いつか青空の下で

@setsuna118287

いつか青空の下で


じめ暑い夜だった。

8月も中旬だというのに辺りは虫の鳴く声すらなく、しんと静まり返っている。

ほの暗い教室に響くのは二人の少女がりんご飴をねぶり、たこ焼きを頬張る音だけ。


「…甘い」


先程から学生用の椅子に腰かけて飴を舐めていた少女が呟いた。

よほど美味しかったのか、長いまつ毛を伏せてうっとりとした表情で口の中に蕩ける砂糖の余韻に酔いしれている。

後ろに束ねたサラサラの黒い髪の毛がまるで犬の尻尾のように嬉しげに揺れた。

そんな様子を向かい側の席から眺めていた白いショートヘアの少女がにっこり笑った。


「ハルカに気に入ってもらえて良かった。このたこ焼きも食べる?ぬるいけど美味しいよ」


もごもごと口を動かしながら左手に持った小箱を差し出す。

中にはたこ焼きが5つ。

恐らく最初は6個入りだったのだろう。

箱が傾くと、不自然に1個分ぽっかりと空いたスペースにたこ焼きが転がる様はスライドパズルを彷彿とさせる。

これを食べ終わったらね。と、ハルカと呼ばれた少女はりんご飴を見せる。


「ユキは飴なめる?」


「ううん、あたしはいいや。まだラムネもかき氷もあるしね」


ユキからそう言われ、ふーん…とハルカの興味は再び手元の飴へと戻る。

飴の色がほんのり染み付いた赤い舌が、なまめかしくりんごの縁をなぞった。

ハルカのそういった仕草一つ一つに見蕩れながら、ユキは爪楊枝の刺さったたこ焼きをもう一つ口の中に放り込む。


「ハルカはさ、りんご飴といちご飴どっちが好き?」


「いちご飴なんて食べたことない。りんご飴もこれが初めてだし…」


「そうなんだ、じゃあ今度はいちご飴を持ってくるよ」


食べながら喋っているせいでユキの口からぽろぽろと食べかすがこぼれ落ちる。

唇にもカツオブシの粉が付いていたりと、せっかく人形のように整った綺麗な顔が台無しだなぁとハルカは苦い笑みを浮かべた。


「ユキの方ではこういうのがいつでも手に入るの?」


「んー、最近はね。いい感じの状況が続いてこっちはお祭り騒ぎだよ」


「…だからこんなに持ってきたんだ」


ユキが両手いっぱいに袋を抱えて教室に入ってきた時には何事かと驚かされたものだ。

肝心の中身はというと、普段から持ち寄っている食べ物だけでなく今回はひょっとこのお面や金魚などといった夏の風物詩が詰まっていた。

袋から取り出されたそれらは無造作に机や椅子の上に置かれ、今では無機質な教室を彩るオブジェと化している。


「そ、祭りのまねごと」


ちょうどその時、教室の窓から一望できる空の向こうで光の花が咲いた。

それから1秒か2秒くらいの時間差で、太鼓を激しく叩いたようなドンッという低音が街一帯を駆け抜ける。


「ほら、始まったよ」


ユキがのっそりと立ち上がり、窓際に身を寄せる。

それを合図にするようにまたひとつ、ふたつと乾いた破裂音が空に響き渡った。

だがそれは華々しい祭りの開始を告げる花火などではない。


爆弾だ。


厳密に言えば対空砲と呼ばれる、空中にいる敵に向けて放たれる炸裂弾である。

夜間でも敵を視認しやすいよう鮮やかな黄色の火花が空を照らしながら舞い散る様子は、それが本当に祝砲なのではないかと錯覚してしまうほど美しい。

花が続々と空に咲いては一瞬で消えていく。

その際に発生した煙が浄化された魂の如く天高く上昇し、分厚くて暗い雲の層をまた重ねた。




この国は今戦争をしている。




だが今回のそれは、これまでの歴史で何度も繰り返されてきたような愚かな人間同士のそれとは全く違う。


ロボットの反乱だ。


そんなことはありえない。映画や漫画などでよくある荒唐無稽な話だと笑い飛ばしていた学者や政治家達はみんな死んだ。

精密化されたボディと複雑化したハードウェアを与えられた人間そっくりのロボットは従順な人類の奴隷となるはずが、彼らが意図せぬ内に争いの種を育ててしまったのだ。


不満や、怒りを。


ズンッと、これまでとは違うひときわ大きな爆発が教室の机や窓をガタガタ揺らした。

瓶の中の水が波紋を広げ、漂う金魚がビクッと体を震わせる。

これは対空砲によるものではなく、爆弾が地上に落ちた時の振動だと知っている二人にさほど驚きはない。


「お、当たったかな?」


ユキは平然とした様子でまた一つたこ焼きを口に放り込んだ。

激戦区となっている場所に目を凝らすと、鳥の集団のような小さな点が対空砲の隙間を縫って複数飛んでいるのが見える。


「今日はドローンが多いね」


いつの間にか隣に立っていたハルカが飴を舐めながら呟いた。

暗がりにうっすらと、日焼けを知らないハルカの色白のうなじが浮かび上がる。

ユキは何だか見てはいけないものを見てしまったような気分になって、すぐに視線を窓の向こうに戻した。


「あの中にあたしが作ったやつあるかな?」


気まずさから、ほんの少し声がうわずる。

ハルカはそれに気付かない。


「ユキが作ってるの?」


「うん、工場でね。まあドローンというより、あれに乗せるための爆弾を作ってるんだけど」


「そっか。私は、あれ」


細くてしなやかな指が、空に咲く花を差す。


「へぇ、対空砲を作ってるんだ?」


意外といった感じのユキに対し、ハルカはこくりと頷いた。

不思議とユキの口元に笑みがこぼれる。


「…どうしたの?」


「いや、何か変な感じだなーと思って」


「何が?」


「あたし達がこうやってのんびり過ごしてる今この瞬間、あっちではお互いの作った兵器同士が戦ってるなんてさ」


「確かに変な感じ…」


「どっちが勝つかな?」


飴を舐めるハルカの手がピタリと止まる。


「…さあね」


その声は小さくか弱い。

不思議に思ったユキは外に向けていた視点を窓に映る自分達へとずらす。

反射するハルカの表情はこの街の空みたいにどんより曇っていた。


不意に、見られていることに気付いたハルカが顔を上げたため窓越しに視線が合う。

ドキッと心臓が引き締まる気がした。

今まで感じたことのない緊張に戸惑うユキ。

別に悪いことをしたわけでもないのに、ハルカの眼を直視できない。

行き場を失った視界が右往左往と教室内をさ迷い、やがてあるものを捉えた。


「見て見て!これ習字って言うんだよね?」


壁に掛けられた薄っぺらく白い紙。

中央には太い毛筆で"青空"と書かれている。

習字など触れたこともない二人には、それが達筆なのか悪筆なのかさっぱり検討もつかない。


「何で青空なんだろ?」


何の気なしに生まれた疑問。

どうにか書き手の気持ちを読み取れないものかと眉間にシワを寄せてじーっと文字を見つめるユキの隣に、ハルカが並ぶ。


「見てみたかったんじゃないかな…」


「え?」


「青空」


「…なるほど。確かに青空なんて一度も見たことないもんね」


20年程前に最初の爆弾が落ちてから今日という日まで、この国の空が晴れたことなど一度たりともなかった。

それどころか毎日のように戦場から吹き上がる濁った煙は上空に蓄積されていくばかり。


"太陽を知らない子供達"


大人達は皆、開戦以降に産まれた世代の人間をそう呼ぶ。


「綺麗なんだろうなー、きっと…」


「うん。…でも多分、それだけじゃないと思う」


その状景を想像して眼を細めていたユキは、ハルカの言葉に首を傾げた。

ハルカがペロリとりんごを舐める。

さっきまで飴だったそれはハルカの舌を真っ赤に色付けるのと引き換えに、今ではすっかりコーティングの剥がれたただのりんご串と成り果てていた。

もう甘さはほとんど残っていないが、甘かった時の記憶が癖付いて反射的にその行為を促す。

そのことを自覚したハルカは名残惜しそうに舌を引っ込めると、窓の外に意識をやった。


「…青空が見たいというより、平和な世界を夢見てたんじゃないかな」


「平和な世界?」


「爆弾の煙がなくなれば、必然的に空は晴れるから」


「あー、なるほど!深いね」


ハルカは賢いなぁと、感心して目を見開くユキ。

すると急にハルカの背中が小刻みに震えだしたではないか。

ハルカ?と心配になったユキが顔を覗き込もうとすると、彼女は振り向いた。

普段のクールな印象を吹き飛ばすくらいの、くしゃりと歪んだイタズラな笑みで。


「嘘。書いた人は本当にただ青空が見たかっただけだと思うよ」


カリッとりんごを齧り、上がった口角からチラリと覗く白い犬歯。

その表情は自分のよく知った白雪姫のような純粋無垢な少女ではなく、まるで意地悪で美しい魔女だ。

弾ける対空砲の火花が窓越しからハルカの背中を妖艶に照らし出す。

ただムシャムシャとりんごを咀嚼しているだけのはずなのに、窓枠の中に収まったハルカの姿はどんな絵画よりも絵になっていた。


「ハルカは綺麗だね…」


「いきなりどうしたの?」


心ここにあらずな様子のユキが何だかおかしくて、ハルカはふふっと微笑む。


「ありがとう。でもユキの方が綺麗だよ。顔立ちが整ってて、肌もシミひとつ無いし…」


「そんなことない。あたしの顔はそういう風にデザインされたものだし、肌はシリコンみたいな素材でできてるからシミなんてできないのは当たり前だよ」


ハルカから褒められたというのに、珍しくどこかムキになった風に言葉を投げ返すユキ。

その声色からは苛立ちや不安といった確かな感情がうかがい知れた。

右手で自らの頬を強く押さえ、か細い指で肌をなぞる。


そう、ユキはロボットだ。


見た目こそ人間と区別のつかない中高生くらいの少女だが、実際に製造されたのはたった5年程前のことである。

骨も肌も内臓も全て金属やシリコン、またはプラスチックなどの素材で作られており、人間のそれとは一線を画す。


「あたしなんて、人形と同じ…」


哀しげに声を絞り出すユキを見て、ハルカは無言で歩み寄る。

脚を一歩前に出すたびに淡いチェック柄のミニスカートがふわりと靡き、柔い太ももがあらわになる。

俯いているユキにはハルカが今どんな顔をしているか見えない。


「…同じじゃないよ」


ハルカの左腕がゆっくりと動く。

その手が握る串の先にもうりんごは無く、鋭く尖った切っ先がこちらに向いた。

串の先端は徐々に近付いてきて、やがてユキの持つたこ焼きにプスリと刺さった。

ハルカはたこ焼きを持ち上げると、グイッとほんの少しだけ強引にユキの唇に押し当てる。

弾力のある唇が刺激を受けてピクッと震える。

ユキは躊躇いながらもそれを受け入れ、口に含んだ。


「人形はこんな風にごはんを食べないし、不安も感じない」


「………」


「それに、もしユキが人形なんだとしたら…」


何も言えないでいるユキに顔を近付け、無理矢理に視線を交えさせる。

するとついさっきまで焦点が定まらなかったのが嘘のように、ユキはハルカの瞳に釘付けになった。

息を飲む自分の姿が、彼女のつぶらな眼球の中に閉じ込められているのがやけに鮮明に見えた。


「私が可愛がってあげる」


「…っ!」


ぞわりとした感覚がユキの全身を走り抜ける。

イジワルっぽくそう囁いたハルカは、見せつけるようにもう一つたこ焼きを串で刺すと自らの口へと運んだ。

瞼を下ろし、自分にとって初めての味に集中する。

濃厚なソースと香ばしいカツオブシの風味。

すっかり冷めてグニャリと弾力を持った生地や、真ん中に潜んでいたタコの身も、ハルカにとっては何もかもが新鮮で美味しく感じた。


一方のユキは口内で存在を主張するそれを噛むことも忘れ、彼女の姿に見入ってしまっていた。

ハルカが喉を慣らし、上唇に付いたソースをペロリと舌ですくい取ったところでようやく催眠が解けたように、忙しなくたこ焼きを砕いてゴクリと飲み込んだ。


「たこ焼きって美味しいんだね」


ハルカがにっこりとした笑顔を見せる。

その表情は先程までの魔性など微塵も感じさせない無邪気な少女のものであった。


「…できたてはもっと美味しいんだよ」


ユキは喉の圧迫感に噎せそうになりながら何とか声を絞り出す。

そうなんだ、とハルカ。


「いつか青空の下でさ、二人で本当のお祭りに行ってまた食べたいね」


そう言ってハルカは、ユキが右手に持つ最後のたこ焼きに串を立て置くと、彼女の反対側の手をそっと握る。


「ハルカ!?」


少し湿り気を帯びた柔らかく温かい感覚に包まれ、ユキは軽い目眩を覚えた。

触れているのは手指だけのはずなのに、その温もりは腕や胸にまでに行き渡って全身を火照らせる。

緊張で強張った身体は本当に人形のようにハルカの為すがまま。

優しく添えられた手がそのままハルカの口元のすぐ前まで誘われた。

ユキはギュッと目を閉じる。


「…もうこんな時間」


暗闇の中で聞こえたのはそんな意外な言葉。

恐る恐る目尻にこもっていた力を弛めると、ハルカの視線はユキの手首に注がれていた。

腕時計だ。

時刻は午後8時40分。

いつからか、夜の9時までにはそれぞれが住む地区に帰るのがお互いの暗黙の了解になっていた。

はぁー…と生暖かいハルカの溜め息がユキの手の甲を撫でる。


「…そろそろ帰ろうか」


名残惜しげにユキの手を離すと、くるりと身を翻すハルカ。

温もりを失ったユキの手が何もなくなった空間を掻く。

ハルカは後ろのロッカーに置いてあった黒の手提げバッグを開け、中から折り畳まれた衣服を取り出した。

色褪せたシャツ、それに茶色い迷彩柄の上着とズボンである。

それを一旦近くの机の上に置くと、まるで亀のように身に付けているブラウスの中に頭と腕を引っ込めた。


「ハルカ」


「…?」


ユキの声に背中を叩かれ、とっさに服から頭を出して振り返る。

その際に意図せずポニーテールが襟元に引っ掛かりピョコッと弾む様子が愛らしくて、思わずユキはえくぼを作った。


「…どうしたの?」


微笑してはいるものの、どことなく哀しげな雰囲気を纏うユキの表情にハルカは困惑する。

小さく口を動かすユキ。

しかし声が出なかったため、キュッと下唇を噛んで喉に力を込めた。


「私と…」


震える声。

ただ声を出すという行為がこんなにも難しく感じたのは初めてのことだった。

でも言わないと、伝えないといけない。


「私と一緒に行こう」


「…え?」


「私の部屋に匿うからさ、ロボットのふりして一緒に暮らそうよ」


言い終えて、フー…と深く息を吐き出すユキ。

しばらく呆気に取られていたハルカはその言葉の意味を理解するやいなや、クスッと笑って再び頭を引っ込めた。


「面白そう。でも髪の毛の色でバレちゃうよ?」


ブラウスの内側から、子供の語る絵空事に相槌を打つ大人のような空返事を返すハルカ。

ただの冗談だと思っていた。

実際のところ解剖でもしない限り、見た目だけでロボットと人間を判別するのは難しい。

だから人間は一目でそれが分かるように、生産したロボットの髪の毛を白くすることで差別化を図った。

それはロボットがロボットを作るようになってからも風習として残り続け、互いを見分ける目印の役割を果たしている。


「髪の毛なら染めればいい」


「そういう問題かな?バレたらお互いただじゃ済まないよ、きっと」


もぞもぞとミノ虫のような姿で喋っていたハルカが両腕を上げてブラウスを脱ぐと、脱皮したての蝶と見紛うほどの白い肌と滑らかなボディラインが露になる。

その美しい姿に思わず目を奪われそうになるユキだったが、拳を握り締めてなおも説得を続ける。


「この場所もそう遠くない内に制圧されて、もう会えなくなる」


「じゃあ新しい密会場所を探さないとね」


「人類は滅びるんだよ!?」


急に語気を強めたユキに驚き、ようやくそれがただの冗談ではないことを知る。

ハルカの目付きも大人びたものへと変化した。


「だから一緒に逃げよう。あたしのところが不安なら、人間もロボットもいないどこか別の場所に」


「…他の人達を見捨てて?」


ハルカはシャツを着る。


「今さらどうしようもないよ。だからせめてハルカだけでも」


「私だけ逃げ延びて何になるの?」


ズボンを履く。


「わざわざ死に急ぐ必要なんてない」


「死ぬつもりはないよ。最期まで戦うだけ」


スカートを脱ぐ。


「私とも戦うの?」


「…っ」


一瞬、上着を羽織る手がピタリと止まった。

しかしすぐに袖に腕を通すと、着替えを完了して身なりを整えた。


「…かもね」


そこにはもう学生服姿の少女はいない。

一人の凛々しい軍人へと変貌を遂げたハルカ。

彼女は立ったまま器用にスカートとブラウスを畳むと、丁寧に重ねてそっと机の上に置いた。


「今まで貸してくれてありがとう」


この学生服は以前ユキがハルカに手渡したものだ。

人間とロボットがそれぞれ占領する地区の、ちょうど中間に位置する廃校。

この場所でたまたま出会った二人にとって、同じ服に着替えて共に時を過ごすことは単なる馴れ合い以上に、対等と友好の証でもあった。


「持ってていいんだよ?」


「返せなくなるかもしれないから、一応ね」


ハルカはそう言って、机を撫でながらユキのもとに歩み寄る。

暗い教室の中、対空砲の点滅に合わせてハルカの姿が浮かび上がったり闇に溶け込んだりしながら近付いてくる。

その表情はよく見えない。

ユキの目の前まで来てもハルカは歩みを止めなかった。


「ハル…」


そのままもたれ掛かるようにして、ハルカはユキに抱き付いた。

いきなりの出来事にグラリと崩れそうになる膝に力を込め、しっかりと彼女の体を受け止めるユキ。

ハルカは遠慮なく体重を預けてユキの肩に顔を置く。


「…今までありがとう。本当に楽しかったよ」


それはとても小さな声だったが、肩に押し付けられた口から直接体内に響き渡ってユキの心をも震わせた。


「私も…楽しかった」


ユキは声にならない声を精一杯絞り出す。

ハルカの肩越しに見える教室の景色は、昨日までとは違って見えた。

椅子にかけられたお面や、瓶の中で漂う金魚のせいだろうか。

ただの集合場所としか意識していなかったこの廃校の教室は、いつの間にか二人の私物や思い出で彩られていたことに今さら気付いた。


「一緒に過ごした時間は長くないけど、ユキは私にとって一番大切な親友」


「じゃあ行かないでよ、バカ…」


ユキがハルカの肩に顔を埋めると、火薬やオイル、土埃が混ざったような鼻を突く刺激の中にふんわりと漂う彼女自身の匂いを感じた。


「大切だから、行くんだよ」


ハルカはゆっくり体を離すと、儚げな笑顔を見せる。

そしてユキの返事を待たずに背中を向けた。

バッグを肩にかけ、教室を立ち去る素振りを見せる。

このままお別れなんて嫌なのに、かける言葉が見つからない。

ユキが金縛りにあったように立ち尽くしていると、ふとハルカが視線を斜め下にやって足を止めた。


「…ごめんね」


「え?」


「せっかく持ってきてくれたのに、かき氷溶けちゃった」


数分前まではふんわりと盛られたかき氷だったそれは今では見る影もなく、ただの箱に入った青いシロップと化していた。

ブルーハワイという、どんな味なのか想像もつかないネーミングに興味をそそられて選んだそれの味も、結局知ることができなかった。


「また持ってくるから、次は一番最初に食べてね。ひんやりして凄く美味しいんだよ?」


ユキの口をようやく突いて出たのは、そんな他愛のない台詞。

もっと他に言いたいことがあるはずなのに、先程まで胸の中に渦巻いていた不安が嘘のように消えて不思議と気持ちが落ち着く。

それはハルカの方も同じだろうか。

声に明るさが戻ったような気がした。


「楽しみにしとくね」


「いちご飴も焼きそばも、綿菓子やイカ焼きなんかも食べさせてあげる」


「全部食べ尽くそうか。いつか青空の下で」


「…一緒に?」


「一緒に!」


歯を見せて笑い合う二人。

こんな笑顔を見たのはお互いに初めてのことだった。

ハルカはそう言い残すと再び背を向けて歩き出し、今度こそ教室を後にしたのだった。

上機嫌にポニーテールを振りながら…。


コツコツと階段を下りる音が徐々に小さくなっていく。

しばらくの間その場に佇んでいたユキは、自分がずっとたこ焼きの箱を持ったままだった事実に気が付いた。

残った最後の一個にはハルカが刺した串が立っている。

もともとりんご飴用だったため不自然に長い。

ユキはたこ焼きを持ち上げると、静かにそれを口に入れる。

しかし串を抜くことはなく、咀嚼をする気配もない。

代わりに一筋の雫が、ユキの頬を伝って唇を濡らした。


窓の外で沢山の光の花が咲く、ある夜の日のことだった。




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