地を蹴る強さで

「…………勝った?」


 静寂に包まれたビルの屋上。激戦の末に生き残ったのは、散々NANA拍子ただ一人であった。彼女は呟くように、その言葉を紡いだ。

 疑問形になったのは、あまりに唐突な決着への戸惑いゆえだろう。思惑通りに事が運べば、人は往々にして疑念を抱くものだ。


「ローレンツフィスト、こっちに」


 NANAの呼びかけに応じ、宙を舞っていた彼女の右腕――アームギア[ローレンツフィスト]が、静かに主の下へと戻ってきた。



[ローレンツフィスト/アームギア]

[STR+30]

[DEX+15]

[PER+10]

[ギアスキル1:ローレンツショット]

[ギアスキル2:エレクトロマグネティックコントロール]

[レアリティ:黄金級]



 ローレンツフィストはNANAの隠し玉、奥の手とでも言うべきギアである。

 とは言っても、NANAがストリーマーである以上、熱心なプレイヤーの間ではとっくの昔に話題になっている謂わば公然の秘密的なギアなのだが……。


 ともかく、ローレンツフィストは友達のギアメーカーに頼み込んで作ってもらった、オーダーメイドの特注品だ。性能的にも能力的にも、そしてレアリティ的にも、サービス開始から一ヶ月しか経っていないギアーズベルトにおいて現状最高クラスの装備だとNANAは自負していた。


 NANAの意志で自在に操れるロケットパンチにより、アキネは殴り飛ばされて屋上から退場していった。NANAのSTRで殴られたというだけでも低レベル相手には致命的な致命傷なのに、それに加えて屋上からの落下ダメージだ。どう考えても助からない。アキネの存在はNANAの感知能力外に消えているし、生死を確認するまでもなく死んでいるだろう。


 本来ならこのギアは、低レベルの初心者相手に使って良い代物じゃなかった。

 いや、スナイパーライフルで不意打ち狙撃PKはじゃあいいのかと言われたら、それはそれという感じなのだけども。あれはギアーズベルトがどういうゲームなのか、ニュービーに分からせてやるための洗礼みたいなものなのであって、正面から堂々と決闘した場合はまた話が変わって来るとNANAは思っている。


「試合に勝って勝負に負けた気分……」


 低レベルのプレイヤー相手に奥の手まで切らされるとは、正直思ってもみなかった。だがあそこで全力で叩きつぶしにいかなければ、もしかしたら負けていたのは自分だったかもしれない。アキネからのダメージはぶっちゃけ微々たるものだったが、それでもNANAは終始手玉に取られ続けていた。


 もし今の戦いが同レベル帯での戦いだったのなら、負けていたのは確実に自分の方だっただろう。そう確信出来るほど、アキネのプレイヤースキルはNANAの手に負えなかった。特に近接戦闘の技術は素晴らしかった。こっちが何十回もハチェットを振ってたのに、一回も掠りもしないとは。


「うん、アキネは本当に強かった。ある意味期待通りの強さだった。みんなもそう思うよね?」



:すごい身のこなしだったね

:銃弾躱すのってあんな簡単に出来るもんなの?

:ああいう化け物プレイヤーに出会えるから、

 フルダイブゲーはやめられねえんだ

:でもNANAの勝ちだよね

:NANA最強!NANA最強!

:あのアキネというの、

 あんだけ煽ってたのに負けてて草

:銃弾避けるのは割と簡単だよ

 俺も100回に1回くらいは躱せてる。

:まあでも内容的には負けだな

:ストーカーした甲斐はあったと思う

 面白かった。

:あんな化け物みたいなプレイヤーが

 軍とか大陸調査機構とかに入ったらやばない?

 勢力図が書き換わりそうだけど

:フレ申請しとけば良かったのに



「あっ、確かにフレ申請はしておきたかった。仲良くなれそうだったのに」



:いうほど?

:粘着ストーカーPKしといて仲良くはパスみある

:殴り合ったから友情くらい芽生えてるだろ

:サイコパスだぁ……



 アキネとフレンドになれなかったのは心残りではあるが、また出会う機会があればその時は迷わずフレンド申請しようとNANAは心に決める。


 アキネは本当にすごい。

 彼女の戦い方には華があった。

 自分にはないものを――NANAがどれだけ欲しようとも手に入れることの出来ない『格』のようなものをアキネは持っていた。


 そう直観したからこそ、NANAはアキネをストーキングしてここまで追い詰めたのだ。その感覚は決して間違いじゃなかったと、アキネに勝利した今でも自信を持って言える。彼女の傍に居れば、間違いなくとんでもなく面白い事が起きるだろう。そう思わずにはいられないほどのワクワクが今のNANAの胸中を占めていた。


 次に会う時、アキネは更にレベルを上げ、きっとNANAの手の届かないほどの高みへと昇っているかもしれない。そうならないように、NANAはこれからギアーズベルトを今まで以上に必死にプレイしていこうと密かに誓った。せめて今日のような無様を彼女の前で二度と晒さないように。


「よし、モチベも上がってきたことだし、今日はこのまま遠征でもしよう。生存圏拡大イベントも近いし、そっち方面の偵察とかしておきたい。ねえ、みんなは――」



「あのさぁ」



「――」



 虚を突かれた。

 人間、本当に驚いた時には声も出ないものなのだと、NANAはこの時身を持って知ることとなった。


 ビルの外に落ちて死んだはずのアキネの声が聞こえた。

 その声が、もしもアキネと友達になりたいと思ってやまないNANAの作り出したイマジナリーアキネの声だったのなら、そっちの方がまだ納得出来た。


 だがこの声は――NANAの感知に引っかかるこの気配は――それは紛れもなく、ヤツのものだ。



「さっきから誰と話してんの? 隙だらけだよ?」



 NANAの背中に重い一撃が突き刺さる。

 速すぎて反応出来なかった。それ以上に想定外過ぎて体が動かなかった。


 だってあり得ないのに。

 どうして生きているのか。


「ア、キネ……!?」


「ずっと言いたかったんだけど」


 まるで亡霊のように現れたアキネが、鬱憤を晴らすかのように重い蹴りを次々とNANAに見舞う。幻覚ではない。


「あんま馴れ馴れしくアキネって呼ばないでよ」


 間違いなく、アキネはそこにいた。


「どうして生きてるの……!?」


「さあね」


 突然始まったROUND2は、開幕からアキネお得意の近距離戦スタート。

 アキネは悠々と蹴りの応酬をNANAへと連打する。一方のNANAは混乱と、対アキネの接近戦の苦手意識が相まって、手も足も出ない。このままじゃマズイ。ワケも分からないまま何かをされる。その何かが何なのかは分からないが、ともかくマズイことだけは分かる。


「もう一度距離さえ離せば……!」


 インベントリを高速で展開し、中からありったけのフラッシュバンとスモークグレネードと手榴弾を引っ張り出す。さっき上手くいった戦法だ。ならば今度もきっと上手くいく。そういう思考の沼に嵌ったNANAを、一体誰が責められようか。


「あー……」


 アキネが呆れた顔で地面を転がる手榴弾をレッグギアで蹴とばすのを、NANAはしっかりと目視していた。蹴とばされた手榴弾は、NANAが退避していた方へと真っ直ぐに飛んでくる。


「わ!? わーー!?」


 このNANAの間抜けな自爆と叫び声は、後にリスナーによって切り抜かれて軽くバズることになるのだが、それはまた後日の話。今現在のNANAはそれどころじゃなかった。


 爆発。

 手榴弾の固定ダメージをもろに受け、HPが3割も減った。今日一番のダメージがこれだ。そしてその記録は、このあと直ぐに塗り替えられることになる。


「もう十分楽しませてもらったからさ、こっちもお礼に本気で遊んであげるよ」


 手榴弾の爆発の影響で視界が揺れるNANAの耳に、そんな声が聞こえてきた。気がした。

 実際はフラッシュバンが屋上のあちこちで作動していたため、アキネの声が聞こえるような状況ではなかったのが真実だ。それでももし、NANAがアキネの声を聞き取れていたのだとしたら、それはもしかしたら彼女の高いPERが仕事をした結果だったのかもしれない。


 NANAの感知能力は、閃光と煙に視界を奪われた状況でも、確かにアキネの動きを捉えていた。


 ぐっと身を屈め、アキネがレギュラーレッグのギアスキルを発動させる。強力な油圧システムから発生する超跳躍力。その跳躍力を持って、アキネの身体が一本の矢になって射出された。的はもちろん、敵である散々NANA拍子だ。アキネは器用に宙で回転し、ハイジャンプの勢いを保ちつつ蹴りの姿勢に入る。


 NANAは、爆発の影響でまだまともな防御姿勢すら取れない有様だ。回避なんてもっての外。だからまともに喰らってしまう。いや、喰らったとしても問題ないと、そう思っていたというのが正しいだろう。だって低レベルプレイヤーからの蹴りなんて、何百発と喰らわない限りは致命傷にはならないのだから当然普通はそう思う。


 だが――


「あ、がっ!??」


 NANAの予想通り、ダメージはそこまでではなかった。

 しかし、予期せぬ衝撃が蹴りを受けた腹部に伝播し、NANAの身体は一気に数メートルほど背後にノックバックさせられた。



 ◆◆◆◆



 私は経験上、対戦要素のある昨今のフルダイブゲームが、単なる数値上のパラメーターだけを参照してダメージを計算しているわけではないことを知っていた。


 例えば何か適当なフルダイブゲームを思い浮かべて欲しい。剣と魔法のファンタジーゲーでもなんでもいい。で、そのゲームに攻撃力100の戦士が居たとしよう。この攻撃力100の戦士が剣を振るえば、たとえどんなにやる気のない攻撃をしたとしても、必ず攻撃力100に見合ったダメージを叩きだせるのか否か。答えは当然否である。……ゲームにもよるけど。


 フルダイブゲームがフルダイブであることの利点は、大昔のテレビ画面でプレイしていたゲームなんかとは違って、微細な力加減の強弱をプレイヤーがコントロールして操れることにあると私は思っている。


 例え攻撃力100の戦士だとしても、死ぬほど手加減して相手を切ったなら、そのダメージ量は攻撃力1の戦士にすら劣ることもあるだろう。


 逆に言うと、だ。

 全身全霊を持って本気の本気で相手を切ることが出来たのなら、ステータスの壁を破って数値以上の一撃を出すことすら可能なのだ。


 フルダイブゲームのダメージ計算式……及び、ノックバック発生におけるメカニズムは、プレイヤーキャラクターのステータスだけではなく、その時の攻撃の状況、当たり方、角度、スピード、攻撃を受けた側の姿勢など、その他諸々を加味して決定付けられている。


 だからだ。

 だからハイジャンプによって加速を付けた私の蹴りは、大ダメージを与えることは出来なかったにせよ、散々NANA拍子を大きくノックバックさせることに成功したのだ。


「じゃあね、楽しかったよ」


 蹴りの反動で押し戻された私は、後方宙返りで一旦距離を取る。この距離こそが、加速のための助走路だ。


「――ハイジャンプ」


 再びナナに飛び掛かる。だが、今度の蹴りはさっきの比じゃない。桁が違う。


「からのハイジャンプ!」


 足裏がナナの腹に触れた瞬間、私は再度ハイジャンプを発動させた。ハイジャンプは、5メートル以上の跳躍を可能にするスキル。つまり、それだけの強さで地面を蹴っているのだ。


 もうお分かりかな?


「ぶっ飛べ」


 加速の果てに放たれた蹴りに、さらなるハイジャンプの衝撃が加わる。まさに必殺の一撃。岩をも砕く衝撃が、レッグギア越しに伝わってくる。完璧に決まった。確かなダメージと、圧倒的なノックバック。ナナの身体が、屋上から宙を舞う。


 ナナも流石にもう理解しているはずだ。

 私が彼女を屋上まで導いた理由を。


 全てはこうして、落下ダメージでナナを殺すための仕込みだった。

 どんなゲームだろうと、16階のビルの屋上からまともに落下すれば普通は死ぬ。例外はあるけども。例えばグライダーを使うとか。


 確実に仕留めるため、私はナナを追うようにして屋上から下を見据えた。だが、予想に反してグライダーは展開されず、代わりにロケットパンチが迫ってきた。


「ははっ、やるね」


 拳を避けながら私は笑った。

 どうやらナナは、せめて最後に裏を掻いて相打ちに持ち込もうと企んだらしい。失敗に終わったけど。アスファルトに叩きつけられた少女の身体が、美しいポリゴンの欠片へと散らばるのを見て、私はようやく一息つくのだった。

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