フェンリル

『フェンリル』その①

 初めに気がついたのが失敗したということで。次に、身体に回る痛みから、石畳にすっ転んだと理解した。

 駆け出した珠火を追って、滅多に使わない身体を全力で動かしたところ空回り。

 全身滅多打ちで、特に右足首がおかしい。

 痛くすら無いので、曲がったか、折れたか。

 いずれにしても、珠火を追いかけるのは無理そうだった。

 ともかく、いつまでも道端で倒れている訳にはいかない。

 路傍の、枯れかけの木の葉が付いた広葉樹の枝を杖代わりにして立ち上がる。

「ーーおっと」

 ぽきっと行った。

 枝の耐久力を過信しすぎていたらしく、尻もちをついた私を小馬鹿にするように葉っぱが舞う。枝のささくれが手のひらを引っ掻いたので出血もしていた。

 泣きゃ面に蜂といったところだが、ポジティブに考えれば一応端に逸れることは出来たといえる。

 それ以外はネガティブな要素しか無く、ともかく珠火ちゃんに電話しようとダイヤルして、さっきまで珠火ちゃんが居たあたりの草むらから着信音がなったあたりでもうどうにでもなれと大の字に寝転がった。

「さっきぶつかった時にカバンから転がったのかな……。まあなんであれ、連絡のしようがないと、ね」

 木々の隙間から、わずかに月明かりが照らすばかりで、ぐちゃぐちゃに乱れた髪が瞳を覆えば視界は無いに等しい。

 脚の痛みも酷くなってきた。

「お困りですか、お嬢さん」

 潮風に混じって、強く感じる柑橘類の香り。余裕ぶったその声。

「なんだよパンケーキ。……そっか、来てるって言ってたもんね」

 今日はレモンだろうか。季節外れだ。

「いや、夏みかん。それはともかく、脚大丈夫? 結構腫れているけれど」

 私のそばにしゃがみ込んで、無遠慮に患部に触れる。

 普通に痛いから勘弁してほしいが、応急手当てを始められると文句も言えない。

 イベントを手伝って、まだ着替えていないのかサンタクロースのコスプレ姿のままだ。

 その帽子を脱いで、足首の固定に使った。

「ベンチまでお姫様抱っこしてあげようか」

「肩貸して」

 冗談じゃない。それに、こう。

 弱っているときのパンケーキというのはある種の恐ろしさがある。簡単に人の心の脆い部分に漬け込んで、誑し込んでしまうのだ。

 元々人との間に壁を作ってしまいがちな質だとは自覚しているが、パンケーキ相手では作りすぎるくらいでちょうどいい。肉じゃがみたいだ。

 よたよた歩き(主に身長差のせい)でベンチまで移動して、脚を手すりに乗せて寝転がる。

 占領する形になるが緊急事態だ。あらかじめカルネアデスくらいは勘弁して欲しい。

 パンケーキはベンチの後ろに立って、背もたれに寄りかかっていた。

 どこから出したのか氷嚢を手渡される。

 脚の、甲のあたりに乗せる前に氷嚢を見ると中身はほぼ溶けかけの氷で、それと薄く緑がかった乳白色の液体。

 聞いてみると飲み終わった抹茶ラテの氷とのことで、流石に転ぶことまで計算尽くではないらしい。

 とはいえ。

「また、なにかしようとしてる? 私を拐かそうだっていうなら、流石に引っかからないよ」

 こいつは悪い女だ。昔別れたとはいえ、一度絆されてしまったわけだし。

 そういえば、別れを切り出された理由を聞いたことがなかった。

「いやまあぶっちゃけるとどうせ珠火ちゃんに振られるだろうなと思って、傷心を音夢ちゃんをぱっくんちょっていうのもサブプランとしてあったのだけれど」

「サブプランかよ」

 人の恋路を何だと思って。

「だって音夢ちゃん、ガード硬いし面倒くさいんだもの。音夢ちゃんはかわいいし、ツンケンしてるところも愛してるけどね」

 面と向かって、割と恥ずかしいことを言ってくる。

 歯が浮くようというのはなかなか的を射た慣用表現であると感じた。

「さて子猫ちゃん。パンケーキかみさまからの提案だ」

 自制心を保つべく、形式的に顔をしかめていると、パンケーキが振り向いて私の顔を覗き込む。

 楽しそうにキラキラする彼女の瞳は、あからさまに年末年始の小中学生のそれを思わせた。

「珠火ちゃんの捜索、私が手伝ってあげるよ。その代わり、今度ーー」

 懐から、すっと紙切れを取り出す。遊園地のペアチケット、ではなく優待券。

 神様を気取る割には随分と安請け合いだ。

 忘れてた、と回収しといてくれた珠火の貴重品一式を受け渡される。あの子財布も持っていないのか。

「わかった。その話乗った」

「いい子だ」

 しれっと頭を撫でようとする手を振り払って、首を座り直して落ち着こうとすると腕を腰に回されパンケーキの背中に担がれる。

 ふぇっ? と我ながら情けない声が出た。

「か弱い手負いの女の子を放置しておくほど酷じゃないよ。」

 まるで手負いじゃなければか弱くないみたいなことを。

 開けたところまで移動すると、イベント用の大型テントの横に停泊しているキャラバンから、パンケーキと同じくサンタコスの女の子が駆けてきた。

 どこか見覚えがあると思ったらパンケーキのことを「店長」、と呼んでいて、どうやらシルクワームちゃんらしい。コンセプトは不明だが猫耳と、スカートの中から二本生えている尻尾が可愛らしい。

 しかしどこで固定しているのだろうか。

 シルクワームちゃんに受け渡されて、肩を貸してもらって立ち上がる。まっすぐ立ちたかったのだがそうも行かずふらふらとしてしまう。

「大丈夫ですか。遠慮しなくていいですよ」

 あわあわとしてるうちにシルクワームちゃんの腕の中に収まることになり、お言葉に甘えて寄りかかる。

 背に腹は変えられないが、せめてものプライドですべての体重は預けずに両足は着いておいた。

「向日葵、音夢ちゃんをよろしくね」

 うん、と呟いて、シルクワームちゃんが頭を差し出す。パンケーキは少し戸惑ったもののナチュラルに頭を撫で回して、メイドの子も満足そうだった。

 あんまり、人前でいちゃつかないように。

「ありがと。キャラバンの中にソファがあるから、そこで休んでるといい。見つけたら電話するよ」

 三角帽子を被り直し、パンケーキが街の方へ繰り出していく。

 ふと月が照らした横顔が、いつになく真剣だった。

 シルクワームちゃんに促されてキャラバンへ向かう。

 中は存外広く、パンケーキはソファしか言及していなかったがベッドも冷蔵庫もある。

 ほぼキャンピングカーと言っても差し支えないだろう。

 出してくれた、おしゃれな青いジュースを飲んで。

 さすがに遠慮してソファの方に腰掛けると自然、瞼と腰がドロドロと溶けていった。

 とりあえずここで、眠らせてしまおうか。

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