様によって次席聖女とされた。

 第三席であるイヴォンヌ様には不満があろう。


「シャナさんは聖女としての力は並みでしょう?」

「並みですね」


 あたしができるのは回復と毒消し、軽い祝福、軽い浄化くらい。

 魔力量が多いわけでもマリア様の威圧のような特別な力があるわけでもない。

 本当に聖女としては普通オブ普通。


「しかも平民でしょう?」

「平民ですね。ただの商家の娘です」

「シャナさんが次席聖女であることに、わたくし納得いきませんの!」


 イヴォンヌ様は最近聖女になったばかりだが、聖女としての実力は相当ある。

 しかも公爵家の令嬢。

 当然あたしの存在に我慢ならないだろうと思っていた。

 チャンスだ。

 ここは慎重に行くべし。


「あたしもおかしいと思っているのです」

「でしょう?」

「しかしあたしが次席聖女であるのはマリア様の采配で、あたしが望んだわけではないのです」

「そうなの? あなたがマリア様に取り入ったのではなくて?」

「違います」


 よし、上手にイヴォンヌ様を誘導せねば。


「あたしはマリア様と同い年で、またマリア様同様幼い時から聖女の力が発現していたのです。古くからの付き合いなのですよ。マリア様からすると、苦楽をともにした同志という感覚なのだろうと思います」

「マリア様は情が深いですからね」

「イヴォンヌ様の仰ることもよくわかります。あたしは聖女の力も伸びなかったですし、次席にいるのは正直心苦しいです」

「だったら……」

「だからこそあたしは、マリア様の決定したことに口を挟まないのです」

「マリア様の権威に傷がつかないように、という意味ですか? あなた結構マリア様にきついことを言っているではないですか」

「決定前に言うのは次席聖女としての職責ですよ」

「……シャナさんは偉いのね」


 あたしだって本当は契約に縛られているし、マリア様の威圧が怖いのだ。

 でもマリア様を野放しにしておいては、聖女連が破産してしまうから。


「あたしはいい歳でもありますし、聖女をやめて結婚したいとも思うのですよ」

「お相手がいるの?」

「はい、商人の許嫁が」

「羨ましいわ」


 聖女は結婚しちゃいけないなんてことはない。

 しかしマリア様は契約の条項に、あたしは結婚しちゃダメという条項を盛り込んでいるのだ。

 あたしを手放したくないのはわかるが、マジでウザい。


「ただ雇用契約がありますし、マリア様の顔を潰すことにもなりかねません。軽々に動けないのです。イヴォンヌ様が間に入ってくださってあたしが辞める、ということなら、あたしは従います」

「よろしいの? 次席聖女ですのよ? 惜しいのではなくて?」

「いえ、私には過ぎた役職でした。しかし違約金が高いので、辞めるのも現実的ではありませんで」

「わたくしが違約金を払えばシャナさんは辞められますけれど」

「ちょうど契約書の写しを持っています」

「用意がいいのね」


 イヴォンヌ様が引っかかるのを待ち構えていたから、とは言えず。

 魔術紙を使用した契約書は滅多なことで失われたりはしない。

 契約満了や解約条件を満たした場合、契約者双方の持つ魔術契約書は消滅する。


「……シャナさんの違約金は随分高いのね?」

「マリア様に買い被られてるだけですよ」


 自力で払えない金額ではないのだが、払うと後の計画に影響が出てしまうのだ。

 あたしが払ったのではマリア様にも聖女連にもいいことがない。

 イヴォンヌ様に払っていただくのがベスト。


「明日、違約金を持ってくるわ」

「ではあたしも契約書の片割れを持ってまいりますので、聖女を辞めさせていただきます」


 やった!

 これで自由になれる!


          ◇


「トーマス!」

「シャナじゃないか。ということはつまり?」

「聖女連を辞めることに成功したの!」

「やったな!」


 トーマスに抱きしめられる。

 ああ、嬉しい!


「……そうだ、モタモタしていられないんだったな」

「ええ、まずは籍を入れてしまわないと」


 トーマスはユーイング商会の跡取り息子だ。

 結婚さえしてしまえばマリア様も無法なことはできまい。

 契約もないのに圧力をかけたら、今度は聖女連の評判が悪くなるから。


「ようやくシャナが嫁に来てくれるのか。嬉しいな」

「あたしもよ、トーマス」

「予定通りでいいんだな?」

「ええ」

「シャナがいなければ手がけることのできなかった大きな案件だ。腕が鳴る」


 どうしても聖女連の一員で内部をよく知るあたしが必要だったから。


「マリア様はもう数日で帰ってくるはずだわ」

「用意を万全にしとかないとな」


          ◇


 ――――――――――筆頭聖女マリア視点。


「どういうことだっ!」


 寄付金集めの出張もほぼ徒労に終わり、疲労感を引きずって聖女連本部に帰ってきたところ、次席聖女のシャナが契約を解消して教会を辞めたという。

 私が持っていた魔術契約書も消滅していた。

 一体何故?


「第三席イヴォンヌ、説明せよ」

「は、はい。次席のシャナさんは聖女連を辞めたがっていまして」

「本当なんだな?」

「もちろんです」


 シャナとは経営方針を巡って言い合いになることはあった。

 しかし私の前では辞めたいなどと言ったことはなかったのに。

 イヴォンヌがウソを吐いている?

 いや、ウソを吐くような性格じゃないし……。

 とすると……。


「……シャナは自分から辞めると言い出したのか?」

「いえ、あの、わたくしが第三席なのにシャナさんが次席なのは納得いかず、つい文句を言ってしまいまして」

「……で?」

「シャナさんも自分で次席はおかしいと。マリア様の情に縋るのも心苦しいというようなことを言っておりました」


 私はシャナのことをよく知っている。

 あのシャナがすまながったりするものか。

 つまりシャナは辞める機会を窺っていた。

 私が出張でいなくなる機会にイヴォンヌを暴発させ、さも自然に見えるように聖女連から去った。


「……違約金はどこから出た?」

「わたくしが払いましたわ」

「だろうな」


 シャナの契約解除にかかる金額はかなりのものだ。

 金にうるさいシャナが素直に支払うわけがない。

 だから富裕な公爵令嬢たるイヴォンヌを巻き込んで払わせたのだ。

 まったくしっかりしている。

 だからこそ私はシャナを必要としていたのだが……。


「あのう、マリア様?」

「む、何だ?」

「シャナさんがマリア様の昔からの盟友で、大変信頼なさっているだろうことはわかります。しかし聖女としての力は並みでしょう?」

「そうだな」

「今後はわたくしがマリア様の片腕として存分に働きますので、頼ってくださいませ」


 頼ってと言うが。


「……イヴォンヌはまだ貴族学院に在学中だな?」

「はい」

「会計学か経営学、どちらかの講義を受講しているか?」

「えっ? いえ、会計学も経営学も選択しておりません」

「算術の成績は?」

「苦手です」

「さもあろう。私の必要とするのは、金勘定できる才の持ち主なのだ。だからこそシャナを次席聖女として遇していた」


 私は聖女が王家と国教会の綱引きに使われるのは嫌だった。

 聖女は純粋に民のためにあるべきだとの理想に燃えた。

 そして聖女連を独立させた。


 私は甘かった。

 結局聖女連を独立たらしめたのは私の理想ではなく、シャナの経営能力だったのだ。

 出資金と寄付金を巧みに使って、会計的には火の車の聖女連を何とか回していた。


 シャナには金のことを考えてくれといつも言われていた。

 しかし聖女連は潰れずにやれていたではないか。

 もう少し理想を追いたかった。


「どういうことでしょうか?」

「世の組織というものは、金勘定から逃れられぬということだな」


 聖女の才能を得た者は、その特異な才能でチヤホヤされてしまう。

 頭の中身など知れたものだ。

 商家に生まれ、また身近に聖女として大きな才能を持った私がいたからこそ自分に夢を見なかった、シャナのような存在が貴重なのだ。


「会計管理できる者を雇えばよろしいのでは?」

「人件費はどうする? シャナは聖女の仕事ができて、さらに会計管理を請け負っていたんだぞ?」

「あ……」


 誰を雇ったところで、シャナ以上に聖女連の内部事情と私の理想を知っている者などいない。

 もっと問題なのは……。


「シャナがいたからこそ、聖女連に金を貸してくれていた商人がいるということだ。シャナが去ったことで金を引き上げられると、いっぺんに資金がショートする」

「ということは?」

「聖女連が潰れてしまう」

「ええっ?」


 聖女連が破産したところで、聖女達が生活に困ることはあり得ない。

 有力貴族や富豪、国教会等に雇われるだけだ。

 しかし聖女が散って囲われてしまうことは、全く民のためにならないのだ。

 それは聖女が国教会の名の元に集められていた頃よりも具合が悪い。

 私の理想が霧散してしまう。


「た、大変ではないですか」

「まあね。私も寄付金集めに奔走していたが、不景気の折りだしな。成果は微々たるものだ」

「も、申し訳ありませんでした。わたくし、シャナさんを軽視しておりましたわ」

「いや、シャナが聖女達に軽く見られていたこととは知っていた」


 私に意見する者として白い目で見られていたことも。

 放置していた私の罪だ。


「ど、どうにもならないのですか?」

「というわけでもない。私が出張から帰ってきたことは知られているだろうから」

「は?」


 わからなくてもいい。

 どうせすぐ来る。

 私の信頼するシャナが聖女連を見捨てるわけがない。

 人一倍責任感が強いからだ。


「ユーイング商会の使者として、元次席聖女のシャナ様がいらっしゃいました」

「来たか。会おう。応接間に通せ。イヴォンヌも出席してくれ」


 契約の縛りが切れたのでは、シャナには威圧は通じまい。

 私の負けだ。


          ◇


 ――――――――――シャナ視点。


「聖女連の借金を全て、ユーイング商会が肩代わりしてくれるということだな?」

「はい、代わりにユーイング商会の方針に従っていただきます」


 正確に言えば、あたしの自己資金とユーイング商会の出資金によって、聖女連を経営するということ。

 要するに聖女連の買収だ。

 経営方針さえ自由にできれば、聖女事業は独占なのだ。

 絶対に儲かる。


 注意すべきは、マリア様は威圧の使い手ということだ。

 契約がなくなったから、あたしがマリア様に下手に出る必要はない。

 大丈夫とは思うが、押されてはならない。


 あたしの方から意表を突いてくれる。


「具体的に何をすればいいのだ?」

「マリア様には結婚していただきます」

「「えっ?」」


 よーし、攻めかかれ!


「結婚式での聖女による祝福を拡充していきたいのです。筆頭聖女たるマリア様が幸せな結婚をしているかしていないかで、聖女連のイメージが違ってしまうんですよ。御協力くださいませ」

「……要するに王家に頼まれたのだな? 放蕩娘の私を説得して、結婚させろと」

「それも否定しません」

「しかしマリア様。わたくしもマリア様に幸せになってもらいたいですわ」

「……私に聖女連を退けという意味なのか?」

「冗談じゃありませんよ。カリスマ性のあるマリア様に抜けられたら、聖女連は空中分解です」


 喜ばしげなマリア様。

 あたしだってマリア様の聖女連に懸ける気持ちはわかっていますって。


「うむ、では私は聖女連にいていいんだな?」

「もちろんです。マリア様の目指す、聖女を一元化して王家からも国教会からも独立した組織の確立。民間に聖女サービスを提供することを積極化します」

「うむ、私の基本理念さえ守ってくれるなら従おうじゃないか」


 やった!

 言質取った!


「ところで王家から金は入ってるんだろう?」

「お見通しでしたか。マリア様の婚約ないし結婚が決まり次第の成功報酬ですけれどもね。報酬はユーイング商会と聖女連で山分けいたします」

「うむ」

「現在の聖女連の問題点の一つに、マリア様に責任と仕事が集中する現況があります」

「聖女としての働き以外を期待できるのが、私とシャナしかいなかったからなのだが」

「仰るとおりです。しかし聖女に事務仕事を担当させるなんてムリです。ユーイング商会から人を派遣いたします」

「人件費はどうする?」


 さあ、ここだ。


「業容を拡大して収入を多くすることで賄います。現在の癒しの施しと寄付金に頼った経営ではムリです」

「……先ほどの結婚式での聖女による祝福というものか。確かに聖女が国教会に属していた時代には行われていたが」

「国教会から独立したって、提携はしたっていいと思いますよ。民は祝福を欲しているのです。式を国教会に頼んだから聖女が派遣されないのでは、民が迷惑します」

「うむ、そうだな」


 よし、国教会との関係修復も可能だ。


「いかに経営優先でも、癒しの施しの価格を上げるのは反対なのだが」

「わかります。癒しの施しは回復しかできない下級の聖女で事足りますから、現状人員は余っているでしょう?」

「うむ」

「では価格を上げる必要はありません。余っている聖女をどう活躍させるかを考えましょう」

「ふむ、具体的にはどんなことを考えている?」

「今まで不浄として避けられていたことですけれども、冒険者ギルド及び産婆組合との連携ですね」


 冒険者は当然ヒーラーを欲する。

 また浄化を必要とする場面もある。

 出産もまた命を落とすものが多い。

 今まで何故聖女の出番がなかったか、不思議で仕方がない。


「産婆との連携はともかく、冒険者は危なくないか?」

「個々の冒険者に雇われるのは危険かもしれませんね。ただ冒険者ギルドの依頼でしたら、そう無茶なことは言われないはずです」


 マリア様がギルドマスターを威圧して、聖女を危ない目に遭わせない契約に持って行ってくださることを期待する。


「あとは聖女が祈りを込めた幸運グッズの販売、土地の開拓や建物の竣工時等の各種祈念、聖女アイドルの売り出し等々ですかね」

「「聖女アイドル?」」

「基本的に聖女って全員可愛いじゃないですか。当たり前ですよね? 可愛いから神様に愛され、聖女の力を授かるのです」

「通説ではそうなっているな。で?」

「可愛い子は一般人にも人気があるということですよ。今はケガした時の癒しじゃないと聖女に会えないみたいな風潮ですけど、それをなくします。頻繁に握手会を行って、身近な聖女をアピールします」

「……要するに特にケガしていない者からも金を毟り取るということか」

「阿漕ですわ」


 阿漕じゃないわ。

 ウィンウィンだわ。


「よく考えてください。押し売りではありません。聖女と握手することに意義を見出す者だけが金を落とすのです」

「まあシャナの言う通りか」

「経営努力の範囲内です」


 プレゼンはそんなところですか。

 あとは追々……。

 ドアがノックされた。


「失礼します」

「あら、トーマス」

「お久しぶりですマリア様。初めまして、イヴォンヌ様」

「あたしの夫ですのよ」

「私のシャナを奪った憎い男め」


 あら、ぐっと来るセリフ。

 でもあたしの夫を威圧しないでくださいな。


「トーマスと結婚できて嬉しいんですのよ」

「他ならぬシャナのためだ。私が直々に祝福してやろう。聖霊達よ、トーマスとシャナに集い、喜びを与えよ!」


 わあ、聖霊達が可視化して光の粒子がたくさん見える。

 やはりマリア様の祝福は一味違うな。


「素敵……」

「マリア様、ありがとうございます」

「いや、シャナも聖女連の運営について随分考えてくれていることを知ったからな。私も安心したのだ」


 マリア様なくして聖女連はなかった。

 あたしは何とかマリア様の理想を形にしようとしただけだ。


「ねえ、シャナさん。わたくしも素敵な殿方とお付き合いしたいわ。どうにかならないかしら?」

「イヴォンヌ様はお美しいですから全然問題ないです。マリア様が婚約なり結婚なりすれば、自然と婚約者候補で溢れ返ります」

「どういうこと?」

「マリア様が王家に反発して聖女連を起こしたでしょう? 聖女連に与する令嬢は王家の覚えがよろしくないと見られますから、そりゃ婚約の申し出は躊躇しますよ」

「「えっ?」」


 あれ? マリア様も気付いてなかったのか?


「しかしマリア様が王家の意を酌んで婚約ないし結婚の運びとなりますと、聖女連は王家と和解したんだなと思われます。イヴォンヌ様に縁談が来る理由です」

「イヴォンヌすまなかった! 意固地な私のせいで、そなたの幸せを潰してしまっていたようだ。そこまで思い至らなかった私を許してくれ!」

「いえいえ、マリア様のせいでは……」


 イヴォンヌ様がアワアワしているのは可愛い。


「聖女が王家と国教会に翻弄される状況がよろしくないというマリア様の考えには、あたしも賛成なのです。ただ聖女連独立のために王家や国教会とケンカする必要はないと思います」

「うむ、よくわかった」


 トーマスと目を合わせてニッコリする。

 これで聖女事業は間違いなく成功する。


「二人で見つめ合って。妬けるな」

「何を言ってるんですか。マリア様が結婚に乗り気であること、明日早速王宮に報告に行きます。付き合っていただきますからね」


 苦笑するマリア様。

 あたしは既にトーマスとの幸せを掴んだ。

 共犯者意識は愛を味付けするスパイスの内だ、というのは内緒のこと。

 マリア様やイヴォンヌ様、他の聖女の皆にも幸せを分けてあげたいのだ。

 祝福に溢れた世界を皆の手に。

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