コレウスは気付いているし気付かせたい。

 今日も旦那様の機嫌がとても良さそうだ。

 元より不愛想な方ではないが、かといってこうもわかりやすく上機嫌なことも多くはなかった。比較的常に凪の状態。感情の起伏の大きくない方だ……と、そう思っていたのだが。


「ほら、そこに並んで。そう……ああクイーン! ビーの髪を噛むのはやめてくれ。クララやめさせろ。せっかく整えた髪が、あ! それは私がビーに贈った髪飾り――こら、食べるな、ちょっと!」


 クイーン! と悲痛な声を上げる主人の後ろ頭を眺めながら、コレウスは無表情を貫く。

 主人の手には何枚もの艶のある紙がある。魔力をこめれば、術者の見えた風景をそのままに取り込み、画家に描かせた絵姿のように保存することが出来るという魔法具の一つだ。

 あれは安定した魔力を注ぎ込まないと絵が歪んでしまうので、一般的な魔力のコントロール能力程度では使いこなせない。あの魔法具を使って魔導絵師として生活しているものもいる程度には、誰もが使えるものというわけでもなかった。普通の画家に頼むのとは違い、かなり高額にはなれど絵が出来上がるのにかかる時間はごく一瞬だ。ずっとモデルとして座っているのが苦痛だ、という層には人気らしいと聞く。壁に掛けられる大きさのものを安定して生産できるような魔導絵師が生まれれば、売れっ子になるだろう。

 ――そろそろ、追加を発注しておかなければいけないかもしれない。

 妻の姿を何枚も生産していく主人から、次々と彼女の絵姿が浮かび上がっている紙を渡されながらコレウスは思う。

 この魔法具の問題点は、安定した品質の絵姿を生産できる魔導師が多くないという部分と、それから。

 術者の見えたものを、そのままに映し出す、という点。

 主人から丁寧に扱えと手渡されていくそこに映し出されている彼の妻は、とても美しく、そして愛らしい。

 一番初めに描かれた彼女よりも、最近のベアトリスの姿はかなり愛らしさが勝っている。ほんのりと彼女の周囲だけがキラキラと輝いているようにも見える。

 思わずきゅっと寄りそうになる眉をその位置で留める。


 主人の妻であるベアトリスは、確かに美しい人だ。顔立ちも整っているし、マルベリー色の髪の毛も艶があって目を引く。一部の人間からすれば禍々しく見えるかもしれない金色に輝く瞳も、エルフ族であるコレウスからしたら珍しい色ではない。

 しかし、美しいことに間違いはないが、ここまで愛らしいだろうか、と疑問に思わざるを得ない。

 だが、この姿が主人の見えているベアトリスなのだ。魔法具は嘘をつかない。彼の目に映っている彼女がそのまま映し出されている結果の、この愛らしい笑顔なのだ。


「マクス様、まだですか?」

「ああ、もう少し。では次は庭園の薔薇の前に」

「確かに、今とても綺麗に薔薇が咲いていますね」


 どうやら、次は庭園の薔薇の前に彼女を立たせる気らしい。よく飽きもせずに毎度付き合うものだ、とベアトリスの従順さにもあきれてしまう。クララやアミカは彼女付きのメイドだから付き従っていくのは当然としても、それにしても毎回毎回連れまわされる彼女たちも大変なものだ。


「ビーが元気に過ごしている様子を、ご両親にもお見せしなければいけないしな」

「父や母にも送っているのですか?」

「ん? ん、まあ今はまだだが、その内にな」


 などと主人は言っているが、果たして本気で妻の実家に送る気があるのかどうかは疑問だ。

 同じような構図で何枚も作っているところを見ると、一応本気で実家へ贈る気があるのだろうとは思うが、毎晩妻の絵姿を見比べながら「どれも愛らしくて選べない」などと本気で悩んでいるのを見ると、自分の主人はアホになってしまったのかと少し、いやかなり不安になる。今まで言い寄られている場面はあれど浮いた話などなかった人だから、よもや気に入った女性が出来た時にこんな風になるとは思わなかった。

 コレウスが主人について更に不安に思うのは、本人に妻を自分がどう思っているかという自覚がないという部分だ。年齢差や種族差が無意識にでも頭の片隅にあるのだろう。彼女を本気で愛してはいけないと思っていそうだ。そんな決まり事などどこにもないのに。

 第一ここには、エルフ族と人間が愛し合った末に産まれたハーフエルフが何人もいるではないか。身近にそういう存在を目にしておいて、彼らの両親も知っていて、どうしてそういう思考になるのやら。

 ――確かに旦那様はただのエルフ族ではなくて長ではあるが。

 でも、だからなんだというのだろう。と、彼の側近であるコレウスは思っている。口うるさい長老などもいないではないか。そもそも結婚についてあれやこれや言われるのなら、さっさと配偶者を作れともっと前から言われているはずだ。

 主人は、自分が今妻の立場にいる人間の娘をどう思っているかに気付いていないだけでなく、2年間彼女を預かって、今まで我慢してきた部分を開放して甘やかしてあげようと考えているだけだと考えているように見える。

 ――例えていうのなら、人間の祖父母が孫娘を可愛がるように。

 しかし、その距離感も声の甘さも、どう考えてもただの孫可愛がりをしている年寄り目線ではない。わかっていないのは本人と、それをされている妻だけだ。

 あまりに鈍い。というよりも、本人たちが意図的にそこから視線を外しているようにも見える。

 絶対に二年後彼女を実家になど戻せない。

 普段賭け事などやらないコレウスだが、今回ばかりはそれに全賭けしてもいいくらいの確信がある。

 ここで甘やかされることに慣れてしまったベアトリスが、今更自分をどう扱うかもわからない人間の男に嫁ぎたいなどと思えるだろうか。

 なによりも、他の男が彼女に手をつけるなんて事実に、あの主人が耐えられるだろうか。そんな場面を想像することすら避けている節があるというのに、仮に彼女がここを去ることになり、そして良い縁があり、挙句お世話になったから、などとその男との結婚式にでも呼ばれてみろ。良い顔をして出席はするだろうが、結婚式前後、そして子が生まれたなどと連絡を受けた日にはどんなことになるかなど、想像もしたくない。

 ――どうせもう手遅れなのだから。

 さっさと諦めて自分の心に素直になってしまえばいいのだ。夫婦なのだからあれやらこれやらやればいいのだ。既成事実を作ってしまえばいい。

 ――などと言ったら、私はビーをそんなよこしまな目で見てなどいない、と旦那様は言うのだろうけど。

 彼女の絵姿を見ている時の顔や、それを撫でる指先を見ているだけでも伝わる愛しそうな様子を、本人に見せつけてやりたいとつくづく思う。


「……自分にこれを使いこなせたら……」

「ん? コレウス、なにか言ったか?」

「いえ、気のせいではないですか?」


 思わず考えていたことが口をつく。

 ――いや、意外といい考えかもしれん。アレを見たら、さすがに認めざるを得ないだろう。

 こっそりこの魔法具を使う練習を始めようか。

 コレウスは、日に日に増えていく主人の部屋のベアトリスの絵姿を思い出しながら、また険しい顔になりそうなのを必死に堪えるのだった。

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