第24話


 赤瀬は数秒置いてから、やっと口を開いた。


「……そこまでする? 人のスマホ勝手にいらうとか」


 耳慣れない言葉に聞き返す。


「〝いらう〟?」


 赤瀬は面倒そうになる。


「〝触る〟。ってええねんそこは。何でそないしてまであいつ……」


「えっ? 分かってたんじゃないの? ドアの隙間から私を引きり込んだんだよ?」


「それは聞いたけど。今お前んにおるのはお前だけて兄貴から聞いて知ってる状態やったから、入って来ようとする女子高生がおったら確定でお前って分かるから出来た事なんかなって。顔知らんくても入って来ようとする時点で、そこの住人て決まってるし」


「その場面だけに限った推測なら完璧だけれど。でもそれだと水泳部の子に、私について正確に特徴を伝えられた理由がつかなくなるよ」


「せやから、お前とその水泳部の人は知り合いなんかと思ってた。矢花やばなは保坂っちゅう、水泳部と繋がりのある知り合いがおるみたいやし、人脈使つこたんかなて」


「残念ながら外れたみたいだけれど」


 赤瀬はまた超顰めっ面で黙ってしまった。多分読みが外れたからじゃなくて、想像していた以上に矢花やばながキモかったから。


 ていうかこれぐらい、赤瀬なら分かる筈だけれど。私より鈍感な読みをするなんて珍しい。


 でも外した原因も見当が付いていて、呆れ気味で歩き出す。


「優しいよね、赤瀬って」


「え?」


 赤瀬が遅れて肩を並べて来るのを確かめながら続けた。


「親しくないし全然好印象なんて無いけれど、何だかんだ性善説を信じてるから、そこまではしないだろうって考えなかったんでしょ? 矢花やばながお兄ちゃんのスマホを、勝手に触ったかもしれない可能性について」


 右側を一瞥する。案の定居心地悪そうな横顔と目が合った。


「あんまり優しいと悪い人に騙されるよ。性善説って、世間知らずやお人好しの類語みたいな気があるし」


 多分そんな考えを持った赤瀬は赤瀬じゃなくなるだろうが。


 正義感と性善説の塊だからこそ今日だけで何度も私を救っているし、一見全く負けそうに見えないが悪意に弱い。あるべきでない、あってはならないものだと信じその信条を守ろうと奔走するから、もしあった時については、然程さほど考えてなくて。


 狡猾と陰湿の塊みたいな奴に出会ったら、案外一撃死なんだろう。


「人間って一番知的に過ぎない猿だよ。善人でも聖人でも無い。不潔で不誠実で保身的が、デフォであり根底。何としてでも己という種を保つ事を生涯の目的として設計された、動物って生き物の一種なんだから。まあだからこそ、赤瀬って凄いんだけれどね。保身ゼロで真っ直ぐだから。動物っぽい陰湿さ全然無くて、人間っていうか、ホントに聖人」


 生物としては完全に破綻してるから、天野みたいな悪い意味で人間らしいタイプには徹底的に嫌われるが。


 とは言っても、世間はどちらの味方をするかと言えば、赤瀬である。天野の振る舞いとは、誰しも一度は食らった事がある鬱陶しさを帯びる凡人のそれであり、赤瀬がやっているのは、理想的な人間の姿だから。


 どうでもいいけれど。天野がガキって事も、赤瀬が心配になるぐらい正し過ぎる質って事も変わらない。


「心の底から尊敬してるよ。赤瀬みたいな人と会った事無いし、どうせ知り合うならもっと早く出会いたかったし、私には一生出来ない」


「時間はこれからあるやんか」


 仕事終わりや放課後の利用者で賑わう中央図書館の敷地へ踏み出しながら、右側を見た。今にも立ち止まって、「何でそんな事言うの」と言い出しそうな赤瀬が私を見ている。


 自覚しているのか知らないが、結構寂しがり屋だと思う。正義感と性善説の塊だから、当然あらゆる物事の結末もハッピーエンドしか目指してなくて、こういう言い回しをすると度々たびたび本気で悲しまれる。めんどくさいからいちいち言葉選びはしないが。


 彼氏出来たらベッタリな、可愛い女の子になるんだろうな。


 ブン殴られるで済まないから、絶対言わないけれど。


 歩きながら、足を僅かに持ち上げてみせる。


「上履きのままだけれど怒られないかな?」


 嫌味じゃなくて、純粋に不安で尋ねた。


 矢花やばなと人影からの逃走中に、靴を履き替える時間など必要無かったが、事情を知らない人間からすればどう見ても我々、おかしな女子高生二人組である。


 赤瀬は立ち振る舞いが堂々としてるし、私は周囲への興味が薄いという理由でおどおどはしていないし、いじめで靴を隠されたタイプにはどうしたって見えない。もう普通に、変な奴らだ。十中八九本借りる前に靴買いに行けよって思われる。


 赤瀬は何事も無かったように答えた。


「変わってんなとは思われても、口に出して来る奴はそうおらんよ。そもそも気付くかどうか」


 風除室のドアを潜り、赤瀬に前を行くよう顎で館内を指しつつ返す。


「まあ確かに、他人の足元なんて見ないか。目の前まで近付いて話すでもしない限り。何調べるの?」


「すぐ終わる」


 赤瀬は私の前へ身を滑り込ませながら言うと、大股で歩き出した。


 よく来るのだろうか。迷い無い足取りで行く背中を追う。全ての本棚を見回るようにゆっくり館内を一周すると、突き当たりに面する誰もいない棚の間で立ち止まるなり向き直って来た。


なんか気になる事無い?」


 それはまあ当然。


「……本に触ってないけれど。借りないの?」



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