クイーンの独り言。
クイーンは、ペガサス族の長である。
と言っても、人間に飼い慣らされている一軍は、彼女の支配下にはない。あくまで、野生のペガサスのトップであった。
処女好きなユニコーンと違って、気高いペガサスはあまり人間に懐かない。今代のエルフの長はなかなかに美形なので及第点を与えてはいるが、彼に忠誠を誓っているわけではない。
エルフも、魔族と同じく人間たちとは違う世界で生活している。しかし、一部のモノ好きは人間たちの世界で暮らしている。そんなエルフたちの拠点は、天空城と言われるアクルエストリアだった。
人間たちは、魔導士の塔と白亜の城があるだけだと思っているが、その実、結界で閉ざされた森の奥にはエルフの村もあって、そこで食べ物を貰ったり、逆に地上から持ってきた果実などを与えたりしながら、ペガサスたちは共生していた。
それはそうとして。
先日、長いこと独身を貫いていたエルフの王が結婚した。 彼は女に興味がないのかと思っていたクイーンは意外に思ったのだが、エルフの王が連れ帰ってきたのは人間の娘だった。しかも、かなり若い。
そういう趣味だったのかと思ったクイーンに「事情があるんだ」とかなり必死な様子で話をしてきたエルフの王は、彼女の口からペガサス一族に不名誉な噂を流されることを懸念したのだろう。
人間の娘――ベアトリスがアクルエストリアにやってきた次の朝。開かれていた窓からクイーンはそこに入り込み、眠っている娘を覗き込んだ。
全く不快な臭いのしない人間は珍しい。その果実のような色の髪も魅力的だ。じぃっと覗いていると、彼女はクイーンの視線に気付いたのか目を開けた。
――美しい。
蜜を固めたような色の瞳。あまりに近かっただろうか。彼女は少し顔を引き攣らせた。ほんの少しの怯えを見せながらも、彼女はクイーンに
「おはようございます」
と礼儀正しく挨拶をした。
――気に入った。
よく見れば、彼女はまだ誰の加護も受けていないまっさらな状態だった。誰の手も付けられていない、清らかな乙女。人間なのに、どこかエルフや精霊にも似た波長の魂の娘を、クイーンは一目で気に入った。
――ならば、私が一番に加護を与えてあげよう。
最上位の天空の加護だ。滅多に人間に与えられることのないそれは、下位の精霊たちか彼女に近付くことを禁じるものでもあった。
くだらない連中の加護などは要らない。自分よりも上位の存在でなければ、この子の魂との結びつきは許さない。
クイーンは、ベアトリスと目が合ったその瞬間から、彼女に夢中になっていた。
だからこそ。
――夫だから、なんだと言うのか。
ベアトリスを腕に抱いて眠るエルフの王が気に入らない。朝、部屋を覗くとベアトリスは一晩中抱きかかえられていたせいであのエルフの匂いがついてしまっている。
彼女に言い寄る連中も気に入らない。夕方、学校から帰ってくると、彼女に纏わりつく人間たちの匂いがある。
どれもこれも気に入らないから、消毒して回る。ベアトリスは困った顔をしながらも、クイーンを拒絶しない。クイーンはますますベアトリスに執着するのだった。
なにやらベアトリスが、変な術を掛けられたと知ったクイーンは自分の力でそんな効果を消してやろうとしたのだが、本来ペガサスは聖なる生物ではない。悔しいが、彼女の力ではベアトリスを戻してやることはできなかった。
毎朝彼女をチェックしているクイーンは、彼女が結婚した後も清い身だということは知っていた。だから。
――ユニコーンなら。
清らかな乙女に対して、なにか自分には出来ないような対処が出来るのではないか。そう思うが早いか、彼女はユニコーンの長がいるところへ飛んだ。
しかし交渉は決裂した。既に結婚しているのなら、今日明日にでも清らかではなくなるかもしれないから嫌だ、と。ベアトリスが困っているというのに、連中はそんなことを言い出した。
その中でも血気盛んな若いユニコーンが――どうやら長の15番目の息子だったようなのだが――クイーンに喧嘩を売ってきた。虫の居所の悪かった彼女に容赦なくぼこぼこにされた彼は、首根っこを咥えられて強引にアクルエストリアに連れていかれた。そして、クイーンに命じられるがまま、ベアトリスの浄化をやらされていた。
思ったよりも使えなかったユニコーンだったが、それでも一瞬は彼女に掛けられた術の効果は薄まるようだった。
可愛いベアトリスがあのエルフと嬉しそうに抱き合っているところは少々気に入らなかったが、しかし、彼女が幸せならばそれでもいいか、という気分にもなっていた。
クイーンの知らないところで、ベアトリスは自分の力で自分を煩わせていたものたちを倒したらしい。
――さすがは私のベアトリスだ。
喜色満面だったクイーンは、その翌々日、ベッドの上で衝撃的な光景を目にした。
ベアトリスは、あのエルフと本当に結ばれてしまったようだ。
穢された、とは思っていない。しかし、彼女の玉のような肌にあんなに傷をつけるだなんて、許せない。クイーンは、目いっぱいの抗議を、エルフの頭を齧ることで表した。エルフからはごちゃごちゃ言われたが知ったこっちゃないのだ。慣れろだなんて、冗談ではない。
がじがじと彼の頭を齧っていたクイーンに、エルフの王は言う。
「おい、クイーン」
――なんだ、エルフの王よ。
彼の頭を離してやりながら答えてやれば、彼は不満そうな顔をした。
「ビーは私の妻だぞ」
――私のベアトリスだ。
「だから、私のだと言――っだぁ! 噛むな!」
頭全部を咥えてやろうか。
改めて大きく口を開けば、手を振り回すことで抵抗される。怪我をしたくはないので、それ以上の嫌がらせはやめることにする。
このエルフ、紳士というかなんというか、雌であるクイーンに力で抵抗しようとはしない。自分が本気になれば、クイーンなど簡単に退治できると知っているのに、しないのだ。
そういう男だからこそ、ベアトリスの夫として辛うじて許せるのだが。
しかし、彼の底意地の悪さや腹黒さ、捻くれたところを知っていると、本当にベアトリスの夫として相応しいのかどうかは疑問だ。疑問ではあっても、現状彼以上の男をクイーンは知らなかった。消去法としても、彼以外をベアトリスとしては考えられなかった。
「はぁ……風呂に入らなければ……」
どうせならビーと入りたい、だなんて呟いたエルフの肩を噛むと、「ぎッ」と変な悲鳴を上げた彼は恨めしげな眼で振り返った。
「ところでお前、私の名前、覚えてないだろう?」
――どうして覚えなくてはいけないのだ。
「……ビーの名前は覚えているのに?」
――大切なものは、ちゃんと憶えている。
「ああ、そうか。大切なもの、か。大切、だな。うん」
そう呟いたエルフの王の顔は、きっと愛らしいあのベアトリスを思っていたのだろう。
気に入らないこと甚だしいが、それは今まで見てきた彼のどの顔よりも美しかった。
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