亡者の一室
@setsuna118287
プロローグ
ぽたりと落ちた水滴が、海中のように冷たい空気に波紋を起こした。
洗面台の蛇口から放たれたであろうそのほんの微かな音は、鋭い針となって私の鼓膜を突き刺す。
身を守るには薄すぎる羽毛布団に包まりながら、私はベッドの上で震えていた。
時刻は深夜0時頃だろうか。
普段なら安らかな寝息を立てているはずの時間だというのに、私の瞼を強く閉じさせるのは睡魔ではなく恐怖の感情に他ならない。
早く眠りにつきたい一心とは裏腹に、このまま眠りにつけば二度と目覚めることができないのではないかという根拠のない不安が、寝るな寝るなと肩を揺さぶってくる。
いっそ冬の雪山の方が、とさえ思う。
“得体の知れない何か“が潜む、この整頓されたマンションの一室よりも。
ピッ!
と突然闇から放たれた音と共にエアコンが動き出し、私の心臓は跳ね上がる。
ごうごうと唸るモーターが吐き出す温風は、雷雲が告げる嵐の始まりかと思う程に恐ろしく感じた。
すぐに埃っぽい香りが風に乗って鼻腔をくすぐってくる。
何かの間違いであってほしい。
無くしたはずのリモコンの放つ音は、確かにこのベッドの下から聴こえた。
ボタンが偶然何かにあたったか、あるいは…
身を丸めて布団を手汗でびっしょりと湿らせる私の耳たぶを生温い風が舐め、思わず悲鳴が出そうになった。
ただのエアコンから吹く風だ、と自分に言い聞かせるも、それはまるで男性の吐息のようなねっとりとした悪意を持って首筋まで伝う。
ハァハァと聴こえるその荒い息遣いは、どうか自分のものであってほしい。
いっそこの部屋で何が起こっているのか、灯りをつけて確認できたらどんなにいいだろう。
だがこの瞼を開けたところで何も見ることはできない。
私は生まれついての全盲なのだから。
【亡者の一室】
「盲目だが不自由じゃない。盲目で良いんだ、魂が見えるから」
ーーーレイ・チャールズ
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