生き物と私

紫陽花

第1話 セミと私


 そのセミを見つけたのは、まだ初夏の風を残しつつ、そよ風と呼ぶにふさわしい風が吹いていた頃だったと思う。まだエアコンはギリギリ必要なく、棒アイスを齧りながら空を眺めていた。

 ふと目下にドス黒い何かが続いていることに気がつく。ベランダの側溝は入居してから掃除をしていないこともあり、真っ黒に変わり果てていた。排水口まで側溝を目で追っていると、中間地点にセミが死んでいた。その姿は、まるで誰かにずっと土下座をしているような態勢で、死んでまでも謝りたい相手がいることを何故か無念に思った。


 セミの一生は色んなところで語り継がれている。小学生の時に鍵っ子だったこともあり、母が頻繁に本を買って家に置いてあった。時間潰しに読んだ中で、イラストでわかる昆虫図鑑!のようなタイトルの図鑑があった。

 図鑑によるとセミは必ず仰向けで死ぬらしい。死後硬直が始まり、脚が固まり体を支えられずコロッと仰向けになる。


 きっかけもなく不意に波に飲み込まれたように昔の記憶を思い出すことがある。その波は冷たさも、温かさも何もない無機質な波であった。

 今回の波から思い出したことは、セミは仰向けになって死なないということ。ということは、私の目に映るセミは自然の摂理を無視した態勢で一生を終えてしまっている。そもそもどういった経緯でこの側溝に辿り着き、力尽きたのかもう知ることはできない。最期の日の前日は全く違う穏やかな木に止まっていたのかもしれない。そして、セミもこの心地よいそよ風に乗ってふと遠くに行きたいと考えたのかもしれない。そしてそれは突然起きて、見ず知らずの側溝に抗うこともできず落ちていったのかもしれない。実に無念。なのかはこのセミにしか分からない。無闇に詮索することよりも愚かなものはないとつくづく思う。

 

 どんなに考えても自分以外のものの考えを理解することは難しい。自分自身ですら分かっていない部分があるんだから。だから他人には直接聞いた方がいい。でもそんなに簡単に口に出せるわけでもなく、腹の探り合いで人間は関わり合っていく。


 セミのコミュニケーションは鳴き声らしい。自分の平均寿命を知る由もないが、彼らは自分の最期を知っているように毎秒懸命に生きている。そして、生きていることを鳴いて世界に知らせる。冷たい土の中にいた時の記憶はあるのか気になるところで、初めて明るい地上に出た時にその目は何を映していたのだろう。


 私の目前にいるセミに思いを馳せつつ、土下座で死んでいる理由に気が付いた。この側溝には苔や埃、土が積み重なり、雨に晒されて一つの塊になり、ずっとこびりついている。雨の日に脚がハマり、そのまま突き刺さった状態で最後を迎えてしまったのではないか。その瞬間の光景を考えるだけでも居た堪れなくなる。仰向けになる権利さえ奪ってしまったことに申し訳なさを感じ、私自身が土下座をしたくなった。


 

 セミと私の出会いは以上となる。セミに申し訳なさを感じつつも、そのセミに触れることができなかった。2本指でつまんだ時に動き出しそうだ。


 そうこうしているうちに半年が経って、その間に雨が降り、台風が来た。それでもセミは側溝にいた。確かに地に足をついてそこにいた。今も側溝だけはあの日のままだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

3日ごと 12:00 予定は変更される可能性があります

生き物と私 紫陽花 @hydrangea_26

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ