チュートリアル

 『女神システムのチュートリアルを開始します』


 真っ黒な画面から真っ暗なステージに変わり、そこに幾多の星が瞬き始めた。これじゃ異世界召喚された人が来る女神がいそうな場所じゃない。


 そんな私の考えは的中し、目の前に集まってきた光の粒が形を成して女性の姿になった。


「こんにちは、ヒナコさん。ワタシは女神アドミス。アナタを女神に選出した者です」


 このアドミスがチュートリアルをしてくれるキャラクターらしい。金髪、碧眼、白いドレスに半透明の翼。女神と言われれば疑う者はいない典型的な姿をしている。


「今からアナタに女神の仕事について簡単にレクチャーします」

「はぁ」

「あら、元気がないですね。きっと話を聞いたら、嫌でも元気を出さなきゃってなりますよ」


 自動応答チャットも進化したものだ。最近発展が目まぐるしいAIチャットの技術なのかな?


「単刀直入に言いますが、アナタに冒険者となった弟さんを助けてほしいのです」

「はいぃぃぃ? なんで弟のことを?!」

「カレは今、わけもわからず冒険に旅だってしまいました。だいぶん混乱しているのでしょう。そのカレをアナタの女神の御業で助けてあげてください」

「どういうこと? 一緒に冒険すればいいってこと?」


 昨今、女神と一緒に冒険するという創作物はいくつかある。女神という特殊種族でゲームに参加して隼人を助けろということかと思ったが、彼女はそれを否定した。


「いいえ、違います。女神はフロンティアの世界に入って冒険することはできません。そのかわりに女神の御業で間接的に冒険者を助けることができます」

「いや、私だってフロンティアを冒険したいんだけど」

「残念ですがアナタはすでに女神となることを選択しています。もう冒険者になることはできません」


 さすがにこの対応には相手が自動応答AIでもイラっときた。


「もうすでに一ヶ月分のチケット代を払ってるのよ。冒険できないなんておかしいでしょ!」

「では、女神の役割を放棄するというのですか? 弟さんの手助けができなくなりますが、よろしいのですか? このままでは命が失われることになってしまいます」

「命って……」

「これをごらんなさい」


 女神アドミスがサッと手を振ると、フロンティアの世界が映し出された。視界が閉ざされつつある黄昏時の山道で、ハヤトは三匹の狼と向かい合っている。月の光源では頼りなく、そこはすでに獣の世界だ。


 その背には、傷ついた少女と倒れている母親らしき人が怯えている。ハヤトはふたりを庇いつつ、何度も噛まれては振り払うことを繰り返して戦っていた。


 最新型のゲームが表現する傷は生々しい。これは描画レベル3以上に思える。現実だと言われれば疑う余地もないほどだ。このリアリティが今朝からの出来事を一気に現実味を持たせ、そんなはずはないと思う私の心を弱らせていく。


「隼人は……どこにいるの」

「カレはここにいますよ」


 映し出された画面を指さしながら答える女神の笑みが真実だと告げていた。


「本気で言ってるの?」

「はい、ハヤトさんを救えるのは今のところアナタだけです。断るというなら他の人を探します。ですが、引き受けてくれる人はいないかもしれません。ヒナコさんは知らない他人のために苦労できますか?」

「あんた、いったい何者なのよ?!」

「フロンティアの女神アドミスです」


 彼女から悪意など感じない。むしろ温かささえ感じられる。だけど、隼人を人質にしているような発言との落差が、私に「うん」と言わせなかった。


「迷ってますね。では、アナタにもハヤトさんのいる世界を体験させてあげましょう」

「体験?」

「ドリームマスクを被ってください」


 言われるがままに被ったマスクの中にはモニターと同じく女神がいる。


「いきますよ」


 アドミスが立てた人差し指の先が眩しく光り、目をつぶった私に爽やかな風が吹き抜けた。その感覚に驚いて開いた目に、壮大な世界が飛び込んできた。


 発売前の体験版で見たときの何倍もリアルなフロンティアの世界は、現実と見紛うなんてレベルじゃない。


「何これ? 嘘でしょ!」


 何世代か先取りしたと思っていたフロンティアというゲームだけど、今体験しているこの感覚はそれをさらに超えている。現実と区別がつかない世界には部屋の空気とは違う大地の匂いがあった。描画では表現できない広がりも、地面に立つ感覚もあった。そして、目の前を横切る巨大な獣からは命の息吹と野生の脅威というようなモノも感じられた。


「いかがですか?」


 このアドミスの声が私の意識を引き戻す。これは催眠術か超能力か。常軌を逸した体験に私は声もでない。


「これがハヤトさんが降り立った世界です」


 マスクの中で微笑むアドミスからは人間味が感じられる。それに加え、これほどのリアリティな世界を見せられては、創作でよくあるゲーム世界に召喚された主人公の思考は否定できない。隼人だってそう思うだろう。


 そんな世界で弟がモンスターと戦うことを考えて、私の身体はブルりと震えた。


「わかった。やるわよ。やるしかないんでしょ」


 アドミスは、よりいっそう嬉しそうに笑った。その名称に見合った美しくも憎たらしい表情で。


「では、VRモニターを装着したまま横になってください。ディスプレイモニターとマウスでもできますけど、バーチャルコンソールのあるこちらで女神システムについて説明します。とはいえ、今すべてを話したところで覚えきれないと思うので、まずはやってみましょう」


 ベッドに横になりドリームマスクのダイブシステムのスイッチを押すと、徐々に体の感覚が消えていく。言い表せない感覚が私を包み、リアルな画面に深い没入感が生まれた。ゲーム世界にダイブしたのだ。


 そして、私の前にウィンドウが開いた。


「その項目が、現在使える女神の御業です。急ぎましょう。ハヤトさんのHPがレッドゾーンに近づいていますよ」


 女神の言うとおりHPが四割ほどしかない。どうにか狼のモンスターを一匹倒したけど、残り二匹を相手にするには厳しそうだ。


「女神ヒナコ。【女神の息吹】を選択してください」


 その呼び名にイラっとしながらも、言われたとおりにバーチャルコンソールを操作して、【女神の息吹】を押した。


 対象キャラの【ハヤト】を選び、画面下に【御業の顕現】が出たので、女神がうなずいたのを確認してから選択した。すると、光の渦巻く風がハヤトの身体を吹き抜けて腕と足の傷が癒されていく。三割程度だったHPが徐々に回復し、六割から七割くらいまで増えたことにハヤトは戸惑っていた。


「女神の息吹は冒険者を癒す御業です」


 この力のおかげでハヤトの動きは良くなり、残り二匹のモンスターもどうにか倒して窮地を乗り越えることができた。


「危なかったですね。少し遅かったら死んでいたかもしれません」

「死ぬって……本当に死ぬってこと?」

「この世界の命は本物です」


 女神アドミスの言っていることが本当なのか、いまだにハッキリしない。これがゲームの演出なのだとしてもクレームを入れたいレベルだ。


「フロンティアがインストールされている機器ならアナタのIDでログインできます。スマホからも女神のお仕事はできますが、冒険者の行動はおおまかにしかわからないので注意してください。やっぱりダイブでのサポートがお勧めです。ということで、チュートリアルは以上になります」


 混乱から脱せない私をよそにアドミスは話を進めていく。マスクに映るデジタルデータのクセに! と思いつつも口に出して文句を言えないのは、朝から隼人の姿を見ていないせいだ。それさえなければ文句どころか、一緒になって笑って楽しんでいたことだろう。


「これでアナタはハヤトさんを守護する女神となりました。今後はふたりで力を合わせ、ワタシが与えるクエストをクリアしてもらいます」


「クエスト? 冒険者ギルドの?」

「いえ、それとは別の特別なクエストです。そのためにカレを召喚しました。なので、共に冒険する仲間を集い、女神の御業で助け、強く成長させてください」


 ほぼ強制で私を女神に任命したアドミスは、その笑顔を湛えたままで話を締めくくりに入った。


「最後に最重要事項をお伝えします。これは絶対に守ってください」

「最重要事項?」

「ここで聞いた内容やこれからアナタが体験することを、他の人に話してはいけません。もし、これが守られない場合は、相応のペナルティを課します」


 変わらず陽気な態度でそう告げた女神の言葉が、これまで語った内容の真実味を強める。VR空間で背筋がゾクっとしたのはフル回転しているエアコンのせいじゃないだろう。


「あとで女神の心得というマニュアルを送ります。それを読んでもわからないことがあったら都度聞いてください。呼び掛けには応じます。それでは頑張ってくださいね」


 アドミスはふわりと浮かび上がってゆっくりと上昇していく。彼女の笑顔がなんとも楽しそうで腹立たしい。液晶マスクの中で眉間にシワを寄せて見送る私に対し、彼女は消え際にこんなことを叫んだ。


「そうそう、アナタの一ヶ月分のログインポイントは、先ほどの女神の息吹で消費されました。無駄ではありませんよ~」

「ふ、ふ、ふ、ふざけんなぁ! 金かかるんか?!」


 小さく手を振り、微笑みながら女神アドミスは消えていく。


「システムコール、ログアウト!」


 音声コマンドでログアウト処理をし、VRマスクを取り払った私は、すぐに隼人に電話した。その理由は、とうぜん腹立たしいAI女神の言ったことを確認するためだ。ここで隼人が「もしも~し」などと電話に出れば、「してやられたぁ」と脱力しながら笑って許せる。だけど、十コールしても隼人は出ない。スマホを置いて出かけてから帰ってきてない可能性もあるけど、すぐにでも確認したくてたまらない。


「実家に電話……。まだ寝てるかな」


 時刻は十四時四十五分。仕事疲れの母を起こすのは悪いと気遣って、私は西日の強いこの時間帯に実家に戻ることを決めた。


「とりあえず何か食べよう」


 遅めの昼食を素麺と卵焼きで簡単に済ませてから部屋を出た。

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