先輩とただ別れをするだけの話
堕なの。
先輩とただ煙草を吸うだけの話
「不味い」
初対面の頃に見たら、何も考えていなさそうな笑顔。出会って一年経った今見たら、諦めを感じさせるような笑顔だった。
先輩が煙草を持った左手を揺らせば、それに合わせて煙も漂った。 非常階段を登り切った場所から、先輩の行動を視界に収めていく。またイヤホンを爆音で流しているのか、此方には気付いていない様子で鼻歌を歌う。数ヶ月前に流行った、悲しげなイントロが耳にこびりつく。この歌はどうしても好きになれない。先輩の数少ない、嫌いな部分を連想させられるのだ。例えば、さっきも言った微かに感じる諦めの色だとか。
もう一度、肺に煙を吸い込んで視線を泳がせる。そしてその端に僕を見つけた。気まずさを表に出さず、いつも通りに、にへらと笑う。こっちおいでの手招きに素直に従えば、先輩の機嫌は良くなった。先輩曰く単純で、僕からしてみれば難解な心情だった。人の複雑さと言ってしまえばそれまでで、でもその言葉には収まりきらない何かがあった。
「また気難しそうな顔をして、お姉さんに言ってみなさいな」
たかだか一年、先に生まれただけで偉ぶる。いつものことだ。しかし、日を追う事に心地良さの条件にそれが入ってくるようになった。
「偉ぶらないでくださいよ」
僕のその言葉に、素直じゃないなあと先輩が返した。たかが一年なのに、こんなにも差が生まれてしまうのはどうしてなのか。悔しさのような諦めのような感情を抱いて、まるで先輩みたいじゃないかと思考を止めた。
「色んな感情がないまぜになってたんですけど、悔しさに塗りつぶされました」
偶には素直になってみれば、先輩は目を丸くした。この人でも鳩が豆鉄砲食らったような顔するんだと、こっちまで驚かされた。
「ふーん。忘れたんなら良かったんでない? じゃあ、タバコは要らない?」
僕が此処に来るのはいつだって、行き場のない感情を煙草の煙に乗せて何処かに追いやるためだった。でも煙草を持ち歩くほど落ちぶれてもいなくて、だから先輩に貰いに来るのだ。
「一本だけ貰います」
そうして手を出せば、先輩はどこから持ってきたか分からない煙草を差し出す。もしかしたら盗んでいるのかもしれない。だって先輩の煙草はいつも銘柄が違うから。
先輩に火を移してもらって、少しだけ肺に吸い込む。今日は短いやつだ。肺にキツく当たる。
「僕、長いのが好きって言いましたよね」
「子どもだなあ」
先輩のばかにするような笑顔は柔らかい。見慣れても慣れないこの感情の名前は、恋でもなく愛でもなく、日本人的な決め難い真ん中の感情なのだと思う。好きと無関心の間。それを人は普通というのかもしれないが、やはり普通とも違う気がした。
先輩が吸い終わったのか、火を手摺で消して袋の中にしまった。綺麗好きという訳ではない。先輩曰く、煙草の吸殻が見つかるとこの場所が立ち入り禁止になって、犯人探しが始まるらしい。まるで過去をなぞるかの様に言う先輩から目を背けた。今の先輩の意識は過去にいた。
「ご馳走様でした」
先輩の持つ袋に、自分の吸殻を入れた。そうすれば先輩は何本か入った袋を縛って、ポケットに放り込んだ。そうして階段を下って行く。僕は手摺から半身を出した。下を見れば足が竦む。
「あと十分、か」
先輩とここで煙草を吸う時のルールがいくつかあった。吸殻を地面に捨てないこと、誰にも見つからないこと、そして、同じタイミングでは降りないことだ。これが破られたら、この時間も終わらせる。そういう約束で僕たちは時たま気分によってここに来ていた。
口寂しさを紛らわすように、棒付きキャンディを取り出した。甘いだけで美味しくないそれを無心で舐め続けて、噛んで。先輩が消えてから十分後には、もう殆どなくなっていた。
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